第2回 ディアゴナルと「1970年代フランス映画」(中)
1930年代フランス映画≒1970年代フランス映画
ポール・ヴェッキアリは1930年生まれ、すなわち、ゴダールやシャブロルと同い年で、ヌーヴェル・ヴァーグ世代に属するが、一貫して自らを「1970年代フランス映画」の作家と位置づけている。彼いわく、フランス映画の最も偉大な時代は1930年代であり、1970年代はその反復であった。ヴェッキアリの1930年代フランス映画論については以前別のところで詳しく論じた(註1)。ここでその要点だけをまとめれば、同時代のハリウッド映画に比べれば歪で、不完全で、素人的だが、その分自由でアナーキーなのが「1930年代フランス映画」だという主張である。ゴダールはかつて、「どれもが似通っているゆえにアメリカ映画を愛した」と言った。対してヴェッキアリは、どれもが似通っていないから「1930年代フランス映画」を愛する。あえて言えば、才能に恵まれない監督でさえ個性的な映画を撮ることができたのが1930年代フランスであり、ディアゴナルに到るインディペンデント映画の模索はその活力を取り戻すことを目的としていた。
ヴェッキアリにとって「1930年代フランス映画」は文字通りこの時代にフランスでつくられた映画全体を意味しているが、「1970年代フランス映画」はあくまで個人的な選択に基づく限られた作品群である。それは単に1970年代にフランスで撮られた映画ではない。また、前回触れた標準的なフランス映画史記述における1970年代のフランス映画でもない。さらに言えば、ヌーヴェル・ヴァーグ以後、その圧倒的、あるいは抑圧的ですらある影響のもと登場した新しい世代の作家の映画、例えば、ユスターシュ、ガレル、ドワイヨン、ピアラ、テシネといった、おそらく日本でポスト・ヌーヴェル・ヴァーグのフランス映画として真っ先に思い出されるような作品のほとんどは、ヴェッキアリが自らの信じる「1970年代フランス映画」とは見なさない類の映画である。
では具体的に彼の言う「1970年代フランス映画」とは何か。当然のことながら、ディアゴナル以前の自作やディアゴナルの作品はそれに含まれる。要するに、自分たちの映画こそが1970年代を代表する真のフランス映画だとヴェッキアリは主張したいわけで、それだけを取れば芸術家らしい自己肯定にすぎないかもしれない。しかし、ディアゴナルが生み出した映画──ディアゴナルが実際に製作した映画や、ディアゴナルでデビューした監督たちのその後の作品──を最も重要なポスト・ヌーヴェル・ヴァーグの映画とし、これを中心に据える形で1970年代以後のフランス映画史を捉えたのは、その運動の当事者だったヴェッキアリだけではない。
ロメール、ディアゴナルの映画作家たちを語る
たとえば、エリック・ロメール。『春のソナタ』(1990)公開に合わせた「カイエ・デュ・シネマ」1990年4月号のインタヴューで、最近の若い監督たちのフランス映画について意見を求められたロメールは、その特徴を「映像崇拝、発作のようなもの、暴力趣味、ある種の表現主義、劇場性や演出家の誇大妄想、スターを使って大勢の観客に訴えたいという渇望」と要約する(註2)。ロメールも質問者も具体的な監督名を挙げていないが、おそらくその当時、まとめて喧伝されたベッソン、ベネックス、カラックスを念頭に置いているだろう。彼らの作品が、ある面ではヌーヴェル・ヴァーグの作家主義の帰結として登場していることに関心を抱きつつも、ロメールが重要視するのは、それらとは対照的にあまり目立たない映画の流れである。
彼が最初に名前を挙げるのはリヴェット。1950~60年代におけるブレッソン同様、作家の映画にはどこかしらその影響が見られるとロメールは指摘しているのだが、それに続くのはヴェッキアリであり、また、ジャン=クロード・ビエットやジェラール・フロ=クターズ、ジャック・ダヴィラにも触れられている(ロメールはもう一人、ピエール・ズッカ──遺作となった『我が至上の愛~アストレとセラドン~』(2006)がもともとズッカの企画だったことはよく知られていよう──の名も挙げている。ディアゴナルとズッカの映画を並べて語っているのは、今回は触れないが、例えば後述するセルジュ・ボゾンも同じである)。当時の映画界における一般的な認知度を考えれば、これらディアゴナルの作家が擁護されていることは十分注目に値する。
ロメールによるディアゴナル論はインタヴュー中の発言であり、個々の作品について突っ込んだ議論が為されているわけではない。彼が強調しているのは、作家の映画は本質的にエリート主義的でなければならないという主張であり、そうした観点から、観客の数は限られていても低予算で回る映画製作の方法を編み出したヴェッキアリが称賛され、ビエットの「多くの観客向けではない、ひそやかな映画」や、1990年当時すでに失われてしまっていた「知性」や「ユーモア」の名残を留めるダヴィラの映画が評価されている(註3)。
【註】
- 1. 新田孝行「ポール・ヴェッキアリによるグレミヨン論――『1930年代フランス映画作家』について」、「映画研究」9号、2014年、4-21頁。
- 2. «Entretien avec Eric Rohmer», realisé par Antoine de Baecqued, Thierry Jousse et Serge Toubiana, Cahiers du cinéma, n° 430, avril 1990, p.30-31.
- 3. Ibid.