川島雄三の速度について

2012117

 

 ここ最近、どこの映画館に出向いても満員札止め! といっても『ミッション・インポッシブル』のように正月の渋谷の映画館で満員札止めなのは仕方がないし、わずか80名しか入れない上映ホールで封切られているコッポラの新作『テトロ』が日曜日の午後に満員だったと言っても、かつてなら渋谷や新宿のもっとも大きな劇場での封切りが常だったコッポラ映画を思い出せば、世の中は悪い方に変わっていると思い込んでも仕方がない。

 そして金曜日の午後に有楽町で見た『幕末太陽傳』も、10分前に着いたぼくに与えられたのが最後の1席だった。だが、ここもわずか80席ほどの上映ホール。『テトロ』がDVDスルーにならなかったのは幸いだし、日活100周年でディジタル・リマスターされた『幕末太陽傳』がしっかりリヴァイヴァル上映されたことも単純に喜ばしい。だが、どちらの映画館も、50代も半ばを越えたぼくが若い方の観客であることはやはり哀しい。若い人たちが映画館で映画を見る習慣を確実になくしていることだけは確かなようだ。

 1957年封切りの『幕末太陽傳』をスクリーンで見たのはおそらく3回目だと思う。最初は今から30年ほど前に、そして2度目は10年ほど前に見た。もちろんその間にヴィデオでも見ているし、このフィルムについて20数年前にかなり長い文章を「ユリイカ」の川島雄三特集にも書いたことがあった。さらに、ここ数年は、ぼくの中で川島雄三がブームになっていて、『銀座二十四帖』を初めてとして大好きなフィルムも増えた。川島関連の書物も何冊も読んだ。品川宿周辺を何度も歩いてみた。銀座、品川、九段下、晴海、東陽町……川島的な東京の各地についての知識も土地勘も以前よりもずっと豊かになったと思う。そして、今回、『幕末太陽傳』を見直してみて、その111分の上映時間が嵐のように過ぎ去って、改めてこのフィルムの素晴らしさを納得する。成瀬巳喜男の東京もあるし、小津安二郎の東京もある。成瀬ならば、変わっていく東京の中で、まるで取り残されたように変わらずにあるものが亡びていく時間が描かれているし、小津ならば、やはり変わっていく東京と変わらずにある東京の相克がフィルムの中で平衡を保っているように見えるが、川島の東京は、変わっていく東京の速度そのものに身を任せている。ぼくら『幕末太陽傳』を見る者も、その東京の変わっていく速度そのものに身を任せているからこそ、このフィルムの上映されている時間を嵐のような速度だと感じるのだ。

 小津ならば、変わっていくのは東京の風景とそこに住む家族だった。成瀬ならば、変わっていく東京の中で消えていくのは女性たちと彼女たちが生きた恋愛だった。だが、『幕末太陽傳』には変わっていくことで人々が感じるはずの、寂寞感もなければ、何かが無くなっていくという喪失感もない。舞台が品川宿であることも関係があるだろう。冒頭で品川宿を形成する東海道を疾走する馬の姿が速度を文字通り表象することもあるだろう。タイトルバックで加藤武のナレーションで説明される1957年当時の品川が大きな駅と操車場と国道1号線によって示される「交通の要衝」であることもあるだろう。東海道の最初の宿場である品川宿は、そこが宿場である限り定住する場所ではなく、通過する通路に過ぎず、品川駅もまたそこで京浜東北線と山手線と東海道線と京急が交わる場所ではあっても、上野駅や東京駅のようなターミナル・ステイションではない。乗換駅であっても終着駅ではない。品川宿とは優れて交通のみを表している。

 主人公の居残り佐平次(フランキー堺)にせよ、彼のニックネイムである「居残り」が示す停滞とは正反対に、彼は、「いのさん!」と誰かに呼ばれると、遊郭相模屋の部屋から部屋へ、1階から2階へ常に移動している。彼自身が、まるで品川宿のように、品川駅のように移動と乗り換えそのものと化している。そして、ペリーが浦賀沖にやっていて以来、鎖国の扉を開いた江戸時代も、明治の文明開化に向かって、その速度を増している。このときの品川宿は、歴史の上でも時代の結節点になっている。空間的にも時間的にも速度のみが存在証明であるこの時代の品川宿、それが『幕末太陽傳』なのだ。

 よく言われているように「川島雄三はモダニストだ」という言葉を、このフィルムを見た者は誰でもがごく自然に納得するだろう。戦後の変わっていく東京に身を任せた小津も、もちろん「モダニスト」ではあるだろうが、川島が体現する速度を持ってはいない。日本家屋から51Cの空間へと変わっていく様を示すことで日本のモダンをしました小津に対して、品川宿の相模屋をそのままセットで作ってしまい、その空間の中の移動と歴史の流れを封じ込めることで速度を導き出した川島。

 ルコルビュジエ門下のモダニスト建築家、坂倉準三の遺作は品川駅前のホテル・パシフィック東京だ。その最上階にあるレストランからは品川駅の全貌を見ることができる。東海道新幹線、山手線、東海道線、京浜東北線、横須賀線……それらのすべてが線路の上を滑るように走る様が見える。