『建築と日常』編集者日記

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『建築と日常』編集者日記
最終更新: 10年 18週前

2014-06-08

土, 06/07/2014 - 15:00
ピーター・ファレリー&ボビー・ファレリー『ホール・パス──帰ってきた夢の独身生活〈1週間限定〉』(2011)を観た。深夜に地上波のテレビで放送していたもの。だいぶ前からうちのアパートメント全体でケーブルテレビに加入しているのだけど(無料のチャンネルでは大した番組はやっていなさそうだったし、観始めて止まらなくなったら困るから、チューナーはコンセントから外して、リモコンにも電池を入れずに放置していた)、最近そのチューナーが交換されて、ハードディスクに録画する機能が新たに付加された。そうするとあまり興味のな ...

2014-06-07

金, 06/06/2014 - 15:00
TOTOギャラリー・間で「乾久美子+東京藝術大学 乾久美子研究室 展──小さな風景からの学び」(〜6/21)、東京ミッドタウン・デザインハブで「窓学“WINDOWSCAPE”展 〜窓の研究プロセスからミラノサローネまで〜」(〜6/15)を観た。観たといっても次の予定が差し迫っていたためほとんど駆け足。どちらもフィールドワーク系の展示で、タイトルに「学」の文字がある。

2014-06-06

木, 06/05/2014 - 15:00
渋谷のヒカリエ8で「原寸大|日本の建築ディテール 1964→2014」展(〜6/16)を観て、公開座談「建築家とディテール──学びの連鎖」(坂本一成×吉村靖孝×武井誠、司会=倉方俊輔)を聴いた。『ディテール』誌の創刊50周年を記念した展覧会は、東京カテドラル(1964)からせんだいメディアテーク(2000)まで、誌面に掲載された選りすぐりの10作品の矩計図が1/1スケールで展示されていて、分かりやすくかつ迫力がある。 ディテールもこうして厳選したものを解説付きで見せてくれれば意味が理解できるのだけど、 ...

2014-06-03

月, 06/02/2014 - 15:00
例の講義も6回まで終わった。西洋建築史のパートに入って意外にも楽になったのは、予定の内容を必ずしもその日のうちに片付けなくてもよいという点。初回と第2回はそれぞれ1回分の内容をかっちり決めていて、けっきょく時間が足りずに終盤焦って駆け足になってしまったのだけど、西洋建築史は古代/中世/近世/近代の4回のシリーズで考えているので、たとえその日の内容が終わらなくても、任意の地点で「じゃあ続きはまた次回」とすることができる。それで多少なりとも心理的に余裕が生まれた。ただし、その結果、全4回で予定していた内容 ...

2014-06-01

土, 05/31/2014 - 15:00
前田英樹『ベルクソン哲学の遺言』(岩波書店、2013)をぱらぱらとめくってみたものの、やはりベルクソン本人のテキストを読んでいないと無理がある。それでもところどころ響いてくる個所はあった。たとえば下記の文。これは僕にとっては篠原一男と坂本一成の関係を考えると実感を持ちやすい。もちろんお二人は師弟関係なので、師匠から弟子への影響というのは無視できないけれど、坂本先生自身がその影響を確信的に語っておられることもあって、どうも一般にはその影響関係および時代の移り変わり(篠原[の時代]がこうだったから坂本[の ...

2014-05-31

金, 05/30/2014 - 15:00
最近DVDなどで観た映画。ヴィクター・フレミング『オズの魔法使』(1939)、ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』(1953)、ウディ・アレン『恋のロンドン狂騒曲』(2010)、北野武『アウトレイジ ビヨンド』(2012)。 前2作はたいへん有名な作品ながら、これまで観るきっかけがなかった。それが『オズの魔法使』はたまたまBSで放送していて、『ローマの休日』は例の講義(バロックの回)で紹介しようと思って、それぞれ観ることになった。きっかけがなかったというのは、僕になんらかの先入観があって、あまり積極的 ...

2014-05-29

水, 05/28/2014 - 15:00
テレビの大相撲中継を観ようとして、ある人がその日の解説をしていると、音声を消して観たほうがましではないかと思うほど残念な気分になる。とはいえやはり行司の声や力士がぶつかる音やお客の歓声などまで消えてしまうのは惜しいから、結局は音を消して観ることはしないのだけど、その代わり取組のあいまにその人がしゃべり出したとき、反射的にチャンネルを替えるということは間々ある。 残念な気分になる原因は、その人がする話の底の浅さであり、そこから透けて見えるその人自身の底の浅さである。大相撲中継の解説者はみな元力士だから、 ...

2014-05-28

火, 05/27/2014 - 15:00
例の講義も第5回まで終わった。未だにぜんぜん慣れない。途中、すこし観念的に入り組んだような話があると、うまく喋れずに言い淀んでしまったりする。たぶん文章で書けばなんてことはない内容だし、3〜4人くらいの会話でもそれなりに無理なく話すことができると思う。しかし大人数を前にして、相手方の呼吸がつかめないような場所に身を置くと、どうにも居たたまれない気分になってきて、自分が発する言葉から実感が失われていってしまう。それは裏を返せば、そこで話そうとしていることは、他のいわゆる教科書的な内容と違って、自分で実感 ...

2014-05-27

月, 05/26/2014 - 15:00
雨上がりの庭。窓辺にいて物音がして、猫かと思って見ると蛙だった。

2014-05-25

土, 05/24/2014 - 15:00
最近VHSで観た映画。ジャン・ルノワール『黄金の馬車』(1953)、ホン・サンス『豚が井戸に落ちた日』(1996)。『豚が井戸に落ちた日』はホン・サンスのデビュー作。洗練されない感じはあるけれど、ホン・サンスは最初からホン・サンスだった。

2014-05-24

金, 05/23/2014 - 15:00
藤本壮介さん設計の《T house》(2005)を訪問。群馬県前橋市。住人であるご家族4人を実行委員会とする「場所・T house」プロジェクトの第1回として、先々週から今週まで、週末限定で白川昌生展が開かれている。今後も1年に1回程度は企画をしていきたいとのこと。 私たちの家が豊かでなければ、 私たちの街は豊かにならない。 私たちが豊かでなければ、 私たちが出会う人と豊かな関係を築けない。 地域の豊かさに気づかなければ、 世界の豊かさを知ることはできない。 ───「場所・T house」宣言より ...

2014-05-21

火, 05/20/2014 - 15:00
キング・ヴィダー『摩天楼』(1949)をDVDで観た。個人の信念を貫く天才的建築家と、大衆迎合主義との対立。原作のアイン・ランド著『水源──Fountainhead』(1943)は例の講義の課題図書の1冊にあげているので(3月27日)、出題者として読まないわけにはいかないのだけど、A5版に2段組で1000ページ以上ある邦訳を開くタイミングがつかめず、とりあえず映画版を観てみた次第。 建築家を描いた映画として存在自体は学生の頃から知っていた。しかしレンタルショップにあまり置いていないこともあって、これま ...

2014-05-20

月, 05/19/2014 - 15:00
例の講義の第4回。西洋建築史が始まった。先週の見学会(5月13日)のあと、学生たちは篠原一男設計の《上原通りの住宅》(1976)も見学したらしく、《SHIBAURA HOUSE》(2011)、《蟻鱒鳶ル》(2005-)と合わせて3つのうちでどの建築がいちばん印象に残ったかを聞いてみた。関係者の方々に配慮して、結果は伏せておくことにする。 見学会で学生たちが撮影した写真をリンク先のサイトに載せました。今後も講義に関連して、なにかしらアップロードするかもしれません(しないかもしれません)。 建築・都市概 ...

2014-05-19

日, 05/18/2014 - 15:00
事前に《雲野流山の家》(1973)の図面と写真を見ていて気になったのは、これも西洋建築史のことが頭にあってか、主室の4.5m角の正方形断面がどのように体験されるのかということだった。特にルネッサンスの建築では、単純な比例関係がこれでもかというくらいに用いられるわけだけど、その幾何学性が現実の空間にどう現れてくるのか、図面と写真を見るだけでは今ひとつ実感がない。しかし結局《雲野流山の家》では、正方形の幾何学性はほとんど感じられなかった。そもそも断面における正方形は平面や立面の正方形よりも知覚しづらいし、 ...

2014-05-18

土, 05/17/2014 - 15:00
機会があって、《雲野流山の家》(1973)を見学させていただいた。坂本一成先生の30歳頃の設計作品。陸屋根のRC造で、内部の床に舗道用のブロックが敷かれていたり、発表時の文章で「無色で、無性格で非情な何も語らぬ空間」への指向が表明されていたり(「乾いた空間──即物性と存在性」『新建築』1974年2月号)、坂本先生の作品歴では比較的硬質なものという印象を持っていたけれど、実際訪れてみると、思っていたよりも《水無瀬の町家》(1970)および《代田の町家》(1976)との連続性が感じられた。 あらためて言葉 ...

2014-05-14

火, 05/13/2014 - 15:00
今のところまだ学生の名前を一人も覚えていない。提出物や講評会のやりとりをするうちに覚えることもあるとは思うけど、たとえ覚えたとしてもなるべく覚えていないフリをしたい。全員覚えていないか全員覚えているかのどちらかの状態が理想的であるような気がする。

2014-05-13

月, 05/12/2014 - 15:00
例の講義の第3回として、妹島和世さん設計《SHIBAURA HOUSE》(2011)と、岡啓輔さん設計施工《蟻鱒鳶ル》(2005年から建設中)を見学させていただいた。どちらも自分が興味をもっている建築だし、おたがいに歩いていける距離でもあるのだけど(途中の建築会館にも寄り道)、例えばゴシックとの対比でルネッサンスの理解が深まるように、ふたつの建築を合わせて観ることで、それぞれの建築の特質や、それらの建築が位置づく世界の広がりを、より認識しやすいのではないかと考えた。完全に後付けだけども、「SHIBAU ...

2014-05-06

月, 05/05/2014 - 15:00
講義の場でもし僕が5分間無駄な話をしたとしたら、学生が20人いたとして、100分間の無駄な時間が生まれるというような意識が頭のどこかにある。5分ならともかく、それがどんどん短くなって、30秒くらいでもそんなことを感じてしまっているかもしれない。

2014-05-05

日, 05/04/2014 - 15:00
スタンリー・キューブリック『スパルタカス』(1960)をDVDで観た。例の講義の西洋建築史古代編で紹介しようと思って、15年くらいぶりに観てみた。198分。長い。大作とはいえCGのない時代の映画だから、古代ローマの建築がそれほど再現されているわけではなく、コロセウムも出てこなかったし、講義の場でわざわざ紹介することはないかもしれない。 西洋建築史古代編では他にD・W・グリフィス『イントレランス』(1916)とマノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』(2003)を取り上げようと思っていたのだけど、この ...

2014-05-04

土, 05/03/2014 - 15:00
メモ。ハンナ・アーレント『アイヒマン論争──ユダヤ論集2』(ジェローム・コーン/ロン・H・フェルドマン編、みすず書房、2013)より。  われわれには一世紀[…]にわたる便宜主義的な政治の経験がある。この時期には、便宜主義的な政治家が民衆を政治から疎外したのとおなじ仕方で、学者や文献学者が民衆を歴史から遠ざけるのに成功した。人類の進歩という崇高な概念からはその歴史的意味が奪われ、単純な自然的事実へと歪曲された。それによれば、つねに、息子は父親よりも善良で賢明な者、孫は祖父よりも啓蒙された者だというこ ...