記憶に見つめられながら──2012年度(第65回)ロカルノ映画祭 滞在記

 

Locarno in 1992

ロカルノ映画祭に初めて参加したのはちょうど今年から20年前の1997年だった。国際映画祭、いや映画祭自体がほとんど未経験だった私は、到着直後は、緊張と恐怖でほとんど泣きべそをかきながらも、スイスのプロヘルヴェツィア文化財団の人々や、蓮實重彦氏、古賀太氏ら、大先輩たちに教えを請いながら、なんとかパスを取り、スケジュールを確認し、映画を見始めた。そして毎朝ホテルに届けられる映画祭日刊紙「Pardo Newsによってセルジュ・ダネーという批評家の文章に出会った。この年、ロカルノ映画祭開催から約2カ月前に他界したセルジュ・ダネーを追悼すべく、同紙は、ダネーの批評の抜粋を毎日、掲載していたのだ。「カイエ・デュ・シネマ」の編集長も務めたことのある著名な批評家としてその名前を耳にしていながらも、それまできちんと読んだことのなかったダネーの批評を、私はロカルノという地で発見し、そして彼の言葉に導かれながら、映画祭という場に少しずつ自分の場所を見出していった。エドワード・ヤン、アモス・ギタイら、敬愛する映画作家たちが審査員を務め、世界中から批評家、映画関係者が集まる中、まだ無名の作家たちの作品を彼らと同時に発見し、意見を交わす。新しい作品と同時に、過去の作品も発見、再発見され、映画史が最新されていく場。こうして思い出してみると、ロカルノ映画祭でのそうした体験すべてが、その後の自分にどれだけ大切であったか、あらためて身にしみて感じる。1992年のロカルノ映画祭はさらに特別な年だった。ダニエル・シュミットが病から立ち直り、5年ぶりに完成させた新作『季節のはざまで』の世界プレミアが行われたからだ。ロカルノ映画祭の目玉でもあるピアッツァ・グランデという8千人を収容できる広場に設置された巨大スクリーンでの上映を思い出すと熱い思いが込み上げてくる。「フュオーリ・コンソルソ!」というイタリア語によって、シュミットともにイングリット・カーフェン、マリッサ・パレデス、アリエル・ドンバール、ジェラルディン・チャップリンら豪華出演者たちが次々に登壇し、祝福の雰囲気に包まれた中で舞台が終わると、暗くなり、静かになったピアッツァ・グランデに大きなスクリーンが映し出される。そして私たちは、サミ・フレーの優雅で軽やかなその足取りとともにゆっくりと記憶の旅へと誘われていった。当時、アテネ・フランセ文化センターで受付嬢としてバイトをしていた私は、松本正道氏より預かっていたシュミット監督宛てのプレゼントを渡すという重要な任務を受けており、そのおかげで、監督と上映後に直接お会いするという幸運にも恵まれた。当時、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」に寄稿した映画祭レポートでもその際のシュミットとのやり取りについて書き留めているが、その短い、数分間のシュミットとの出会いは、このピアッツァ・グランデでの『季節のはざまで』の上映と一緒に、まるで夢のような出来事として、でもしっかりと映画のワン・シーンのように記憶している。

 The Carax Experience

「ひとはよく映画を夢に譬えますが、映画が夢なのではなく、上映の体験こそが夢なのです。」20年前のロカルノの記憶が少しずつ蘇り、シュミットやエドワード・ヤンたちの存在をどこかで感じながら、レオス・カラックスからその言葉を耳にしたのは、201283日、ロカルノ滞在3日目だった。初めてロカルノを訪れてからちょうど20年後の今年、私は再びこの映画祭に参加することになった。実は、昨年も、日本からの作品『東京公園』(青山真治)、『サウダーヂ』(富田克也)の上映、記者会見の通訳など、裏方スタッフとして参加し、素晴らしい体験をさせてもらったのだが、まさか続けてロカルノに、しかも今度は審査員として参加するとは想像していなかった。今年でロカルノ映画祭ディレクター就任3年目を迎えるオリヴィエ・ペールから「Opera Primaの審査員をやってみないか」と数ヶ月前に提案を受けたときは、これまで審査員の経験のない自分にはたして務まるのだろうかという一抹の不安はありながらも、湖と山に囲まれ、ゆったりとした時間が流れる親密な雰囲気の中で映画を見て、真に映画好きな人々と語り合えるあの場所に戻れるという喜びで、即座にオーケーしてしまった。オペラ・プリマOpera Primaはカンヌ映画祭におけるカメラ・ドール、つまり一作目の映画に贈られる賞であり、審査員は三人で、今年は私のほかに、ロシア人の批評家、ボリス・ネレポ、アメリカ、ニューヨークの批評家、デニス・リムがメンバーである。ボリスはまだ23歳という若さながら、どの国の、どのジャンルの映画にも詳しく、私が日仏学院でプログラムを担当していると聞いて、名刺代わりにと、自分が編集した「ヌーヴェル・ヴァーグ以後のフランス映画」を特集したかなりボリュームのあるロシアの映画雑誌をプレゼントしてくれた。巻頭からポール・ヴェキアリのインタビュー、ジャン=クロード・ビエット論などが掲載されていて、こちらの好みを知っているかのような内容で、ロシア語で読めないながらも、写真のレイアウトの美しさを眺めながら、彼とは気が合いそうだな、とほっとする。昨年のロカルノで青山真治の『東京公園』を発見した喜び、そして『サウダーヂ』が賞を取らずどれだけがっかりしたか語ってくれた。デニスは「ニューヨーク・タイムス」、「ヴィレッジ・ヴォイス」などの雑誌に寄稿していて、多くの映画関係者から信頼を得ている批評家のようだ。少し話しただけで、同じ言語で映画を語れる人であることがわかり、やはり安心する。彼らふたりと共に、初日より審査対象となる14本の作品を毎日12本ずつ見ることになる。スケジュールを見ると、その他にも見たい作品が目白押しで、毎日のプログラムをどのように組んでいくべきか大いに悩む。今年のレトロスペクティヴはオットー・プレミンジャーだし、豪華な特別ゲストも毎日訪れる。初日はシャルロット・ランプリング、翌日はアラン・ドロン、そしてジョニー・トー、ハリー・ベラフォンテ…。レオス・カラックスもその一人であり、映画祭スポンサーの一社であるSwisscom より名誉賞を受賞するということで、映画祭3日目にロカルノを訪れた。観衆の前でのティーチインを行うということで、デニスらと共に、上映の合間を縫って、野外に設けられた会場に駆けつける。フランス人の映画批評家で、日仏でもフィリップ・ガレル特集や、昨年の「鉛の時代」特集などを企画してくれた友人の批評家フィリップ・アズーリも、「レオスがこうした形で質問に応じるのはめったにない機会だ」と興奮した様子で、一緒に一番前の席に陣取り、録音のセッティングをする。その日は温度が30度近く上がり、湿気もかなりある蒸し暑い日だったが、カラックスは最近のユニフォームとなっている皮ジャン、黒い帽子の出で立ちで、片手に煙草を持ちながら、司会のオリヴィエ・ペールとともに現れる。「映画について話すことは、僕にとってほぼ悪夢に近いことです。真っ昼間、しかもこんなに光が注いでいる中で映画について話すなんて、大いなる悪夢ですよ(笑)。映画とは暗闇、夜のもの…、『夜の恋人たち(訳注:『夜の人々』のフランス語タイトル)』、『狩人の夜』のものですからね。でもなんとかやってみましょう。」カラックスは、苦笑を浮かべて呟きながらも、一時間強の間、オリヴィエ・ペール、そして会場からの質問ひとつひとつに、時に言葉少なに、時にところどころに沈黙をはさみながらも丁寧に答えてくれた。先ほど引用した「上映の体験こそが夢である」という発言の後で、カラックスは次のように述べた。「子供の頃、映画を発見することは非常に強烈なことです。暗闇の中、自分の母親、あるいは祖母以外は知らない人々に囲まれ、後ろにある大きな、大きな機械から自分たちよりもあまりにも大きなものが映し出される。その体験、それこそ、夢に近いものでしょう。」

 「先ほど、今の映画の状況はご存じないと仰っていましたが、世界の状況はご存知でいらっしゃるでしょう。たとえば、情報が流れる方法など。『Holy Motors』のリゾームのような構成はそうした状況を同時代的に捉えているのでしょうか、あるいはその中で孤立していることを感じた詩の形となっているのでしょうか」という質問へのカラックスの答。「その両方です。ロシアの詩人、オシップ・マンデルスタムが傲慢にもこう言っています。『私は誰の同時代にもいない』と。しかし世界は必然的に映画の中に入っています。人生は私の作品の中に入っています。だから私の撮影は長くなってしまうのです。まぁ、それだけではないのですが。でもそのように時間が必要であることは分かっています。最初の何週間かに撮影したものはゴミ箱に捨てるべきでしょう。みんながあまりにも集中していて、息が詰まっているからです。最少はつねに失敗となります。だから後でなんとか撮影開始時のシーンをやり直す術を見つけるか、いずれにせよカットするだろうというものから始めることにします。しかし人生とよぶものは、必ずしも世界の状態ではありません。ただの人生、私の人生、あるいは映画制作に携わっている人々の人生です。一本の映画は人が全てを費やしたり、なにもかもから身を引いて籠ってしまったりするトンネルのようなものではなく、人生の体験とどこかで結びつくべきなのです。だからこそ、つねに困難が生じます。集中とよばれるものがあるためにさらに大変です…、準備はそうしたトンネルを建てるのに役立ちますが、その後はそこから逃れていかなければなりません。」

 ある質問者がセルジュ・ダネーの言葉について質問していたので、それに引き続き、映画を見る体験、そのことを旅に譬えていたダネーの言葉について私も質問してみた。「大切な言葉があります。その言葉を『Holy Motors』の中で響かせられなかったことを後悔していますが、それは「体験」という言葉です。フランス人作家であるジョルジュ・バタイユが旅について次のように定義しています。『人間の可能性の果てにある旅』。

 そのほか、心に残った彼の言葉を残したい。「今、もっとも欠けているのは勇気でしょう。民衆の勇気、そして身体的な勇気、そして詩を綴る勇気が。」「私たちは死者たちのために映画を作っていますが、でもそれを見せるのは生きている人々です。だからこの映画の入口となる扉はどれか考えなければなりません。最後になってやっとその扉が現れるようではだめなのです。そのことに気を配るようにしましたが、できているかどうかは定かではまりません。」

 Holy Motors』を観たその「体験」について語ることはまだ別の機会に譲りたいと思うが、一言でそれを言い表すならば、こんなに子供のような無防備に映画と向かい合ったのは久しぶりだった、いや無防備になって、再び「映画」と出会うような体験だった。驚きや喜び、悲しみ、怒り、希望。もちろんこの映画には様々な映画のレフェランスや、カラックスのこれまでの作品、彼の人生の記憶が散りばめられているのだろうことは想像できるのだが、そうしたことすべてを一旦忘れて、冒頭のカラックス自身が寝巻き姿で映画館の中を覗いて見ているように、「上映」、という体験、あるいは彼自身が語るように「映画という島」を何も持たず漂浪することをこの映画は誘う。死者とともに、しかし生き残っている、生きている者たちとともに生きることを、映画を生きることを。

 Preminger shock

審査対象である作品を観ることが今回の第一のミッションであるのだが、オットー・プレミンジャー特集、しかも全作特集開催とあれば、やはり足を運びたくなる。これまでほんの数本しか観ていないながらも、つねに気になっていた作家のひとりだからだ。一日目に見た『天使の顔 Angel Face』で一気にプレミンジャー熱に火がついた。こうして映画祭中、時間を見つけては、ピアッツァ・グランデを通り過ぎて、右手の細い石畳の坂を上ったところにある映画館Cinema Ex Rexに、駆け足で通うことになった。プレミンジャーの登場人物はみな不透明で、先の行動が読めない。彼らの行動と思考、あるいは言葉はつねにずれていて、霧の中を歩いているような人ばかりなのだ。たとえばロバート・ミッチャムは、いつもながら、その無表情な顔を微妙に変化させながら、自分が望んでいるのかも定かではないまま、ひとりの女性の人生の渦の中に巻き込まれていく。「天使の顔」を持つその女性を演じるーン・シモンズは、ふっと残酷な表情を垣間見せながら、周りの人々の人生の歯車を少しずつ狂わせていく。そして後半、決定的な事件が起こり、彼女はその「天使の顔」を脱ぎ捨て、一気に何歳も年取ったかのような、深い人生の皺を刻んでいるかのような大人の女に変貌する。ジーン・シモンズが誰もいなくなった広い家を彷徨うシーンは、まるで深い、深い闇の中に彼女が呑み込まれていくようなぞっとするほど寒々としたシーンである。そしてラスト、彼女は、実際に、底なしの闇の中に吸い込まれてゆくように崖から墜落していくのだ。

『天使の顔』、『Daisy Kenyon』、『Whirlpool』、『堕ちていく天使』、『黄金の手を持つ男』、『帰らざる河』『聖ジャンヌ』、『悲しみよこんにちは』。今回は残念ながら8本しか見ることができなかったが、プレミンジャーの作品を見る度に、登場人物や物語の展開の意外さ、一つの視点に留まることのないポリフォニックな世界に愕然とし、魅了された。どの登場人物たちもある意味、闇の手前に立っている。その闇に惹きつけられながらも、そこから光を見出す者もいれば、闇の中に堕ちていく者もいる。世界が、そしてひとりの人間の中で、幾つもの声、数限りない声がざわめいている。

 Moscow, Orlén, Macao...

審査対象となる最初の作品は、ロシアのドキュメンタリー学校の10人の学生たちが集団で監督した『Winter, Go Away!』という作品だった。「ロシアの冬」とウラジミール・プーチンの大統領選出馬に対する民衆の蜂起を二か月に渡って追ったドキュメンタリーで、先日、日本でも報道された若い女性たちパンク・グループの教会でのデモ・コンサート、そして彼女たちが逮捕されるところもライヴで撮影されている。厳寒のロシアの冬、雪が降りしきる中、しかし人々の表情はとても生き生きとしていて、街が彼らによって躍動していくのが感じられる。プーチンの「独裁」に反対する人々、プーチンを支持する人々、カメラは政治的立場の違いで、対象との距離やアプローチを変えることなく、その眼差は窃視症的なものからは遠い。ゲリラ的な撮影や、警察、当局側の逮捕シーンも多く見られることから撮影には危険が伴ったことが推測されるが、そこには撮影する楽しさ、人々、街の動き、今そこで起こっていることと共にある高揚感が伝わってきて、人々の真剣さと同時におかさみが感じられる。『Winter, Go Away!』は多くの時間を費やし、練られた構成によって、一人一人の人間のささやかな日常や、ばかげた試みや、真剣な闘い、そのすべてが歴史のうねりを作り出していることを教えてくれる。

 ドキュメンタリーとフィクションというジャンルは、映画においてますますとりあえずの区分になっているように思えるが、ドキュメンタリーの中にフィクションを見出す、映している場所、もの、人の中に、大文字の歴史、親密な、あるいは壮大な物語を堀り起こす、あるいは救い出す作業であることを示してくれる2本の作品に出会う。ヴィルジル・ヴェルニエの『オルレアン』は、そのタイトルが示す通り、フランスの町オルレアンが舞台となっている。ドキュメンタリー作品ではすでに批評家たちに注目をされているらしいヴェルニエは、冒頭、街並み、人影があまりない路地裏、表通り、子どもたちが他愛もないやり取りをしている学校前の風景を映しながら、昔の街の地図を所々にインサートする。しだいに、撮影されている2011年のオルレアンとその地図に記録されている街が重なり合い、時間も交錯し、融合していくような印象を受け始める頃、女たちが現れる。暗闇の中にいる女たち、彼女たちが現代の夜のバーでいることは確認されるが、そこには現代ではない別の時間もすでに流れていることに私たちは気づいていているだろう。そしてジョアンヌとシルヴィア、20歳になる二人の女性が登場する。彼女たちバーでストリッパーとして働いている。新米のジョアンヌに、すでに客の扱いも、踊り方も心得ているシルヴィアが手ほどきをしている。将来についてかたや冷めた思いを、かたや希望を持って語り合うふたり、そして街を散策する彼女たちがしだいに、オルレアンという街の記憶の中に入っていく。この街では429日から57日、8日にかけ、ジャンヌ・ダルク祭が行われる。15世紀に10代後半ながらこの街をイングランドの包囲網から解放し「オルレアンの乙女」と呼ばれたジャンヌ・ダルクを称えるイベントで、街中でパレードや花火、コンサート、そしてジャンヌ・ダルクの生涯を描く舞台が開催される。ジョアンヌとシルヴィアはこのイベントに何気なく参加するのだが、ジョアンヌは次第に、ジャンヌ・ダルクに惹きつけられ、しまいにはパレードでジャンヌ・ダルク役を演じている娘を現実のその人と思い込でんしまう。現代を生きている女性とジャンヌ・ダルクが交錯し合い、現代の街と15世紀の街が重なり合う。『オルレアン』は、とてもシンプルな手法で映画が記憶を蘇らせる、あるいはそこに記憶が生き続けていることを気づかせてくれる。

 ドキュメンタリーがいかにフィクショナルであるか、フィクションがいかに現実の断片で構成されているか、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ共同監督による『マカオの追憶』は、上品かつ大胆な手つきでそうした映画の根源的力を見せてくれる。冒頭、暗闇の中にハイヒールとチャイナドレスを纏った人影が浮かび上がり、ジェーン・ラッセルの歌声とともに踊り出す。ジョセフ・フォン・スタンバーグの遺作『マカオ』で歌われた曲。暗闇、ハイヒール、チャイナドレス、虎、そしてその顔を露にしたキャンディと名乗る「歌姫」によって、『マカオの追憶』はフィルム・ノワールの世界へと私たちを一気に誘い込む。そう、そこはマカオであり、私たちはその後、監督のひとりであるジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ自身の声(このナレーションが素晴らしい)によって語られるある旅の記録とともに、この街に迷い込むことになる。キャンディはその後姿を再び現すことは二度となく、時に語り手である男にかけてくる電話によってその声を確認するだけだ。当初はジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタの生まれ育った街マカオをドキュメンタリーとして撮影された映像たちが、いつのまにか、ひとつの、あるいは複数のフィクションを紡ぎ出すことになった『マカオの追憶』は、街の風景と声、そして銃声、叫び声のような効果音というミニマムな素材によってスリリングでセクシーなフィルム・ノワールとなり、また終末論的なSF映画へとメタモルフォーズしてゆく。そしてそこには、亡霊たち、動物に姿を変えた人々、マカオという街の記憶、そして映画の記憶が共存している。ジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ、ヨーロッパではすでに高い評価を得ている彼らの作品の特集が2013年に日本で開催予定とのこと、心から楽しみだ。

 Memories look at me

「記憶」は今年のロカルノ映画祭のテーマであるかのようだ。いや、映画が記録するのは、すでにあったもの、すでに起こったものであり、その意味では、どの映画も記憶で溢れているといえばそうなのだが、記憶が、過去がそこにあること、自分の生きる場所、時間の中に存在していることを示すのが映画であることをあらためて教えてくれる作品にこの映画祭で何本か出会った。

三宅唱の『Playback』は、人々の様々な記憶の断片が何度もプレイバックされ、その度に微妙に音を変え、反復されながら変化していくことを、レコードにそっと針を下ろす時のような繊細な手つきで語ってゆく。プレイバックされる度に、周囲の動きにほとんど受け身で、無表情に見える村上純が、徐々に、自分の記憶の奏でる音の違いにそっと耳を傾けてゆくように、私たちもいつのまにか、身を少し乗り出し、耳を傾け、目を澄ましている自分たちに気づく(本作は、渋谷オーディトリウムにて現在公開中)。

今年のロカルノ映画祭コンペ部門の審査員の一人であり、アルノー・デプレシャンらと同世代の女性監督のノエミ・ルヴォヴスキーの新作『Camille redouble(カミーユ、ふたたび)』は、三宅監督の作品にも大きく影響を与えているというフランシス・コッポラの『ペギー・スーの結婚』のリメイクとして撮られている。最近は、監督としてよりも名脇役としてフランス映画になくてはならぬ存在となっているノエミ姉さんが40歳から10代の高校生に戻る主人公の女性をときにコミカルに、ときに切なく、見事に演じている。ミニスカートはいて、派手なタイツを履き、ウォークマンを聞きながら自転車に乗っているルヴォヴスキーに最初は少し引いてしまっても、彼女が30歳近く離れた友人たちと高校生活を送る姿にエールを送りたくなる。青山真治の『赤ずきん』に主演していた若手女優ジュディット・シュムラが女の子たちグループのリーダー的存在を演じているのだが、中世的な美しさ、野生的魅力を湛えていた。彼女はティエリー・ジュスの『僕はno man’s land』にも出演していて、活躍が楽しみな若手女優の一人だ。マチュー・アマルリックのキモイ先生、この映画のストーリーの鍵を握る時計屋を演じるジャン=ピエール・レオなど、キャスティングも豪華で、見どころ満載の作品だ。

 記憶を言葉にすることで生き直す、生き続ける人々を「演出」している濱口竜介、酒井耕の『なみのおと』。カメラを向けることはすでに「演出」であることをあえて表明しているかのように、証言者たちをカメラと向かわせている。俳優であろうと、素人であろうと、カメラを向けられた瞬間から「演技」がスタートしているとして、ここに登場する人々の「演技」とは、身を切るような思いをしながらも自らが体験したことを言葉に置き換えるという試みであり、思考であり、アクションである。監督ふたりがあえてカメラの前に身を置くのは、その体験に少しでも身を投げ出す行為であっただろう。彼らは、津波の被害にあった地域、人々のその後に寄り添い続けながら次回作を準備中とのこと。その真摯かつ果敢な試みをぜひ見続けていきたい。

 ソン・ファンの『記憶が私を見る』に出会ったのは、映画祭も終盤に差し掛かったころだった。両親の実家に戻り数日間を共に過ごす監督自らのダイアリーのような作品であると一言でまず紹介できるかもしれない本作は、冒頭の列車のショットを除けば、その実家の部屋の中だけで展開されるのだが、シーンごとに、彼らの生きてきたこれまでの時間、そして彼らの意思を超えた歴史の流れが彼らの言葉や仕草から見えてくる。言葉を交わしながら、父親の爪を切ったり、母親の眉毛を抜いたり、ご飯を食べたりする彼らの日常のささやかなやり取り、仕草、窓の前に置かれた小さな観葉植物、外の風景、そこから入ってくる風、光、それらすべての「今、ここ」が、この作品を過去と、未来、生と死の両方に開かれた場所に、親密でありながら普遍的なスケールを持つ作品にしている。一見、とてもシンプルに撮られているように見えて、構想、撮影、編集にも相当な思考と時間がかけられ、丹念に作られたことが窺える本作からは、目の前にカメラを向けることへの信頼、映画への信頼が強く感じられた。

そしてそれは、まさにジャン=クロード・ブリソーの『La fille de nullepart(謎の女、とでも訳しておこうか)』の凄味でもあるだろう。やはりほとんど家(監督自身の家)から出ないで撮られた本作も、限られた空間、限られた出演者(出演者はほぼ監督と一人の女優のみ)ながらも、最小限の手段によっても、映画がこれほどまでに様々な記憶、亡霊、そして感情を生み出すことができることを堂々と見せてくれる。審査員長のアピチャッポン・ウィーラセクタンがいみじくも記者会見で述べていたように、ブリソーは、この作品をベテランの手つきではなく、カメラを初めて手にした若い作家に戻ったかのように、目の前のものたちが響かせるたくさんのノイズ、記憶や亡霊たちを、驚きと喜びを持って映画に召喚させている。『La fille de nullepart(謎の女)』はこうして今年の金豹賞を受賞。そして私たちはOpera Prima審査員たちは、全員一致で『記憶が私を見る』に賞を与えた。本作は1124日から開催される東京フィルメックスでの上映が予定されている、是非ご覧いただきたい。

 二週間近くを共にしてきた審査員たちと、まるで夏休みの合宿を終えた学生たちのように、別れを惜しみ、再会を誓い合いながら、ロカルノの地を発つ。

大スターも、ベテラン監督、新人監督も、世界中の批評家、ジャーナリストたちも同じリスペクトで迎えられ、真の出会いの場所、発見の場所であり続けるために、三年間、ロカルノ映画祭の舵を取ってきたオリヴィエ・ペールは、この映画祭の後、仏独テレビ局映画共同製作部門(Arte France Cinéma)のゼネラル・ディタクターへ就任し、ロカルノを離れることになった。また別の場所で冒険を続けるよ、と知らせをもらう。

 『季節はずれに』の主演、サミ・フレーがシュミットに残していったというある言葉を思い出している。「歩みつつある記憶」。そして歩みつつある映画とともに。