『夜明けのすべて』特集

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

端役も含めた画面を行き交う複数の人物たち、あるいはその場所をそれぞれ輝かせること。前作『ケイコ 目を澄ませて』ではひとりの俳優によって力強く演じられた人物を通して見えてきたそんな光景が、今作『夜明けのすべて』においては、軽やかに演じられた、刹那的でしかないふたりの関係を中心としながらも成り立っている。三宅唱は日本映画ではほとんど見られなくなってしまった長屋的な光景を当たり前のように画面に息衝かせているのだ。もちろんそのためには当たり前ではない創意工夫と繊細さを必要としているはずだが、それを画面からあからさまに感じさせないところに驚くべきだろう。今回は監督インタビュー、複数の論考とともにそんな三宅唱の社会に迫る。

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『夜明けのすべて』

出演:松村北斗 上白石萌音
渋川清彦 芋生悠 藤間爽子 久保田磨希 足立智充
りょう 光石研

原作:瀬尾まいこ『夜明けのすべて』(水鈴社/文春文庫 刊)
監督:三宅唱
脚本:和田清人 三宅唱
音楽:Hi'Spec

製作:「夜明けのすべて」製作委員会
企画・制作:ホリプロ
制作プロダクション:ザフール
配給・宣伝:バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース
©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会

公式サイト:yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp
公式X:@yoakenosubete / 公式Instagram:@yoakenosubete_movie / 公式TikTok:@yoakenosubete_movie

三宅唱インタビュー いつまでも出会いの途中

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

地理的にも、時間的にもそれほど広大ではない、どちらかといえば狭い関係、短い期間を扱っているにもかかわらず、三宅唱の映画は窮屈な印象がほとんどない。これはあらゆる可能性に満ちた世界の一部なのだと感じさせてくれる。その印象は今回でいえば多くの人がさまざまな過去を持っているとか、あるいは宇宙とか、脚本やテーマだけに支えられているものではないはずである。今回は演出に焦点を当ててそのことを伺った。

見えないものを知ろうとするところにたどり着くために

──藤沢さん(上白石萌音)の背中から映画を始めようと決めたのはどの段階だったのでしょうか?

三宅唱(以下、三宅) 具体的な質問をありがとうございます。シナリオを書いている段階でした。ただし、背中からと決めていたのではなく、顔ではないだろうな、という考えだったように思います。もともと、冒頭は主人公のPMSの波が頂点に達した直後の場面からはじめたいと考えて、何パターンも書き直していたんですが、あるとき、梅ヶ丘のバスロータリーの隅で路面に横たわっているリクルートスーツ姿の女性を目にしたんです。近くのスーパーの店員が声をかけていて、警察官がやってきて、多くの人は足を止めずに駅へ歩いていて。そういう光景を反芻しながら、この映画はまず街角にキャメラをむけて、ふだんなら見逃してしまうかもしれない彼女のような存在を発見するところから始まるんじゃないか、というように想像しました。となると、急には顔を撮れない。現実でも、ロータリーで突然顔の目の前で撮り出すなんてあり得ないし。それで、警察に声をかけられて体を起こす、その流れであれば自然と彼女の顔が見えてくるから、ト書きもそういう書き方をしていました。最初は「女」で、顔が見えてから「藤沢美沙」と。

続き

ただ隣にいる

浅井美咲

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

  映画の中盤、山添くんの恋人である千尋は、山添くんの家の前でばったり出くわした藤沢さんに「有り難うございます、彼と向き合ってくださって」と告げる。それに対して藤沢さんは「いえ、たまたま隣の席に座っているだけなので」と間髪入れずに答える。この「たまたま隣に座っているだけ」という表現は、山添くんと藤沢さんの関係を考えるとき、このうえなくしっくりくる言い方であるように思う。「向かい合う」のではなく「隣り合う」。二人は恋人になることはないし、友達だとも明示されない。切り返しがほとんど使われず、同じフレームの中に一定の距離を保って収まり続ける山添くんと藤沢さんは明らかな言葉で表すことはできないけれども、しかしたしかな関係を築いていく。
 山添くんと藤沢さんが映画の中で初めて同じフレーム内に収まるのは、藤沢さんが山添くんのデスクまで差し入れのシュークリームを持っていくシーンであるが、山添くんは生クリームが嫌いだとその差し入れを返し、藤沢さんは彼の素っ気なさに狼狽える。イヤホンをしてスマホを観ている山添くんの背後から藤沢さんがシュークリームをそっとデスクに置き、足早に山添くんがフレームから立ち去っていくまでのこのシーンの中で、藤沢さんはずっと山添くんの方を見ているものの、山添くんが彼女のことを見ることはなく、二人は正対することすらない。立ち上がった山添くんは少し手前にいるためか頭の上がフレームから切れて藤沢さんよりも随分大きく見えて、対して藤沢さんがとても小さく見える。このように映画の序盤、二人の間には上手く噛み合わない居心地の悪さが漂っていて、観ている我々にもそれが伝播してくる。
 山添くんが会社で発作を起こした後、藤沢さんは彼の自宅まで食料や飲み物を届ける。この時藤沢さんは山添くんにパニック障害かどうかを聞き、自分もPMSで同じ薬を飲んだことがあると告げる。狭い玄関先を舞台とすることで、必然的に二人は向かい合うことになり、それをキャメラが横から捉えている。藤沢さんは山添くんを見上げ、どこか彼の顔色を伺いながら話す。そもそもすぐに立ち去ろうとした藤沢さんを呼び止めて玄関前に戻らせたのは山添くんだが、彼も初めて藤沢さんに正対している一方、ドアの前に立ちはだかることで、藤沢さんがそれ以上踏み込むことを暗黙のうちに禁じているようにも見える。藤沢さんは山添くんに「お互い無理せず頑張ろう」と告げるが、山添くんはその言葉が腑に落ちない。PMSとパニック障害はしんどさやそれに伴うものも全然違うのではないか、と。少し間が空いた後、「病気にもランクがあるということか、PMSはまだまだだね」と言い残し、藤沢さんは張り付けた笑顔で足早にフレームから去ってしまう。山添くんの首を傾げるリアクションは、おそらく藤沢さんが自分の言葉を誤解していることへの戸惑いを示しているのだが、向き合っているにも関わらず、藤沢さんは彼のその違和感を見逃してしまう。向き合ったからこそ、互いの事情を告げることができた。しかし同時にこの場面においても二人はまだ噛み合っていない。

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