——『ヒッチコック/トリュフォー』で話をされている人々は、ヒッチコックの影響を必ずしも直接的に感じさせる作家ばかりではありません。一方で、なぜこの人がいないのだろうと考えた作家もいます。たとえばブライアン・デ・パルマがそうです。

KJ:デ・パルマには断られてしまったんですよ。理由としては単純で、ノア・バームバックとジェイク・パルトローによるドキュメンタリーに出演していて、そこでヒッチコックについてすでに多くを語っていたからです。その作品『デ・パルマDe Palma』(2015)は、『めまい』のあるシーンから始まってもいるんですよ。 たとえば1970年代のジョン・カーペンターはハワード・ホークスについてよく語っていて、彼によれば『要塞警察』(1976)は『リオ・ブラボー』(1959)のリメイクだということです。しかし私が見るにその2作は容易に結びつくものではありません。トリュフォーとヒッチコックの関係にしてもそうで、トリュフォーがオマージュを捧げたという『黒衣の花嫁』(1968)について、ただ作品を見ただけでその関係に気づくことは難しいでしょう。あるいはスコセッシは『シャッター・アイランド』(2010)でヴァル・リュートンのような作品を目指していたと言いますが、作品はどちらかといえばロジャー・コーマンに近いものを感じます。つまり、私が述べたいのは、何かからの影響というのはミステリアスで広範なものであるいうことです。たとえば「よし!これからムルナウに捧げるオマージュとして作品をつくろう」と考えたとしても、それが実現するかどうかは別の話です。そうしたオマージュを起点にして成功した『暗殺の森』(1970)のような作品はたしかにありますが、それは映画史においても特異なものであるように思います。

映画をつくるときというのは、頭をからっぽにして自分がつくりたいものをつくるということを望みながらも、やはりどこかで自分自身に内在するさまざまな影響を考えざるを得ません。それは非常に説明しにくい神秘的なものです。ヒッチコックによる映画づくりの作法は、フィンチャーが言うようにきわめて簡潔で明瞭なもので、あらゆる映画監督がここでの言葉を吸収しています。トリュフォー自身もこの対話の中でヒッチコックから何かを得たはずでしょう。彼にとってはジャン・ルノワールも同じような対象だったかもしれません。しかしトリュフォーの映画自体はといえば、ルノワールやヒッチコックとはまったくの別物なのです。

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——そのような直接的に見えることのない影響というものは、リンクレイターに限らず、たとえばサフディー兄弟のような現代アメリカのインディペンデント系映画作家にもあるものなのでしょうか。

KJ:たとえば19世紀にはフローベールのような、その当時の人々の影を描き出した本当に素晴らしい作家がいましたが、彼の作風は当時としてはきわめて異色なものでした。しかしフローベールが亡くなってから30〜40年後には、それはもうすっかりスタンダードなものとして成り立っていて、様々なかたちで継承されていました。読者であっても書き手であっても、頭の中のどこかにフローベールの影響が残っているという状況が生まれることで、書かれた当時には意図されていなかった方法でそれが読まれたり、あるいは再発見されるようになった。そこから逃れることができずに疲れ果ててしまったり、それに反発しようとしたりしてきた人々も現れてきた。同じようなことがヒッチコックについても言えるでしょう。映画は文学よりも遥かに若い芸術でありますが、どんな映画監督にも映画史というものがあるはずですし、その角度は人によって異なるはずです。それはたとえばサフディー兄弟にとってもウェス・アンダーソンにとっても同じはずで、映画史についての多様な考え方が人それぞれにあり、ヒッチコックに対する見方にも多様なものがあるということです。

——『間違えられた男』(1956)のふたりの男の顔が重なり合う場面について、ヒッチコックが用いた「悪の転移」という言葉とともに、アルノー・デプレシャンが身振り手振りを使って語るシーンが非常に印象的でした。一本の映画に備わるエモーションが、見事にひとりの観客によって別のかたちで提示されている場面だと思います。

KJ:デプレシャンの発言のなかで、私がもっとも同意するのは、ヒッチコックの映画を見るとき観客はその上映中は何も考えずにすべてを受け入れているだけになり、分析するとか解釈するといったことを何もしなくなる。しかし、映画が終わるとそこにヒッチコックという映画作家の顔が見えてくるというところです。ヒッチコックの映画の登場人物のなかでは、たとえば『マーニー』(1964)のティッピ・ヘドレンはそうした印象にとても近い女優です。『マーニー』では、映画が終わる頃になってようやく彼女の顔が見えてくる気がします。それは、詩人のジョン・キーツがシェイクスピアについて書いた詩を思い起こさせます。彼はシェイクスピアの作品について、まったくエゴの表出としてではなく、「自分という存在が他人の考えの色々なところに存在している」「そんないろいろな人たち全員が自分である」、というようなことを書いているんです。それとヒッチコックの映画を見るときの気分はとてもよく似ている気がします。『めまい』でキム・ノヴァクが浴室から出てきてジェームズ・ステュワートに姿を見せるシーン、そのつくり方について語るヒッチコックの言葉にも同じものを感じました。

——最後に伺いたいのは『ヒッチコック/トリュフォー』の80分という上映時間についてです。この映画のために撮影された時間は、それをはるかに超える膨大な時間だったと伺っています。この長さというのはどのように着地したものだったのでしょうか。

KJ:映画をつくるとき、私は「圧縮する」ことが重要であると考えています。スコセッシはよく「ある2つのイメージが衝突するときに、3つめのイメージが見るものの頭の中で生まれる」というようなことを言っています。もちろんエイゼンシュテインが同じようなことを言っているのは知っていますが、スコセッシのほうがより実体験に基づいた言い方でしょう。さまざまな映像と音をどのように接合すればよいのかについては、私も強く意識したところでした。この映画をつくっていたときに気づかされたのが、1本の映画をつくることはある有機体をつくるものだということです。それを形作るエネルギーは、エモーションによって紐づけられている。そして、私にとってそれは間違いなく映画への愛でした。様々な人の映画への愛が混ざり合って、ひとつのエネルギーとしてこの映画の中に存在している。

しかし一方でそこには「なぜこの作品を扱わなかったのか」とか、「なぜバーナード・ハーマンのことを扱わなかったのか」といった歴史的な問題が現れてくるわけです。映画をつくるには、何かを省略し圧縮する必要がある。映画というものは単に歴史を映像から習う装置ではありません。私の映画もそうつくられてはいませんし、そう見られるのも真意ではありません。「歴史を学ぶものをつくる」という目的ではなく、映画をつくるという創造性に着目した映画をつくりたいと考えたのです。たとえばある映画のシーンについて語られた言葉に対して、そのシーンに対応する映像を挿入するときも、たんに「はい、〇〇のシーンでした」と示すだけのものになってしまってはいけないわけです。ある言葉に対してある映像を加えるのならば、それはその語りに必要不可欠な要素としてあらねばならないし、また別の要素がその組み合わせによって生み出されなければならない。「省略」とは、そのような感性の鋭さを生み出す技法です。それによって抽出されたエモーションを、トリュフォーとヒッチコックの語りと呼応するようにさせることこそ、私がこの映画で試みたかったことなのです。

聞き手・構成:渡辺進也、田中竜輔
協力:坂本安美、楠大史、稲垣晴夏
2016年10月30日、東京・世田谷区にて

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