Photo © Marc Ulrich
マルセル・マゼが2012年2月14日未明にこの世を去った。「フランス実験映画界のゴッドファーザー」とも呼ばれるマルセル・マゼは、その生涯を実験映画の上映に捧げ、自分の愛する映画を擁護するために生きた人物だった。ペール・ラシェーズ墓地で開かれた葬儀には、同世代の映画作家・批評家ばかりでなく、彼を慕った若い世代の姿も多く見られた。イエール国際映画祭でのプログラムを担当し、フランスで初となるフィルム・コープを設立したその功績は、はかりしれないほど重要である。彼の活動をいま振り返ることは、映画史における上映活動の意義を再確認することでもあるはずだ。少なくとも、70年代以降のフランス・インディペンデント映画は彼を抜きにして語ることはできない。いま、追悼の意を込めて、彼の活動に焦点を当てる。
協力 | ラファエル・バッサン、フランソワ・グリヴレ、ダフネ・エレタキス、マルセル・マゼ、ローランス・ルブイヨン、 ヴィヴィアンヌ・ヴァーグ、コレクティフ・ジューヌ・シネマ |
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マルセル・マゼが2012年2月14日未明にこの世を去った。もう長いこと入退院を繰り返していたから、驚きよりも悲しみのほうが先に立つ。そして私を襲うのは、深い後悔の念である。
1971年から83年までイエール国際映画祭でのプログラムを担当した、「フランス実験映画界のゴッドファーザー」(ラファエル・バッサン)ことマルセル・マゼは、実験映画の上映を主な目的として、コレクティフ・ジューヌ・シネマ(CJC)を設立し、上映活動に長らく関わった人物である。CJCの設立には、実験映画に強い関心を持っていた批評家のラファエル・バッサンとノエル・バーチが協力し、そして早い時期から自分の製作会社を立ち上げ、マイペースに映画作りに取り組むことになるリュック・ムレが副代表に就いた。マルセル・マゼは通常の映画館ではかからない映画を人に見せることに情熱を捧げ、それに人生の喜びを感じていた。たとえばジャン・ジュネの『愛の唄』のプリントを見つけてきてフランスで初めて上映したのもマルセル・マゼである。
――1960年代は、特に映画の世界に影響されていたってわけではなく、映画雑誌「シネマ9」に関わるようになってから変わったみたいだけど、この雑誌はあなたの人生にどのような影響を与えたのかしら?
マルセル・マゼ(以下、MM)もっと古典的な映画を好んで見ていたし、絵画や文学に関してもそれは同じで、抽象絵画のことや、文学の新しい潮流についてはほとんど何も知らなかった。新しく生まれつつあった映画についてはいうまでもないよ。
この種の映画には、あるいはビデオには、定義などいらないのだと私はいいたい。見ればわかるからである。
それにもかかわらず、これもまたひとつの映画のあり方なのだと、ひとつのビデオのあり方なのだということはできる。映像と音響をもちいてまったく自由な表現をおこなっているからである。
1940年生まれ。コレクティフ・ジューヌ・シネマ代表。2012年死去。