——先ほど泰良とそれを周囲で見ている人間との関係性で脚本を書かれたと話されていましたが、喧嘩それ自体からドラマが起きるようには物語はなっていないですよね。例えば三浦誠己さん演じるボクサー上がりっぽい繁華街の人物と泰良は何度も喧嘩をしていく。そのうちにお互いに何かしらの感情が現れるという展開もドラマとしては考えられるとは思うんです。

真利子:泰良は喧嘩をしたいからしていて、仲良くなりたいとか相手を支配しようということではないんです。だから腕に覚えあるような相手を選んで喧嘩をしているわけだし、倒したり倒されたりしたときにまた喧嘩を仕掛けにいくだけであって、そこからふたりの関係ができていくということはありません。ただ裕也に関してだけは喧嘩相手ではないところで関係ができていくんです。

——菅田将暉さん演じる裕也は泰良とはまた違うところで、問題を抱えている人物ですね。

真利子:それは弱さなのかもしれないですね。泰良は確固たる思いを持って喧嘩していて、裕也はそれに対して憧れを持って見てしまう。強さに惹かれる気持ちがありながらも自分が望んでいるものになれずに折れていってしまう。それが重要でした。裕也の行動は決して普通ではないかもしれないですけど、人間臭さが出ている人物だと思うんです。この映画は2011年という設定になっています。あえて強調してませんが、劇中に出てくるSNSの掲示板などには日付が書かれています。当時、夏になればバカッターみたいなことが騒がれていましたよね。後先考えずにシャシャリ出てしまう衝動的な自己顕示欲を持っているのが裕也なんです。それは多くの人に覚えのある感情なのかもしれません。

——裕也はただ弱さばかりが目についてほとんど良い面というのがないですよね。映画のなかで裕也に救いのようなものは与えようとは思わなかったんでしょうか。

©2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会

真利子:それは見方にもよると思うんです。裕也は友人関係で煮え切らないものを抱えてます。それは那奈にしてもそうです。まずは彼らが登場したときの表情や立ち振る舞いでこの人がどういう人物なのかを伝えることが重要でした。あくまでも三津なり街中なりといった場所に生きている人たちの関係性を大事にしたかったんです。そこから裕也なり那奈の屈折した感情は読み取れるのではないかと思ってます。

——暴力にしてもそれぞれの登場人物についても、解釈は見ている人の側にあって、作品の側から正解を示しているわけではないということでしょうか。

真利子:暴力を描きたかったのはすぐに言葉にできなかったからです。良くないというのは当然答えのひとつとしてあるかもしれませんけど、どうにも血が騒ぐのは否めない。暴力とはこうだと映画として答えを出すのではなく、見た人に疑問を投げかけることで終わりたいと考えていました。わかりやすい説明や辻褄合わせよりも、見た人が何を感じるのか。その余地は与えたかったところでした。

——泰良の姿で映画は終わります。このラストシーンについても、お伺いしてもよろしいでしょうか。

真利子:最後のシーンは柳楽くんの撮影最終日でした。脚本上にあのカットはありませんでした。泰良を通じて暴力について考えてきたので、その上であのカットを追加しました。暴力というのはどんなに頭で否定したところで世の中からなくならない。例えばあのシーンを見てダークヒーローの誕生だと見る人もいますが、不愉快に受け取る人もいると思います。自分の解釈としてはあくまで泰良はまたどこかに現れるかもしれないということであの終わり方にしています。

取材・構成:渡辺進也
写真:白浜哲

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