小津安二郎にインタヴューする。
鈴木清順にインタヴューする。
相米慎二にインタヴューする。
これにサミュエル・フラーとアキ・カウリスマキを続けてもよい。とにかく彼らの作品に感動したものだから作家に話を聞いてみたくなる、という心情は素直なものだ。しかし、いくつかの質問と返答が繰り返されるうちに、われわれの愚直な期待はしだいに裏切られてゆくことになる。「真の意図」「創造の方法」などもちろん聞き出せるはずはなく、彼らの語る言葉は、あの「傑作」がわれわれにもたらした感動や思考と食い違うことにもなりかねない。ああ、映画を追い続ける者は作家の言葉など信用してはならぬ、のか。
黒沢清にインタビューする。
『アカルイミライ』の主題的なモデルは『北国の帝王』である、と彼は答えて語る。70年代を規範とする彼の作品にあって、たしかに「二世代間の対立と対決」という点でふたつは類似しているが、『アカルイミライ』を見てアルドリッチを想起した者はいったい何人いただろうか。これまた黒沢清のもっともらしい話しにはぐらかされた気がしてくる。
そこで『曖昧な未来』の作家は戦略を練る。その結論は、『アクション、ヴェリテ』のゲームをすることである。彼に映画の「真実」を語らせるとわれわれはおもしろく説得されてしまう。だが、まあ語らせとおけばよろしい。そのかわりに、撮影現場での彼の「行動」をしっかりとカメラに収めておく。そして後に、その映像を黒沢清自身に呈示する。言葉に言葉をぶつける戦術ではなく、彼の身体的事実をつきつけるこの戦法。「真実=言葉」と「行動」のあいだで彼を動揺させ、挑発するのだ。「アクション、ヴェリテ!」。このとき彼を口ごもらせることができれば、ゲームはこちら側の勝ちだ。
(衣笠真二郎)
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