偶然、高校生の時の友人とばったり会った。1年ぶり、いや、2年ぶりかな。彼女はテニス部で、部活の同級生とは現在でもちょくちょく会っているらしい。今日もそのうちのひとりの誕生日プレゼントを買いに、仕事帰りに渋谷に寄ったという。「せっかく会ったんだし」ということで、一緒にプレゼントを探すことにした。というか、彼女の後をちょろちょろくっついていただけなんだけど。最初に西武のB館へ行った。1階にはエルメス、2階へ上がると、グッチ、ヨージ、マーク・ジェイコブス、「私ら呼ばれてないね」「なんか店員の視線が怖いよ」と怯えて、早々に退散。その後、西武の別館にあるヴィア・バスに行って、ユナイテッド・アローズに行って、パルコにも入った。渋谷パルコはただいま全面改装中。「どこに何があるか全然わかんないねぇ」「ズッカってこの階じゃなかったっけ」しばしの混乱の末、何も買わずにパルコを出る。少しぶらぶらして、結局アクア・ガールで友達はアクセサリーを選び、僕も「プレゼントしよう」という気になってマフラーを買った。その後、ふたりで御飯を食べている時に、ふと思い立って「最近新宿に行くことある?」と訊いてみた。答えは「あまり行かない」とのこと。「行く時は伊勢丹で買い物するぐらいかな」新宿=伊勢丹、これは至極一般的な意見だと思う。青山ブックセンターに行って、タワレコに行って、アメリカン・ラグ覗いて、リキッド・ルームへ足を運ぶ、考えてみれば僕だって「新宿へ行きたい」と思って新宿に行くわけではない。幾つか寄るべきポイントが最初から決まっていて、その時新宿の街はただの通路でしかない。それは渋谷でも同じことだ。パルコ、ビームス、マルイ、ツタヤ、僕らが作る渋谷の、新宿の地図は、とても保守的なものらしい。先週、森山大道さんに会った時、彼はこんなことを言っていた。「新宿を撮るのは今でも面白いよ。何度も撮っても撮り逃した場所が見えてくる。あの街は常に変化しているし、いつも変わらずしたたかだよ」、過去の新宿を特集する次号は、僕たちが経験していないこと、見ることがなかったことを思考する作業以上に、見えないと思い込んでいるものを見つめようとする作業なのかもしれないと感じている。
志賀謙太