万田邦敏、5年振りの長編作品『イヌミチ』

©2013 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

万田邦敏の待望の新作長編『イヌミチ』がついに公開される。 日常な些細な出来事を発端に、己の選択と規範によって生み出された窮屈な生との過酷な闘いを織り成す人々の姿が、万田邦敏の映画にはいつも映し出される。勝利や敗北といった逃げ道の存在しないその闘いへ、『イヌミチ』もまたひとりの若い女性を誘う。ただし、言葉によって、言葉とともに、言葉への闘いを挑んだかつての幾人かの人々とは対極的に、まず自らの言葉を失うことを選択したこの女性の闘いを、あるいは万田邦敏の新たな闘いとして見逃してはならない。

監督 万田邦敏 interview
言葉から犬へ

映画をつくること、すなわち映画監督の仕事とはいかなるものか。その複雑さを万田邦敏監督は、すでに自身の最初の商業映画『宇宙貨物船レムナント6』、そのセルフ・メイキング『プロダクツ オブ レムナント6』において実直に語った。現実と虚構、意図と偶然、言葉と身体といった様々な対立が、ふとした瞬間に様々な思惑を超えて瓦解し混じり合ってしまう瞬間こそ、映画という出来事において生まれうるものだ、と。人と犬、女と男、ファンタジーとリアル……『イヌミチ』もまた、二項対立では解決し得ない様々な事柄の間を、手探りで掴むような試みにおいて生まれた作品であるだろう。「犬を演じる女性」である響子役を演じた女優・永山由里恵さんにも同席して頂き、万田監督の新たな探求の経過について率直に伺った。

――『接吻』以来の長編である『イヌミチ』は、映画美学校の脚本コースの修了作品の中から選ばれた伊藤理絵さんの脚本から出発された作品と伺っています。ひと組の男女が犬と主人の擬似的な関係を結ぶという物語を、まずはどのように映画化されようと考えられたのでしょう。

万田邦敏最初に脚本を読んだときは内容が軽いなって思ったんですよ。主人公の女性である響子に、仕事に対しても生きていくことに対しても、真剣さがなさ過ぎない?って意味でね。脚本を書いた伊藤さんにも最初に言ったんですが、漫画のような印象を受けた。主人公の響子の画があって、吹き出しのなかに「ワン!」って書いてあるような。あるいは初稿ではモノローグがいっぱいあるんですが、それも漫画における吹き出しではない地の文で表現されるモノローグみたいに読めて。そういう画の繋がりをイメージしてしまったので、この内容だと漫画のほうがフィットしてて、この軽さで実写はもつのだろうかというのが、最初の正直な印象でした。

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小出豊から万田邦敏へ/万田邦敏から小出豊へ 

「nobody」本誌にて好評連載中の小出豊監督に執筆頂いている映画時評「○○のすべてを○○するために」シリーズ。その特別篇として「nobody issue39」に掲載されたのが、万田邦敏監督『イヌミチ』の撮影現場ルポルタージュとして執筆された「世界のすべてを肯定するために/特別篇 映画監督は撮影までをどのように段取るのか――万田邦敏の場合から一」というテクストだった。
ひとりの若き映画作家が強く信頼し尊敬する年長の映画作家に向き合い、その演出作法に対する実践的な分析と批評的な読解を織り成した、まさしく「万田邦敏演出論」と呼ぶべきそのテクストに、その主題であり対象となった万田邦敏監督ご本人からの返信が届いた。本テクストは、小出監督の記したルポルタージュに万田監督による返信を重ね、新たな一片の対話的テクストとなるよう、再構成したものである。
(※小出豊監督によるテクスト全文は「nobody issue39」に掲載)

最初の撮影場所はキッチン。集合時間にお邪魔すると、既にスタッフは忙しく準備を始めている。と、しばらくして台本をもった万田がやってくる。その台本を覗くと、そこには書き込みが一切ない。なんとなく監督の仕事なのかと考えられている画コンテも字コンテもなく、事前に書かれた割り線もない。事前準備なしで現場に出向く。これが最近の万田のスタイル。

最近と断ったのは、彼は処女長編『UNLOVED』(02)まで、詳細な絵コンテを書いていたからだ。当時の彼の台本は他の人よりひとまわり大きなものだった。というのも、通常の台本にある余白部では絵コンテが収まりきらないので、台本を自ら拡大コピーして、そこに絵コンテを書き込んでいたからだ。 そんな当時の彼は、自分の頭の中だけでフレーミングやカット割りのすべてを事前に作って現場に挑んでいたそうだ。 がしかし、万田はそのことにつまらなさを抱えるようになったようだ。(小出)

と、ぼくはよく言っているのですが、これはどうも我ながら正確な表現ではないと思うようになりました。「つまらなさを抱えるようになった」というより、事前にカット割りを考えることに「面白さを見出さなくなった」ということかもしれません。一見、同じことのように聞こえますが、僕の気持ちとしては別のことのようです。自主映画を作り始めた当初は、カット割りが映画の演出だと思ってましたし、映画ファンが映画を作り出す時は、今も昔も誰しもカット割りがしたいから映画を作り始めるんだろうと思います。そういう気持ちのまま、自主映画を経て『極楽ゾンビ』から『UNLOVED』まで撮ったわけですが、結局、一度も自分で満足できるカット割り(編集)ができていないという敗北感があったんでしょうかね。全部が全部ではないですが、下手くそだなあ、と思ってしまったり。しかしそれはカット割りの問題だけではなく、芝居の問題でもあるということに気づいたんです。カット割りは芝居と連動しているのではないか、カット割りだけを独立して考えてはダメなんじゃないか、と思うようになったということでしょうか。それで、芝居の質も変わっていった、のかな。同時に西山洋一君(映画監督)が芝居について言及し出しましたし。つまり、カット割りより、芝居を撮るということの方に興味の対象が移った、それでカット割りに(カット割りだけに映画の面白さを追求することに)以前のような面白さを見出さなくなった、ということでしょうか。(万田)

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万田邦敏(まんだ・くにとし)

撮影=鈴木淳哉 『イヌミチ』撮影現場にて

1956年生まれ。映画監督。雑誌での映画批評やPRビデオの演出、関西テレビの深夜ドラマ(「極楽ゾンビ」「胎児教育」)の演出を経て、『宇宙貨物船レムナント6』(1995)で監督デビュー。主な監督作品に『夜の足跡』(2000)、『UNLOVED』(2001)、『The Tunnel』(2004)、『う・み・め』(2004)『ありがとう』(2006)、『接吻』(07)など。処女監督長編作『UNLOVED』は、カンヌ国際映画祭批評家週間にて、エキュメニック新人賞とレイル・ドール賞を受賞。2009年には初の映画論集『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』(港の人)を出版。立教大学現代心理学部映像身体学科教授、映画美学校で教鞭も執る。

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『イヌミチ』

2013年/72分/カラー
監督・編集:万田邦敏
脚本:伊藤理絵
撮影:山田達也
出演:永山由里恵、矢野昌幸
3/22(土)よりユーロスペースにて公開!
以降、大阪・第七藝術劇場他全国順次公開

http://inu-michi.com/