アニメーションを見ること、作ること

――『WONDER』を制作していらっしゃる一方で、今年度は各地の映画祭を数多く訪れて審査員を務められました。5月は広島で行われた「広島国際アニメーションフェスティバル」の選考審査、11月は「京都国際学生映画祭」の審査員をされ、3月はリスボンでの国際アニメーション映画祭でも審査員を務めていらっしゃいました。ご自身で作品をつくる傍らで、他の作家の作品を見るという機会がすごく多かったんじゃないかと思います。

水江今年度を振り返ると、5月に3週間ぐらい広島で短編アニメーションの選考審査をしました。映画祭にノミネートさせる審査を2000本の中からざっくり言って50本を選ぶ作業だったんですけども、僕が短編アニメーションをやっているんで自分の専門分野での審査でしたね。だけど「京都国際学生映画祭」は実写映画でアニメーション映画も少し入っていましたけど、だいたいは海外の学生映画も含めて実写映画っていう感じで。やっぱり実写映画の人間じゃないのでなかなか大変だったなっていうのはありますね。あと「学生CGコンテスト」っていうのも審査員をやりました。かなりの割合でアニメーション作品が多いんですけど、「インタラクティヴ・アート」とか写真の作品とか色々な表現が集まっているなかでの審査だったもので。リスボンでやったのも長編アニメーションの審査なので、短編アニメーションだけの審査っていうのは、なかなかさせてもらえないっていうのもあって(笑)。

たとえば「京都国際学生映画祭」は、結局自分はアニメーション作家なので、「このカメラワークがすごい、このショットがこの照明が」といった細かいことが全然わかりません。ただやっぱり作家なんで、審査するときに自分がほんとにエモーショナルに心を動かされたものを評価していくっていう、それだけだなと思っていて。とくに学生の作品はそうなんですけど、技術とか色々なところを頑張ってできあがったすごい作品とかもあると思うんですけど、だからと言って面白いわけではなかったりするので。「学生にしてはすごい」とか「完成度が高いね」とか言われる評価って、あんまり面白くないんじゃないかと思っていて。荒削りだったり、どうしても良いカメラが手に入んなくて出来上がった作品とか音響とかも悪かったりとかもあるんですけど、その監督が何をしたいとか、作品に対する作者の態度みたいなのがよくわかる作品っていうのは良いなって思ったりしますね。

「学生CGコンテスト」もそうですけど、学生側は学生だからというので見てほしくなかったりするみたいなんですよね。ちょっとそこにアレルギー反応というか、「学生」という言葉に対して、敏感に反応する人もいるみたいで。でも僕としては別に「学生だから」みたいな目で見ている、っていうよりは、「学生だからこそ」できる、学生っていう今この時代っていうか。彼らにとってこそできるものがよく表れている作品っていうのはすごく評価したいと思ってて。それは僕が30代になってもたぶんできないものだったりとかもあると思うんです。そういう意味で学生という括りに対して期待しているというのはあるので。「学生=少しアマチュアだ」とか「セミプロだ」みたいな、そういう目では見てないです。だから学生っていう今だからこそできるものに向き合っている作品のほうが良いなっていうのはありますね。

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