——アレッシアというキャラクターの造形は興味深く思いました。というのも、幼稚で純粋なまま閉じ込められて空想の世界の中で生きている彼女は、ある種旧来的なプリンセス像としても見ることができるからです。

GM:たしかにプリンセスという見方は面白いですね。彼女にとってはアニメがすごく必要でした。とても残酷な現実の中で生きてきたので、それと一線を画すためのフィルターとして彼女はアニメを必要としていたのではないかと思います。そして彼女がエンツォを必要としていたのも、このどうしようもない現実から連れ出してくれる彼女にとってのヒーローが、(『鋼鉄ジーグ』の主人公である)司馬宙だったからなのです。アレッシアにとって司馬宙は白馬に乗った王子様です。彼女は場末のシンデレラのように未来を夢見ています。実際にお姫様のような服を着る場面もありますが、彼女はプリンセスみたいな服が着たかったのだと思います。

——次第に彼女のそういった性格が心理的および肉体的虐待から来たものだとわかってくるわけですが、虐待という要素は、本作の前に撮られた短編『Tiger Boy』から引き継いでいることでもあると思います。

GM:たしかに虐待や暴力を描くことに関心を持ったきっかけが、『Tiger Boy』だったかもしれません。リサーチをすることで、自分にとってあまり知りたくなかったような事実もたくさん知ることになりました。『Tiger Boy』の脚本を書いて撮影していた頃は、ちょうど本作の資金繰りをしている時期と近かったこともあり、家庭内暴力や子どもに対する虐待、ひどい虐待を受けた被害者といった要素の萌芽は『Tiger Boy』から生まれていると思います。

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——どちらの作品においても心に傷を負った彼/彼女が奔放に空想することで自分の憧れのヒーローと関係を持って、自分の中にある勇気を見出す物語だと言えますね。

GM:『Tiger Boy』の主人公は小さな男の子で彼も虐待を受けてきたわけですが、彼は自ら勇気を見出します。タイガーと同じ姿勢を取るスローのシーンがありますが、あの子は自分の力だけでその後に逃げ出します。その瞬間にひとりで何とかできることを知ると同時に、彼にはもうマスクは必要なくなって、それを取り外してタイガーを身の内に宿したのです。逆に、本作のエンツォはとにかく過去は知らずに払拭したいものとして扱い、何か夢想するにも誰かの助けがいるぐらい絶望的な状況にいます。そのような時にアレッシアという女性が空想すらできなかった彼に手を差し伸べたわけです。エンツォの服は最初から最後まで黒ずくめですが、最後の最後に彼女の編んだカラフルなマスクを身につけます。真っ黒だった彼が彼女の助けによって色を身に纏うのです。

——『Tiger Boy』と真逆ですよね。

GM:おっしゃる通り、まったく逆です。マスクは、彼らにとってたんなる道具にすぎないと思います。また仮面というのはイタリアの文化の中ですごく重要で、古くから「コメディア・デラルテ」(commedia dell'arte)というイタリアの即興演劇があるのですが、それは全編に渡ってマスクを使うヨーロッパでは有名な喜劇です。本作でも仮面を被ることは象徴的な行為で、自分に愛を与えてくれた人へ愛を返すための行為だと言えます。アレッシアは普段からカラフルでエンツォに色を与えてくれる人物です。反対に、『Tiger Boy』の男の子は自分の中の恥を隠すためにマスクが必要だったのだと思います。しかし自分の中の本当の力を得た時にもうマスクは必要なくなり、マスクを取るわけなのです。

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——本作は一風変わったラブストーリーであり、孤独な魂の共鳴の物語でもあると思うのですが、人との関わりを避けて暮らしてきた孤独な男がニヒリズムを超えてヒーローになる姿が心を打ちます。

GM:やっぱり愛というものがあってこそ、はじめて変化を生みます。愛だけが、人を変えられると信じています。人の奥底を変えられるのは、自分に対する愛がなければならないと思います。ただ、そう簡単に自分は変えられるものではありません。子どもの時は割ともう少し簡単に自分を変えられると思うのですが、大きくなるとどんどん自分を変えていくことは難しくなっていきますよね。どんな人でも自分を変えたい時には誰かの手が、他者が必要だと思います。

——本作のエンツォは一度死んだような状態から超人的あるいは超自然的な力を得て、プリンセスの前にある種の救世主として現れますが、このような物語はイタリアではどのように受け入れられたのでしょうか。

GM:イタリアでは口コミで話題になり、徐々に観客が増えていきました。一度公開が終わっても再上映、再々上映と3タームに渡ってロードショーされ、最終的には8ヶ月間に及ぶロングランとなりました。漫画やアニメのファンだけではなく、意外にもご老人からも好評だったことは嬉しい驚きでもありました。また、パオロ・ソレンティーノ監督やマッテオ・ガローネ監督もノミネートされているなか、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞することができたのは大変光栄なことで、まったく思ってもみなかった出来事でした。

——昨年のイタリア映画祭で来日された際に、次作は友情をテーマにした映画になるかもしれないと明かしていましたが、そちらのプロジェクトも進んでいますか。

GM:二作目として友情を語ることは前々から決めていました。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』も愛の物語ですが、次の映画も愛という意味では友だち同士の友情に関わる話になる予定です。本物の友情というのは、家族と同じぐらいの絆をもたらすものだと思っています。

取材・構成・写真:常川拓也
映画批評。「ことばの映画館」編集委員。「i-D Japan」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等で映画評やインタビューを執筆。

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