02.10/20

 

「最近何しとったよお」。「…いや。相変わらずだね」。いつもの返事だ、広い額を覆って少しだけ視界に入ってくる前髪が気になる。受話器を握っていない左手で大袈裟にかきわけてみる。髪、伸びたな。「ああでも、最近少し太ったね、なんて言われたわ」。
 先週のテレビ番組は北朝鮮に拉致された5人の関連ニュースでもちきりだった。国交正常化交渉のスタート決定、そして「拉致疑惑」問題が「拉致」問題へと変わった、小泉首相の訪朝から(もうちょっと正確には訪朝が決まった頃から)北朝鮮関連のニュースはメディアを賑わせてきた。特に10/15火曜日、その日は東京(成田)−平壌の往復によって彼等5人が帰国する当日で、午前中から多くの局が中継を行う。残念ながら私はそれらの中継を見逃したが、その後数日間の報道番組等で、タラップから降りてくる彼等の映像や、記者会見する映像、帰省して家族らと食事をとる映像、それから彼等を乗せたバスを上空からヘリでとらえた映像、などなどを見ることとなる(もちろん昨日も今日も見た、ある帰国者は嘗ての仲間達と共にキャッチボールに興じていた)。それと一緒に専門家や非・専門家達の様々なコメントも見聞きすることとなる。拉致議連・事務局長、平沢勝栄自民党議員のコメント(様々な番組に引っ張りだこの彼はどうやら成田から東京へのバスに同乗したらしい)、「バスの中にテレビがありまして。彼等はそれを見るわけですが、自分達の乗ってるバスが映されているんですよ。平壌でと同じように日本に帰ってきても監視されているのか、と思われたでしょうかね」。これは多分、彼等5人のうちの誰かが言った言葉ではなく、平沢勝栄による5人への推測か、あるいは彼自身の感想かどちらかを述べたものであろう。それから「カントク」のコメント、「金日成の演出を読まないといけませんね」(帰国者の一人のクロースアップ、静止画像)。
「高度のだまし技術」(ブッシュ大統領)を持つとされる北朝鮮。もう一度言うが、私達はある「仮定」を「とりあえず」受け入れることによって生き延びている。「仮定」が「事実」となるのは、実は確率論的な問題なのかもしれない。「既成事実」による確率論。そしてそれもまた…。とりあえず言えるのは「仮定」は否定されてはならない(否定できない)、だがしかし「仮定」は「仮定」でしかない。もう一度言うが、私はある「仮定」を「とりあえず」受け入れることによって生き延びている。結構切実な問題でもある。

松井宏

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