安井豊作×真利子哲也 (司会:杉原永純)
2011年12月12日 @オーディトリウム渋谷

――いま皆さんには真利子哲也監督の『マリコ三十騎』(04)をご覧いただきました。真利子さんは当時2003年、法政大学の日本文学学科に在籍中にこの作品を撮られました。これから皆さんには安井豊作監督『Rocks Off』をご覧いただくわけですが、この2本を並べたのは、どちらも法政学館を画に収めているからです。まず安井さんから、初見のこの作品への感想を伺えればと思います。

安井実はもうちょっと「園子温」的なものを想像していたというか……。いまや若い人たちにとっては人気のある監督になってしまいましたけど、園子温監督も法政学館に出入りしていた時期があるんです。でも『俺は園子温だ!』(85)みたいな、「自己表現したいんだ」というパフォーマンス映画ばかり撮っていて、「やってもいいけど人に迷惑をかけないでね」と、そういうイメージがあった。ですが真利子くんの映画はちゃんと「場所」があって、ドン・キホーテ的にフンドシ一丁で走り回る。ましてや祖先が海賊であったという、血の問題として語っているので、ドン・キホーテ的闘いとしてはとてもよく健闘したなと思って見ていました。ひとつ質問で、最初と最後に粒子の粗い映像が出てきますが、あれは?

真利子8ミリですね。基本的に自分にとって重要だったのは「学館」というよりも8ミリなんです。当時、ちょうど2000年ぐらいからデジタルビデオをみんな買うようになって、その代わりにシングル8がなくなってしまったわけです。それと自分にとっての学生会館とがリンクしていて、どちらかというと「8ミリで撮った」「8ミリのことを題材にしたかった」という方が強かったんですね。

安井なくなりつつある8ミリに対して、学館もなくなってしまいましたけど……。ちょっと学館の説明を少ししておいた方がいいのかな。法政大学の学生会館なんですが、略して「学館」とみんな呼んでいたわけです。学館には本部棟とホール棟があるんですが、1972年、まだ浅間山荘事件あたりのころですか、学生が学校からその運営権を無理矢理奪ってしまった。当初は当然学校側が管理をして、借りるときには申請書を出して。という手続きが必要だったんですが、私の知らない先輩たちが占拠して、自由に使えるように自主管理するようになった。『マリコ三十騎』のなかにもひとつカットがありましたが、左側のグレーの壁のところがホール棟、右側のわりと細長い建物が本部棟といいまして、サークルのボックスがあったり、1階には自治会が陣取っています。そんなところです。学生が自主管理して、あらゆるジャンルの「アート」というとおかしいですけど、とにかく自由に何かをするのに利用することができた。ところで、真利子くんが学生だったのは何年から何年?

真利子ぼくは2000年から2004年です。ちょうど学生会館と反対側にあるボアソナードタワーというビルが使われはじめた2000年に入学したわけです。ボアソナードタワーというのは当時、教授室ばかりが入っていて、授業をやる教室がほとんどなくて、たんなる「飾り」だったんです。1階がカフェテラスになっていたんですが、ぼくはどうしてもそこに馴染めなくて。それが4年間ずっと続きました。

安井じゃあずっと密かにこの作品の計画を立てていたわけですね。

真利子溜まっていたものがあったわけです。ただホール棟もあまり自分は馴染みがなくて、どちらかというと本部棟の方に馴染みがありました。たぶんどの時代もそうだったと思うんですが、自分が2年生のときに入った映画サークルにはほとんど映画を撮っている人なんかいなくて、寝泊まりしたり、たんに集まる場所でしたよね。

安井ぼくは79年入学で85年卒業です。2年ほど延長して大学にいました。そうそう、法政の現役学生で、これまで学館でやったあらゆる催し物の資料を集めてきて、なおかつ学館を動かしていた人々にインタヴューしている若者がいましてね。興味のある方はそのブログを覘いてみてください( http://d.hatena.ne.jp/hosei-culture/)。彼は学館も知らずに入学したわけだけど、彼に限らず、学館というものに——すでに喪失しているにもかかわらず——固執している人たちがなんだか多いんですよね。

真利子昨日の佐々木敦さんとの対談でも、安井さんは当時ほとんど学館に住んでいたとおっしゃっていましたね。それはホール棟の方ですか?

安井うん。まあぼくも「ロックスオフ」や「シアターゼロ」ばっかりやっていたわけではなくて、それを統括する事業委員会というところで会議室の鍵の貸し出しのような日常業務もしていましたから。ちょうどぼくの頃は、町田に大学が移転するという学校側の思惑があった。いまとは逆で、都心に学生が集まるとまた何か良からぬことを——そんなことはないと思うけど——するんじゃないかと思われていたんですね。筑波大学が最初のテストケースになると思うんだけど、広いところでなおかつ監視カメラがあるという大学が郊外にたくさん作られた。たぶん真利子くんの頃はその逆で、学校側は都心の大学をいかに立派に見せるかということをやっていますよね。

真利子たぶんそうですね。ボアソナードタワーもそのひとつでしょう。

安井明治大学もそうだしね。

真利子ええ。明治大学のリバティータワーの後追いにも見えますよね。ところで先ほど園監督の名前を出されましたよね。自分が入りながらもほとんど活動していなかったサークルが「C.O.M.(コム)」という名前なんですが、どうやら園監督もそこのメンバーだったらしいです。ぼくは入学してから園監督の自主映画を見ているんですが、とくに真似たというわけではなく、結果的にそうなっていたということなんです。

安井自分でパフォーマンスをやる人の映画って、言葉が適切かどうかわからないけど、ふつうは自意識過剰なところがなきにしもあらず。でも真利子くんのは「これだ、これが俺なんだー!」というわけではない。ある意味で学館への見切りの付け方として良いと思うし、良い離れ方をしたんじゃないですかね。

真利子ぼくの高校は卒業してからすぐに合併でなくなってしまったんです。つまりぼくがなにかを卒業するとその場所が全然違うものになってしまうわけです。学館も明らかにぼくがいた4年間でいろいろ変化がありました。これはきっとキレイごとばかり言っていてもしょうがないなという感覚がありました。8ミリに関してもそうです。悪い言い方かもしれないですが、「がんばろう」というよりは「これを活かそう」「この状況で何ができるかを考えよう」ということでした。もう負けるのはわかっていながらやっていたんです。

安井そのあたりはとっても潔いなと思いながら見ていました。

――真利子さんは昨日『Rocks Off』をご覧になりましたが、いかがでしたか。

真利子『マリコ三十騎』に関しては「物語を撮る」ということをやりました。お客さんというのは「物語」を見ているんだなと、当時思っていたからです。でも『Rocks Off』に関しては、昨日の対談でもそういった部分を極力排除しようとしたと話されていましたね。なぜそうされたのでしょうか?

安井撮影の際にはとりわけ何も考えずに、学館のなかを上から下まで記録として残そうと思って撮影していました。ただ、しばらく寝かしているうちに、当時なかにいた人たちには面白いかもしれないけど、でもこれだと、もうなくなってしまった学生会館の案内ビデオになっちゃうなと思った。それで外から見て、いったい何がこの建物の特徴なのかと考えたとき、学館のあの独特な、暗く曇った感じというのは「壁」にこそ現れているんだなと思い至った。あらゆる落書きが幾層にも重なり合って、もはや何が描いてあるかわからない。あの壁こそが、見た目におけるいちばんの特徴なんじゃないかと。そこからは早かったですね。

真利子安井さんはそこに住んでいましたし、強い思い出があったはずですけど、そういうものは邪魔にならなかったですか?

安井僕のなかではもっと前からすでに終わっていて、いずれこういう日が近いうちに来るだろうと思っていた。ミュージシャンの灰野さんとは——彼はいちばん「ロックスオフ」とゆかりの深い人ですが——これまで出てくれたバンドを呼んで、どーんとオールナイトで3日間コンサートやったら面白いだろうなと話していました。ですが、なにせ学館のなかにいる現役学生たちの、その自主管理ぶりがすっかり弱体化している。大学当局もたぶん長年の計画で徐々に真綿で首を絞めるように追いつめていったんでしょうね。
 2003〜04年に火事があって学館が閉鎖されたわけだけど、あれだっておかしいよね。それで新しい場所を作ってくれるからってことで学校側に学館を明け渡しちゃうなんて。新しい場所と言ったって、あんなに自由にやれる建物をつくる気なんて学校側にはさらさらないわけですから。

真利子安井さんなり灰野敬二さんなりがつくってきた学館の文化みたいなものが過去にあって、それは知識として自分のなかにもあったわけです。ただ『Rocks Off』で灰野さんがピアノを弾く姿と——これは意図してだと思うんですが——クレーンで学館を壊していく映像とがすごくリンクして見えて、いわゆる学館時代をつくってきた人たちがそれを壊すこともしてくれた、そんな思いで見ました。自分たちはたぶん学館の幻想のなかで生きていたので、『Rocks Off』を見て「あ、終わった」という感じがありましたね。

安井嬉しいですね。ホントはね、灰野さんいわく、ホール棟の解体をちゃんと撮ってないのはダメなんじゃないのと。でも最終的にホールでやったグランドピアノの演奏で、もうこれ以上は……。ぼくとしては終わった感じがしたんです。
 ちなみに今回上映する『Rocks Off』は、ほぼ完成ヴァージョンです。いじるとしたら、タイトルのロゴを変えてもうちょっとカッコ良くするとか、130分を120分に縮めるべきか否か、というぐらいでしょうか。もし短くしてどこかのシーンが削られたら、みなさんがこれから見るものが完全版になるわけです。

真利子哲也(まりこ・てつや)

1981年生まれ。法政大学在学中から8ミリを愛好し、個人映画に感銘を受けつつ映画制作を開始。2003年『極東のマンション』で13の映画祭から招待され、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門グランプリなどを受賞し、注目を集める。翌年の短編『マリコ三十騎』では、世界でもっとも歴史のあるオーバーハウゼン国際短編映画祭の映画祭賞を受賞。その後、冨永昌敬監督、松尾スズキ監督らのメイキング・ディレクターを担当しつつ、短編・中編を制作。2007年に東京芸術大学大学院映像研究科に入学。修了作品『イエローキッド』(10)はロードショー公開され、国内外16の映画祭でも上映された。また2011年ロカルノ国際映画祭で招待上映されて話題を呼んだ最新中編作『NINIFUNI』が、2012年2月よりユーロスペース他全国順次ロードショー。