第5回 監督紹介・広島国際映画祭2016 上映作品解説(下)
連載最終回となる今回は、ディアゴナルの二人の「ジャン=クロード」、ジャン=クロード・ギゲとジャン=クロード・ビエットについて紹介する。
ジャン=クロード・ギゲ
1948年、イゼール県のラ・トゥール=デュ=パンに生まれる。大叔父のフランソワーズ・ギゲは19世紀にリヨンで活動した有名な画家だった。パリの通信会社に勤めた後、パリ第三大学に入学。映画学の修士号を得た(論文テーマはニコラス・レイの『大砂塵』)。セルジュ・ダネーの恩師としても知られる映画理論家・批評家アンリ・アジェルの影響のもと評論を書き始める。1970年代の「カイエ・デュ・シネマ」の理論化路線に馴染めず、「ラ・ルヴュ・デュ・シネマ」「新フランス評論(NRF)」「エチュード」などに映画評を寄稿した。オフュルスや溝口、ヴィスコンティ、なかでもグレミヨンがお気に入りの監督だった。クラシック音楽やオペラを愛する一方、「ロロ」ことジーナ・ロロブリジーダや、後に彼の映画にも出演することになるシャンソン歌手パタシューの大ファンでもあった。モンパルナスの映画館ステュディオ・パルナッスでヴェッキアリと知り合い、その『女たち、女たち』に俳優と美術担当として参加した後、同作の女優エレーヌ・シュルジェールを主演に迎えた『美しい物腰』(1978)で監督デビュー。その後、詩的レアリスムの系譜を継ぐ『フォーブール・サン=マルタン』(1985)、トーマス・マン原作のメロドラマ『蜃気楼』(1991)、現代における愛の様々な形を『輪舞』形式で描いた『乗客たち』(1999)を発表。2005年、アルデッシュ県のオーブナで癌により死去。フランソワーズ・ファビアン主演の新作『世界の春』に着手しようとした矢先の出来事だった。翌年5月には東京で、その死を追悼する全作品の回顧上映が行われた。
『美しい物腰』
『女たち、女たち』の二人の「スター」のうち、ジャン=クロード・ビエットが『物質の演劇』でソニア・サヴィアンジュを主演に迎えたのに対し、ジャン=クロード・ギゲは『美しい物腰』でもう一人のエレーヌ・シュルジェールを選んだ。彼女が演じるパリの裕福な中年女性エレーヌと、彼女の引きこもりの息子を世話するために雇われた地方出身の貧しい青年カミーユとの間の微妙な関係を描く。カミーユを演じるのは、ギゲによって見出されたエマニュエル・ルモワンヌ。その後ほぼディアゴナルの映画にのみ出演したルモワンヌは1992年、38歳の若さで亡くなった。
いわゆる「身分違いの恋」を扱ったと言えなくもない本作。しかし、階級の問題を扱っても戦闘的にならず、審美的に描くのがギゲの本領だった。エレーヌの「美しい物腰」、すなわち、上流階級特有の演劇的身ぶりや言葉遣い、話し方がカミーユを魅了し、かつ遠ざける。ヴェッキアリの『身体から心へ』では、自動車整備工が薬局で働く知的な女性──演じるのはやはりエレーヌ・シュルジェール──に情熱的に求愛するが、彼には(いささかファンタジー化されているとはいえ)仲間がいた。一方カミーユは孤独で物静かな労働者である。映画公開時に行われた「カイエ・デュ・シネマ」のインタヴューでギゲは、昔の映画なら脇役たちが喚起したであろう民衆的背景を、本作ではエマニュエル・ルモワンヌの身体性によって置き換えたと語っている
(註1)。
フランスの映画研究者ジュヌヴィエーヴ・セリエは、性と階級をめぐる宿命的な対立、その悲劇的な結末としての死という1930年代のフランス映画の主題が、50年代から流行する探偵映画や50年代後半から60年代のヌーヴェル・ヴァーグでは描かれなくなったとしたうえで、『身体から心へ』と『美しい物腰』という同じ年(1978年)に製作された二本の映画に30年代的主題の回帰を認めている。同時にセリエは、登場人物のキャラクターの変化に注目する。例えば、30年代の映画でブルジョワ女性は堕落した存在として描かれたが、『美しい物腰』のエレーヌは観客にそのような印象を与えない。一方、カミーユはかつてジャン・ギャバンが繰り返し演じたブルーカラーに属するが、『陽は昇る』(1939、マルセル・カルネ監督)や『愛欲』(1937、ジャン・グレミヨン監督)のギャバンと異なり、肉体的な暴力を欠いている。男性であれ女性であれ、30年代ならば道徳への反抗者として描かれた人間が、ギゲの映画では他者の情愛(affection)を求める人間に変わったとセリエは指摘する
(註2)。
情愛は、恋愛や性愛を含みつつこれらを超える。演出上の意図的な省略は人物たちの謎を深め、情愛の複雑さを印象づける。例えば、息子の父親には触れられず、彼女の息子が引きこもる理由、そして物語が進むにしたがってカミーユが取る諸々の行動の本当の動機も、はっきりとは説明されない。エレーヌがカミーユに示す優しさは男女の愛情なのか、恵まれない者への親切心なのか、それとも、美青年の息子に対する近親相姦的欲望の投射なのか。こうした曖昧さにおいて、本作にはグレミヨンからの影響が、同様に熱烈な賛美者であるヴェッキアリの諸作品より直接的に認められるとも言えよう。静謐な画面や俳優の抑制された演技と鋭い対比を為す、ヴィスコンティ的オーケストラ音楽──『夏の嵐』(1954)と同じブルックナーの交響曲が使われている──の壮麗さも印象に残る。
Jean-Claude Guiguet
短編
1982 | Archipel des amours(L'):La Visiteuse(『訪れた女』) |
1996 | Amour est à réinventer (L')/Dix histoires d'amour au temps du sida:Une nuit ordinaire(「再び作り出すべき愛」より「ありふれた一夜」) |
2003 | Métamorphose(「メタモルフォーズ」) |
2005 | Portraits traits privés(「ポートレート、私的な表情たち」) |
長編
1978 | Belles Manières(Les)(『美しい物腰』) |
1985 | Faubourg Saint-Martin(「フォーブール・サン=マルタン」) |
1991 | Mirage(Le)(「蜃気楼」) |
1999 | Passagers(Les)(「乗客たち」) |
【註】
- 1. «Entretien avec Jean-Claude Guiguet», Cahiers du cinéma, n°298, mars 1979, p.35.
- 2. Geneviève Sellier, «Ces singuliers héritiers du cinéma français des années trente», Cinéma, n°268, avril 1981, pp.21-26.