オムニバス映画『葉子の結婚・水曜日』佐藤組レポ

報告:渡辺進也・松井宏

 9月末日。天気は雨。佐藤組の撮影の現場に誘ってもらった。これは『最履修 とっても恥ずかしゼミナール』刊行記念として、11月5日より行われるアテネ・フランセ文化センターにて行われる「万田邦敏の“可視の100と不可視の100”」最終日に上映されるオムニバス映画『葉子の結婚』の撮影現場である。佐藤央監督から現場に遊びに来ないかと言われたのが事の始めで、ついのこのこと私たちはお邪魔させていただいたのだった。
 私たちが撮影現場にお邪魔したのは撮影3日間のうちの2日目からであったが、監督はじめスタッフはホテルに泊まりこんで撮影に臨んでいるということ。物語上、夜のシーンが存在せず、基本的には自然光をメインにするため撮影はこの日も早朝から行われていた。短パンにサンダルの佐藤監督。

 「お邪魔をする」と言うくらいなのだから、基本的にわたしたちは撮影現場において邪魔者なのである。現場に到着し、スタッフ&キャストの皆さんに挨拶をした後、それを痛感する羽目となる。つまり、何もすることがない。気軽に遊びに来たらいいよといういただいた言葉をそのまま鵜呑みにするわけにもいかないだろう。ということでまずは、いったいこの現場で自分に何ができそうなのか様子を探ってみる。キャストの方々(汐見ゆかりさん、スズキジュンペイさん、杉山彦々さん、小野ゆり子さん)と談笑? いや、そんなことはおこがましい。撮影&照明(四宮秀俊さんが両方を担当。アシスタントに阿部史嗣さん)、録音(新垣一平さん)、美術(田中浩二さん)、助監督(三宅唱さん)、製作部(草野なつかさん)、スタイリング(小磯和代さん)、どれをとってもわたしたちの手におえるものではないし、そもそものところわたしたちの力など必要としていないだろう。「自主映画」という形態だろうが、ことは単純、皆プロフェッショナルだ。スタッフの皆さんは監督とほぼ同年代かさらに若いぐらいで、わたしたちも年齢的にはそこに嵌まるわけだが、そんなことは何のタシにもならない。仕様がない。フレームに入り込まず、余計な音を立てず。まずもって任務はそれだ。お邪魔とはいうものの、本当に邪魔をしてはどうしようもない。

 佐藤監督からは数日前に脚本を送ってもらっていた。するとタイトルは『結婚学入門』(恋愛編)とある。ロケ場所はホテルとある。エルンスト・ルビッチの名を思い起こしつつ読み進めてみる。するとこれが、どうやらスクリューボールコメディなのかしらと勘付く。いや、そこまでいかなくとも、レオ・マッケリー風のソフィスティケイティド・コメディ(舌を噛みそうだ)なのかしらと。問答のかみ合わない人物同士のすれ違い。出てくる人物々々、みずからの仕事を放り出して勝手に動き出す。愛すべき役立たずたちがホテルの部屋を度々出入りする。
 オムニバス映画のタイトルは『葉子の結婚』とあるが、この作品には当の葉子は登場しない。おもな登場人物となるのは、葉子の高校時代の同級生にあたる山崎典子なる化粧品会社の社員とその同僚の中川和彦なる人物。そして、ホテルの従業員たちである。

 簡単なあらすじはこうである。友人・葉子の結婚式を週末に迎える水曜日。典子は新型かつらの講習会のために、同僚の和彦とホテルにやってきている。しかし、送っておくよう頼んだはずのマネキンが到着しない。会社の不手際にいらだち、こんな会社やめてやると息巻く典子を和彦はなだめながら、従業員にマネキンを用意するように頼むのだが……。

 この映画はその撮影をホテルのふたつの部屋と廊下を用いて使われている。部屋の大きさは10畳ほどだろうか。部屋の内部を説明すると扉を開けるとすぐバスルームがあり、その奥にふたつのベッド、机と2脚の椅子、壁際には鏡と電話やカップルの人形などが並ぶテーブルが置かれている。カップル人形は、タキシードとウェディングドレス姿の新郎新婦さんだ。「この人形クルクル廻らないのかなあ?」と、スタッフたちの談笑が聞こえる(実際には廻らない)。マッケリーの『新婚道中記』で、男と女の和解直前、人形時計が重要な役割を果たしていたのを思い出す。いざとなればわたしたちが頭の上でクルクル廻しますぞ。秘かに無駄に意気込む。

 この部屋を見て真っ先に思ったのはその狭さであった。着いてそうそう佐藤監督と簡単な会話を交わしたときにも、カット割が作りにくい、ホテルがここまで撮り辛いとは思わなかったと話していた。
『シャーリーの好色人生』のときに、佐藤組の撮影現場は経験しているのだが、その大きな特徴はカット数の多さにある。ひとつのシーンのなかで登場人物がうごくときに、キャメラはひとつの位置からその人物を追うのではなく、キャメラの位置ごと変わることとなる。ふたつの人物が会話をする場面となれば、最低でも5つのカットが必要となる。話している人物のアップ、それを聞く相手のアップ、それぞれの肩越しにお互いをとるカット、そしてふたりを横から引きの画でとらえるカット。このカット数の多さが佐藤監督の作品にリズムをもたらしているのだ。それは、佐藤映画の強みであり、生命線といってもよい。
 部屋が狭いということはキャメラの置く位置も限られるということである。シーンの全体を説明するカット、引きの画を撮影するとき、キャメラポジションは随分と窮屈な位置となる。
 最初に室内を見たときにどうなるものかと、『シャーリー』のときとは違うやり方をするのかと思ったのだけれど、困難な状況であろうともひとつひとつおさえの画を撮っていくのに感心する。キャメラはときに部屋の外に置かれ、壁際にぴったりとくっつけられ、部屋の中を端から端へ、対角線上にと、縦横無尽に位置を移動する。

 例えばこんな場面がある。

和彦「とにかく落ち着けよ。君はいつだって極端すぎる」
典子「ダメよ、あのマネキンがなきゃ。せっかくの新型カツラが台なしだわ。なにもわかってないのね」
和彦「おいおい、そんなこと言うなよ。大人だろ」
典子「もういいのよ。私決めたの。とにかく辞めて、もっとわたしのことをよく分かってくれるところにいくわ」

 このふたりのやりとり、15秒ほどで台詞も言い終わるだろうシーンが、ここでは(たしか)6つほどのキャメラポジションから撮影されていたことを記しておきたい。もちろん明確なカット割の元においてだ。後にこのシーンがどのように編集され、上映されるのか、ひとつ楽しみにしたいところだ。

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