——原題『Lo chiamavano Jeeg Robot(英題『They Call Me Jeeg Robot』)』は、1970年のイタリア映画『風来坊/花と夕日とライフルと…(原題『Lo chiamavano Trinità…』/英題『They Call Me Trinity』)』(E・B・クラッチャー)からもじったネーミングだそうですね。

ガブリエーレ・マイネッティ(以下GM):ありがとうございます。まったくその通りです。

——また本編やポスターには日本語でタイトルが記されていたりと、日本に対する深い賛辞も感じました。本作の後には日本語で『Ningyo』(2016)という短編も撮られていますが、そこでは日本的な音楽も取り入れられてもいます。これまでに『ルパン三世』や『タイガーマスク』をモチーフにした作品も作られていますが、日本の文化のどういったところに惹かれているのですか。

GM:ぼくは色々な要素に囲まれて育ってきました。小学生の頃は学校から夕方ぐらいに家に帰って来ると、日本のアニメを昼夜放送する「Bim Bum Bam」というTV番組ばかり観ていました。イタリア中のぼくたちの世代の子どもたちがその番組を観て育ちました。もちろんアメリカの映画やTVドラマ、アニメも大好きでしたが、毎日時間割が決まって観ていたものは日本のアニメでした。それを通じて、ぼくたちは特殊な日本のアニメ文化に触れました。『マジンガーZ』や『ヤッターマン』、『鋼鉄ジーグ』から、『キャプテン翼』や『愛してナイト』『魔法の天使クリィミーマミ』『キャッツ・アイ』『ルパン三世』などまでとにかく観れるだけ観ていました(笑)。特に多田かおるの少女漫画『愛してナイト』はイタリアで男の子からも女の子からもすごい人気があって、主人公の女の子にイタリア人の男の子は誰しもが恋をしてましたよ!(笑)。ただ、映画界のぼくの世代の友人は日本の文化というとアニメだけで止まってしまって、日本映画まで関心を持つようになる人はむしろ少なかったのですが、ぼくにとってそこから日本映画にも興味を抱くことは自然な成り行きでした。それは自分の幼年期や思春期にすごく影響を受けたことも理由のひとつなのですが、日本という存在自体にどこか惹かれているからなのかもしれません。日本人って表面的には割と何を考えているかわからないところがあるじゃないですか。それは、正式さ、あるいは礼儀というフィルターをかけて人を見ているからではないかという風に思います。しかしそのフィルターが取り払われた時、ある意味豊かな心の弱さみたいなものと、凶暴なまでの暴力性も秘めていることがわかる。それがとても面白く思います。というのも、北野武監督の映画での犯罪者の描き方がぼくはすごく好きで、犯罪者を粗野で体格が大きいというような凶暴な描き方を彼は決してしませんよね。もしかするとすごくエレガントだったり、存在感があったりするような人が何かをきっかけに突然狂気を帯びるという描き方がとても好きなのです。しかも俳優にごちゃごちゃと演技をさせないですよね。とにかく監督として自分たちの域を超えて役者に色々とくっつけようとするのはあまり好きではないですし、やはり演技の真髄というのは引き算だと思っています。日本人のある年齢まで行った年配の俳優さんは、その辺りの引き算の美学を自然に身につけているように思います。

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——では、たとえば日本人監督の中でも園子温監督のような過剰さもある作風はどう思われますか。

GM:たしかに過剰な表現をされる方ではありますが、彼の作品も結構好きでよく観ています。日本の監督でぼくにとって特に重要なのは、やはり小津安二郎と北野武、黒澤明の三人です。ほかにも大島渚や中島哲也も好きですし、三池崇史の作品はいつも驚きを与えてくれます。近年の作品では、『るろうに剣心』(2012、大友啓史)も悪くはなかったです。あり得ないような表現ではありますが、剣を使ったアクション・シーンとしては今まで観てきた中で最高に近いものでした。ほかに最近は『深夜食堂』(2009-)にも少しハマっています。あと日本漫画も大好きです。特に手塚治虫はもちろん、浦沢直樹の『20世紀少年』や『PLUTO』、モンキーパンチの作品。それから漫画『殺し屋1』も好きですし、『軍鶏』に至っては画が抜群に素晴らしい。

——本作はバットマンやハルクはもちろん、自警団的な要素は薄いものの、『キック・アス』(2010、マシュー・ヴォーン)や『スーパー!』(2010、ジェームズ・ガン)といった最近のアメリカのヒーロー映画との同時代性を感じさせます。たとえばたちまちYouTubeでスターになっていく様や狂信的にコミックのヒーローを崇拝する様においてです。

GM:そこに気付かれたのは面白いなと思います。たしかにどの登場人物も、何か動画を見るデバイスに依存しているところがありますよね。エンツォはポルノを、アレッシアは『鋼鉄ジーグ』のDVDを観続けていますし、ジンガロはYouTubeやSNS、TV番組に自らを投影するための欲求に取り憑かれています。ほかに影響されたものを加えるならば、バットマンの中でも『ダークナイト』(2008、クリストファー・ノーラン)は少し参照しています。大きな都市のアイコンとなるような高層ビルに立たせる場面はそこから来ていて、ダークなところ、社会の暗い影みたいなところは影響を受けています。

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——しかし本作は『鋼鉄ジーグ』をモチーフにしていながらも、実は『レオン』(1994、リュック・ベッソン)とよく似たところがありますよね。主人公は牛乳ではなくヨーグルトを好み、ヒロインは『トランスフォーマー』ではなく『鋼鉄ジーグ』をより妄執的な形で観ています。

GM:様々な映画から色々と引用をしていますが、すべてが登場人物の造形をより人間的に見せるためのツールだと思っています。エンツォが食べているのは、実はヨーグルトではなくもっと甘いバニラ味のプリンのようなものなんですが、なぜあれを食べ続けているかというと、彼の辛い人生の中で甘いものを食べて何か紛らわせたいという欲求がそこにはあるからだと思います。ポルノを観ながら甘いものを食べることで彼はやっと均衡を保っている。すごく脆弱な男性の姿です。一方でおっしゃる通り、『レオン』の主人公レオンは子どもが好むような牛乳を飲み続けています。それに本作と『レオン』との間には、主人公と女性と悪役のトライアングルの相似形が見て取れるかと思います。エンツォは実生活の中で女性と性的な関係を結ぶのにすごく問題を持っています。また『レオン』のマチルダは少女であるにもかかわらず中身は成熟しているのに対して、本作のアレッシアは身体は成熟しているのに子どものような存在です。この三角の相似形はたしかに意図的に作り上げたものです。

——ジャンル映画の古典的なフォーマットに則りつつも、犯罪者とマフィアばかり登場する本作は、どこかイタリアのマフィア映画の系譜に連なるような気もします。そう考えると、主演のクラウディオ・サンタマリアは、ある意味『野良犬たちの掟(イタリア映画祭2007上映タイトルは『犯罪小説』)』(2005、ミケーレ・プラチド)で彼が演じたダンディの別の人生のようにも見えてきます。

GM:イタリアで『野良犬たちの掟』はすごく重要な位置付けの作品で、公開時とても話題になりました。というのも、昨今のコメディと内面的な映画ばかりが作られるイタリア映画界の中にちょっと一石を投じたような作品だったからです。なので『野良犬たちの掟』の存在感は無視できないものであり、そのような中で本作を発表するにあたって、冷酷な犯罪者という人間像だけではなく、もうひとつ何かやりたいと考えました。そこでぼくは泥臭い人間らしさ、それから弱さや繊細さをあえて見せたいと思いました。

——ほかにも『キル・ビル』(2003、クエンティン・タランティーノ)へのレファレンスもありますね。

GM:眠らされたエンツォがジンガロからテープで手を巻かれる場面ですね(笑)。ナポリの犯罪者って流行りなのかわからないのですが、ビニールテープで実際にあのようにくっつけるみたいなんです。それが『キル・ビル』っぽいなと思いました。

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