日仏学院にてジャン=リュック・ゴダールとフィリップ・ソレルスの対談のドキュメンタリーを観る。『ゴダールのマリア』の直後に撮られたこともあって、ソレルスは冒頭からカトリックの教義の話など、ゴダールが喰いついきそうなネタをいくつもふっていくのだが、ゴダールはのらりくらりとかわし続ける。マリアは神の母なのではなくて神の娘なのだ、という話が盛り上がりを見せた頃合を見計らって「私の家はプロテスタントだったから」。ソレルスが様々な角度からひとつの対談へと「総合」していこうするのを、ゴダールがそのつどいなす。しまいにはゴダールが語るひとつの対談の「断片」だけが耳につくようになる。「もしデジタル技術がもっと発展しても、カメラを回すと言い続けるのだろうか。カメラの中ではなにも回っていないのに」、など。それにしても画面のつくりがすごい。ゴダールとソレルスをそれぞれ映した小さなふたつのフレームが画面の中にあり、ソレルスが「総合」しようとするとソレルスのフレームが巨大化して画面一杯に拡がる。ゴダールが思い出したように「断片」を暴走させはじめると今度はゴダールが画面一杯になる。もちろんこの対談で支配的だったのが後者なのは言うまでもない。
結城秀勇