ベン・リヴァース インタビュー

――はじめに、『This Is My Land』(06)で撮影したジェイク・ウィリアムズさんを、再度被写体に選んだ理由、それも初の長編作の被写体として選んだ理由を簡単に説明いただけますか。

Ben Rivers(以下BR)『This Is My Land』 は、僕の作品の中で、なにかしらドキュメンタリー的な要素のある作品、人里離れた環境の中に生きる人々をテーマにした一連の作品の最初のものだった。そうした意味で、ジェイクという人間は僕にとってとても重要な人物、重要なキャラクターだったんだ。彼の存在は『This Is My Land』にとって決定的な要素であり、そのことによって僕の仕事の方法は、その後少し変化することになったからね。映画を通じて僕らは友達になり、それからもずっと連絡を取り合っていた。彼は僕の他のフィルム『I Know Where I'm Going』にも登場している。

そして、誰かが自分の長編映画のためにお金を出してくれるという機会に恵まれたときに、僕が戻っていったのは彼のところだった。僕が撮るべき人々とは誰なのだろうかという問いが、僕を彼のところへまた連れ戻したんだ。もちろん個人的に彼の存在が重要だったということもある。それと同時に、『This Is My Land』はどこか観察的なところ、ちょっと引いて眺めているような、非常に断片的な映画だった。そして僕と彼との間にも距離があった。だからいまならそれとは違った映画が撮れるだろうと思ったんだ。長編にするにあたって、僕と彼との関係をより制御できるようになっただろう、シーンやセットをより演出することができるようになっただろうと。はじめのときに、僕たちは人としてお互いに気持ちよく一緒にいることができたから、今度は僕がもっとうまく演出することもできるだろうと。実際に彼は自分の家でリラックスしていられたし、こちらの指示にもオープンな状態でいてくれた。彼は実際にその場所で生活する本物の人物であり、同時に役柄を演じてもいる。

また同時に、彼を被写体に選んだことは、彼の生き方にも関係していると思う。彼のような生活がどう見えるかを、もっと違ったアプローチで、もっと違ったレンズを通して人々に見せられたらいいなと思ったんだ。

『湖畔の2年間』

――『This Is My Land』で仕事のやり方が変わったとおっしゃいましたが、それは具体的にどういう点ででしょうか。

BR『This Is My Land』はドキュメンタリーというアイディアに近かったと思う。なぜなら、より観察的なスタンスだったから。

その前の僕の作品は、もっと構築的な環境で撮られたものだった(編注:彼の初期作品には、ある街の精密な縮小模型を撮影したものや、廃墟の暗闇を懐中電灯で照らし出した光景を撮影したものがある。nobody issue31のインタビューを参照のこと)。でも2005年前後のある地点で、そのやり方を変えたくなった。もっと自由に、もっと緩やかになりたいと思ったんだ。だから『This Is My Land』の制作はとても開放的なものだったよ。

言い換えるなら、重要なのは、僕がそれ以前に作った作品はその作品が最終的にどういうものになるかという明確な考えが僕の中にあったということだね。でも『This Is My Land』という作品とともに、最終的にどうなるか自分自身でもわからないような方法で映画をつくる勇気を得たんだ。だからそのあと作ってきたものは、それ以前のものとは少し変わったと思う。言うなれば、より驚きがあるものになった。僕は自分の映画に驚かされたいんだよ(笑)。つまり、映画づくりがもっと「冒険」になったんだ。

――『湖畔の2年間』は全編手回し16mmフィルム映写機で撮影されていますね。しかもシネマスコープサイズで。これは『Ah, Liberty!』(08)で使用した機材と一緒ですか。

BR部分的に同じものを使ったよ。『Ah! Liberty』はすべてのシーンをボレックスと小さなアナモルフィックレンズで撮った。それと同じものを『湖畔の2年間』でも使ったんだけど、この映画ではもっと大きなアートン製のカメラも使っている。そっちの方が駆動音が静かなんだ。いくつかのシーンでは、同時録音するために、より静かなカメラの方が都合がよかった。

『湖畔の2年間』を見ると、ふたつの違ったクオリティの画面があることに気づくと思う。とてもシャープな画面と、よりぼんやりと霞んだような画面と。前者がアートンで、後者がボレックスで撮影したものだよ。

――いくつかの場面でレコードやテープレコーダーから音楽が流れ出します。それらの曲は、映画のために選んだ曲なのでしょうか、それとも実際にその場で流れていた曲なんですか。

『湖畔の2年間』

BR撮影期間、僕らがあそこにいる間、すごくたくさん音楽を聴いていたんだ。ジェイクは音楽が好きで、料理をしたり、なにか作業をしたりするときに、映画の中にも出てくるスピーカーから実際に音楽をかけていた。彼が映画の中でレコードをかけるデイヴ・グールダーというミュージシャンはジェイクの友達で、映画で音楽を使わせてくれと頼んだら、すごくキレイなデジタルの音源を送ってくれたんだけど(笑)。映画を見ればわかるように、ノイズだらけで、針が飛んでしまっているあの場の音を使ったよ(笑)。

そういう風に日常的に流れている音楽を録音して、それをどう合わせるかを後で考えたんだ。音楽のないシーンでは、実際にカメラを回し始めるときに、音楽を切るようにジェイクに頼んでから撮影した。

――こんな質問をしたのは、途中で東南アジア風の曲がかかるのが気になったからなんですが……。

BR車のカセットデッキでインドの音楽が流れるシーンだね。それはこの映画のタイトルである"Two years at sea"にも関わることなんだけど、ジェイクはかつてインドで働いていたことがあるんだ。彼はいろんな職業を経験している人なんだけど、船舶会社で2年間働いたことがある。そこでこの家を買う金を貯めたんだ。その仕事にはインドに行くことも含まれていて、彼がインドに行った時にマーケットであのカセットを買った。それがあの音楽があそこでかかる理由だよ。

この映画に出てくる何枚かの写真と同様に、音楽もまた、直接描かれることはない登場人物の過去をクルーズするきっかけを観客に与えてくれるものだね。

――この映画を35mmフィルムにブローアップして上映するというのは、当初から考えていたことんでしょうか?

BRそう。初の長編作品だったから、是非16mmフィルムで撮影したかった。僕らが住む現代は、もはやフィルムの最後の時代だと思う。人々はもう35mmフィルムでは映画を作らず、DCPで作るようになった。僕には自分の最初の長編がフィルムで撮影され、35mmフィルムで上映されることはとても重要なことだった。そんなことができるなんて、いまでは大きな幸運が必要だ。

はじめの段階から白黒の映画にしたかったし、コダックのプラスXが使いたかった。このフィルムのストックはもう、この映画で使い果たしてしまったんだ。この作品の製作をはじめた頃、コダックはこのフィルムの在庫がなくなったことをアナウンスした。だから残りの全部の在庫を買い取ったし、足りない分は他の国のコダックからも買ったよ。

――あなたがそう考えた結果、この作品とこうした環境で出会えて本当に幸せです。でもフィルムでの映画製作は今後より困難になるんじゃないでしょうか。

BRそうだね。映画作りはデジタル化にむけての変化がかなり強制されている。とても大変だと思う。DCPのようなシステムで『湖畔の2年間』を上映するとしたらそれは全然別の体験になるだろうね。

そのことは部分的に、この映画の最後のショットに関係しているかもしれない。ジェイクの顔が映るとても長いショットだ。その暗さ、グレーのグラデーション……。何かが終わりゆくというイメージは僕の頭の中にあったことだ。

このショットは、観客が1時間半かけて見続けてきた人物の顔をじっくり見つめる機会を与える。僕たちの生活には、ある人物の顔を十分に長い間ただ見つめる機会というのはそんなにない。だから、この映画の最後に、自分たちが共に時間を過ごしてきた人物の顔を、ただじっくりと見つめる時間があればいいと思ったんだ。

(続きは、6月中旬発売のnobody issue 39にて)

取材・構成:結城秀勇
写真:鈴木淳哉(ポートレート)