『生まれ変わらないあなたを』ゆっきゅんインタビュー
「邦画として書かれたかけがえないものたち」

『生まれ変わらないあなたを』収録曲

  1. ログアウト・ボーナス
  2. 幼なじみになりそう!
  3. プライベート・スーパースター
  4. かけがえながり
  5. 年一
  6. Re: 日帰りで – lovely summer mix
  7. 遅刻
  8. だってシンデレラ
  9. lucky cat
  10. シャトルバス
  11. 次行かない次
  12. いつでも会えるよ

主人公が別でいる感じ

ゆっきゅん ファーストアルバムまでにつくった曲と今回のアルバムの曲の違いとしては、作詞をしている時に自分が全面に出る感じじゃなくなった、ということですかね。歌っている人が前に出るのではなくて、主人公が別にいるというか、「映画をつくる」ような感じ。そんなイメージで作詞するように変わってきた感じがあったのが「ログアウト・ボーナス」です。「年一」の方が先にシングルリリースしているんですけど、「ログアウト・ボーナス」の方が作詞をしたのは早くて。
 2022年に公開された『WANDA』(バーバラ・ローデン、1970)がすごく好きで。ああいうひとりで歩いている、歩いてるだけでさまよっている感じになっちゃう孤独な大人の女性が出てくるロードムービーが自分の中に残っていたんですよね。特に2022〜23年にかけて、そういった映画が続けて公開されるような状況があったと思うんですが、ひとりでさまよう女性の姿を歌で歌えたらいいなという思いがぼんやりまずありました。『冬の旅』(アニエス・ヴァルダ、1985)とかは私が歌うにはちょっと悲しすぎるんですけど、歩いてる情景を歌にしたいという思いがあったんです。いろんな映画のとぼとぼ歩いてるシーンが好きなんですよね。『リコリス・ピザ』(ポール・トーマス・アンダーソン、2021)でも、好きだったかもって思い出すのは、歩いてたシーンで。別に名場面じゃないと思うんだけど(笑)。観たのは作詞の後ですが、『アル中女の肖像』(ウルリケ・オッティンガー、1979)もすごく好きですね。

——『リコリス・ピザ』は主人公ふたりが走るシーンが印象的ですけど、そうじゃなくて歩いているところなんですね。

 退屈なパーティーを抜け出して楽しいところに行くんじゃなくて、退屈なパーティーが本当に退屈で、出てきて歩いてるみたいなシーンを覚えてるんですね。『ブリジット・ジョーンズの日記』(シャロン・マグワイア、2001)でも、変なバニーガールの格好して、すごく惨めな気持ちになっても着替えることもなく歩いてるみたいな、そういうところにおかしみがあるというか。それでのたうち回ることもなく、もうただひとりで自分の家に帰る。そういう場面の哀愁というか、ブルースみたいなのが自分の中にあって、それを歌いたいなっていう気持ちがあったんです。
 「ログアウト・ボーナス」を作詞するときは一気に書いたんですけど、いわゆるリファレンスみたいなものがこれまで挙げたような映画だったとして、私がアメリカ映画やヨーロッパの映画みたいなものを書こうとしても書けないというか、書いても意味がない。自分がそこに描かれていると思ったものを日本映画として、邦画として書くつもりでやっています。邦画として書くってなんだよって感じなんですけど(笑)、もうそうとしか言いようがない。その時観直したわけではないけど、『百万円と苦虫女』(タナダユキ、2008)とかそういった2000年代の日本映画、岡山県にあるシネマ・クレールというミニシアターで自分が観てきた映画の空気感は意識してました。あくまで自分の記憶の中の日本映画で、改めて照らし合わせてみると違うかもしれないんですけど。そんな風に映画を観るように、撮るように歌詞を書いたのは「ログアウト・ボーナス」が初めてでした。そしてこの曲以降、アルバム制作を通して、今までよりももっと、大学で映画を研究してひたすら映画を観ていた頃の自分と、今の活動がつながっていったように思えましたね。
 あとこれは本当にちょっとマジカルな感じで、関連性が見当たらないと思うけど、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(シャンタル・アケルマン、1975)を映画館で観てるときに、「ログアウト・ボーナス」っていうタイトルを思いついたんです。別に具体的にどのシーンがとか、物語がとかも関係もなくて、目の前の映像とは関係なく、ふと降ってきたんですよね。だから「ログアウト・ボーナス」の中では『ジャンヌ・ディエルマン』について書かれていないとしても、『ジャンヌ・ディエルマン』がなければこの曲は生まれてなかったんですよ。
 詞で好きな映画の特定のシーンを描写したりすることはなくて、ただインスピレーションとしか言いようがない関係性くらいかもしれないけど、あの映画を観てなかったら思いついてない言葉とかが散りばめられてるとは思います

——MVをつくるときにインスピレーション元の映像を参考にしたりしますか?

 MVを監督しているわけではないので私が言うのも変ですが、あまりないかなあ……。でも監督にはできるだけ伝えますね。「ログアウト・ボーナス」のMVは、監督の金子由里奈さんとプロデューサーの二井梓緒さんが中心になってつくってくれていて、縁石の上を両手でバランスをとりながら歩くシーンは、『リバー・オブ・グラス』(ケリー・ライカート、1994)のオマージュだったり、唐田えりかさんが水色の服着てるのは、WANDAのイメージだったりとかしてますね。

 「ログアウト・ボーナス」のMVに唐田さんが出てくれることになったのは、唐田さんが主演した『朝が来るとむなしくなる』(石橋夕帆、2023)という映画を私がたまたまシネクイントで去年の12月に公開初日に観て、すごく良かったんですね。それだけじゃなくて、内容が「年一」と(当時未発表の)「ログアウト・ボーナス」とを組み合わせたような映画だけど、これどうした?って思ってびっくりして。この映画には、私の曲を聴いてくれてる人は絶対すごく共感する部分があると思ってそういうことを書いたら、石橋監督からアフタートークに出てくださいとオファーされて、そこに唐田さんが来てくださったんですよね。
 その後ご飯に行って、監督にも唐田さんにも私の曲とこの映画の親近性の話をして、たしかにこれは影響関係がないのはおかしいと盛り上がって、唐田さんが「MVに出たいです」と言ってくれて。それを真に受けて、数ヶ月後に出演を依頼しました。

「みんなが本当に思ってることを思ってほしい」

——「ログアウト・ボーナス」についてどうしても言っておきたいのは、やっぱり「誰にも何も思われたくない」というフレーズが最高すぎるということです。

 私は同じフレーズをあまり繰り返さないんですが、あのフレーズは6回も繰り返してます(笑)。「誰にも何も思われたくない」って前向きな気持ちではないかもしれないけど、たとえば仕事を辞める時に明るい気持ちと暗い気持ちがどっちもある中で、仕事を辞めてこの曲を聞く時には明るい気持ちになれるように歌いたかったんですよね。

——文字通りの意味はネガティブかもしれないけど、この曲においてはとてつもなくポジティブに聞こえます。

 金原ひとみさんもそう言ってくださいました。「誰にも何も思われたくないって本当に真理です。この一文だけで涙が出ます」と一昨日LINEが来ましたね。首藤凜さんもこの曲を聞いて「作詞って賞とかないの?」と言ってくれましたね。映画はいろんな賞があるのが前提だから。首藤さんには、「生まれ変わらないあなたを私が見てる」と最後に急に視点が変わるのがすごいとも言ってもらいました。映画の人の見方だなと思いましたね。

——それは詞を書いているうちに自然と視点が変わっていたってことでしょうか?技術的に意図したことではなくて。

 全然技術とかじゃなくて、自然と変わってました。ただ、山田優の「REAL YOU」という曲に「生まれ変わった わたしを見てよ」という歌詞があって、それの裏返しなんです。これまで「人々の内に秘めたDIVA性を目覚めさせる」と言ってきたけど、普通の自分がDIVAに“変身”するというような捉え方をされることが心外で仕方なくて(笑)。『DANCESELF』という歌でも「変身なんて必要ないって見ればわかるでしょ」と歌ってますね。いろいろ考えていたら、「生まれ変わらないあなたを私が見てる」というフレーズが浮かびました。

——「生まれ変わらないあなたを」も「誰にも何も思われたくない」も、言葉の上では否定形だけど、肯定してるというか。なにか他のものを否定してるんじゃなくて、否定されることを否定してる。他の曲でも、「Re: 日帰りで – lovely summer mix」の「探さなくてもいいかも 不幸中の幸い」とか「かけがえながり」の「かけがえないまま新しくなろうぜ」とかにも通じるものを感じます。ハーマン・メルヴィルの『バートルビー』の「〇〇しなくてよければいいのですが=I would prefer not to 〜」みたいです!。

 「しなくてもいい」ね……。しなくてもいいっていうのは、本当にずっとそうだと思ってます。みんなしなきゃいけないと思ってることが多すぎる。抑圧というか、暗黙の空気があるじゃないですか。だからと言って「空気を読まずにやりたいことをやればいい」とは言えないんですよ、「本当にやりたいことをやる」のには行動力とかも問題になってくるので。行動できる人はやればいいし、できなかったらしなくていい。でも、みんなが本当に思ってることを思ってほしい。
 自分の心の中で嘘をついている状態とか、思ってるけど考えないようにしてるみたいな、そういうのが悲しいんですよね。別に私の歌の中に共感とか、「これは自分のことを歌ってくれてるな」と思わなかったとしても、みんなが自分の言葉で話してくれたら理想的な世界だなと思います。みんなが本当の気持ちに出会うような曲にしたいけど、私の想像力なんて限界があるし、あるあるが歌いたいわけでもないので、そこは祈りに任せる部分ですね。

ふたりともが超かっこいい存在

——「プライベート・スーパースター」は、ゆっきゅんさんと君島大空さんの歌割りがおもしろいですよね。一番のBメロの途中で君島さんの歌声に切り替わる。これまでのどんな曲でも聞いたことがないような構成でびっくりしました。

 これは前もって決めていたわけではないんですよ。レコーディング前日くらいに最終的な歌詞が書けて、「明日録るけど、歌割り決めてないね」って(笑)。心のやりとりばかりしてて、実務的な動きを全然やってなかった。
 ただ、この曲は君島くんと一回きりのつもりで一緒につくった曲だから、完璧にいいものをつくりたかったんですよね。普段あんまり完璧さみたいなものにこだわりがないんですけど、でも超いいものじゃないと嫌だと思って、しっくりくるまで歌詞を書き直してました。
 前日に私が一応歌割りをつくって送ったけど、結局レコーディング当日に相談しながら歌いました。最初はもっと交互に歌う感じで提案してましたね。でも、この曲はふたりで歌うための歌だし、人と人が出会う歌ではあるんだけど、ひとりぼっちについての歌でもあるから、しばらくひとりで歌っている方がしっくりくるみたいなところもあったんです。はじめはAメロゆっきゅん、Bメロ君島くんになりそうだったんですけど、「いやここはどうしても歌ってほしい」とか「私は絶対ここを歌いたい」みたいな箇所が出てきて。たとえば、最後のサビの「ずっと一人でいた海だって 空に変わるよ 手を繋いで」は君島くんに歌ってほしくて書きました。

——せっかくふたり登場するから、呼びかけている人と呼びかけられている人みたいな設定にもできるじゃないですか。でもそうじゃない。

 いい指摘ですね。それは最初からなかったです。どういう曲をつくるかという段階で話し合った時に、安直だけど、かっこいい歌がいいと。男女デュエットっぽい感じにせず、どちらかがどちらかにしなだれかかったりしない、ふたりともが超かっこいい存在としてやりたいと話していたんです。
 ワンコーラスのデモを聴いて歌詞を書いた時に、つまり「セカイ系」だって私は思ったけど、君島くんにはそういう語彙はない。君島くんに音楽的なリファレンスを私が出しても仕方ないと思って、イラストや写真をLINEのアルバムにまとめて見てもらいました。タカノ綾さんの画集や漫画を貸したり、『溺れるナイフ』(山戸結希、2016)のラストシーンを見せて。海辺でふたり乗りで薔薇がパーッみたいな感じをちょっと意識してもらったかな。あとこれは伝えてなかった気がするけど、なんか新海誠監督が描きそうなかけがえのない関係のふたりが空へ上昇してゆくシーンを久野遥子さんの作画で見てるみたいなイメージを私は勝手に浮かべていました。
 あと、『キッズ・リターン』(北野武、1996)のイメージもあった。なんかふたり乗りみたいな感じ。向き合っているんじゃなくて、同じ方向に進んでいく。別々の道を進んできたけど、道が合流して、この地点で会えたみたいな。君島くんと私はずっとひとりで走ってきたいうのがお互いにわかるから、特になんの説明もいらずに仲良くなったみたいなところがあります。ふたりともずっとスーパースターだったんです。
 作詞とかレコーディングをした段階で、なにが仕上がっているのかまだ把握できていないまま泣いてたみたいな、そういう感じがあったし、最後の「悲しみも もう怖くないんだよ」という歌詞は、君島くんがフルコーラスのデモを送ってきた時に、私が泣きながら思ったことです。ひとり閉じこもっていた狭い部屋から連れ出してくれる、窓を突き破る光の突風みたいな曲だと思った。この曲があれば大丈夫な気持ちになれる曲。そういう初めて曲を聞いた時の印象がそのまま歌詞に入っていたりもします。
 君島くんがJ-POPをやってくれるっていうから、だったらJ-POPで何度も使われてきた、聴き慣れてしまった語彙もあえて使おうと。平易な言葉をもう一度手づかみで取り戻したり、あわよくば意味を新鮮なものに更新したかったです。だから「ゆっきゅんワールド」とかは安易に言われない歌詞になってると思います。

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