カンヌ映画祭日誌2013[高木佑介]

パリ滞在日記1 2013年5月7日(火)

 5月7日、4年ぶりの海外渡航だというのに、たいした準備も出来ないままエールフランス機に乗り込んで、シャルル・ド・ゴール空港に向かう。5月15日から開催するカンヌ映画祭の取材(と称した旅行)が今回の目的で、nobody最新号の準備もかなり中途半端に投げ出して出発してしまったのだが、まあパリでも何かしらのことはできるだろうとタカを括っている。とはいえ、日本を発つ前日に購入した廣瀬純の最新刊『絶望論』を機内で読み、いたく感銘を受けた一方で、まあ自分がパリでできることなんてたいしたものにはならないだろうと、パリ到着前からすでに己の無力さを実感。こんな心構えでパリに行っていいものなのだろうか。

  案の定、準備と下調べの不足が祟ってか、今回の旅行でお世話になるクレモン・ロジェとの待ち合わせ場所の北駅で、彼に連絡をつける手段がないことに気づく。さすがに携帯で国際通話はちょっと、ということで、フライトの疲れからか10分くらい思考停止したのち、とりあえず駅のパン屋でショーソンを買ったついでに店員に公衆電話の場所を聞く。大雑把に「あっちの右よ!」と言われたので「あっちの右」に行ってみると、そこにはたしかに公衆電話が。クレモンの番号をメモし忘れたので、パリ留学中の槻舘南菜子さんに電話。が、留守電。万事休すか、と思って受話器を置くと、公衆電話が鳴り出す。受話器を取ると槻舘さんで、クレモンに連絡して迎えに行ってもらうとのこと。海外の公衆電話って呼び出しできるんだ、そういえばダーティハリーもサソリからの連絡を公衆電話で受けてたな、たしかにこの北駅はなんかヤバい匂いがプンプンするぜ!などと、どうでも良いことが頭をよぎる。こんなどうしようもないことを最初の日記に書いていいのかと思うが、とにかくその時僕はそれくらい疲れてたのだった。  

  この時期のパリは日が落ちるのが遅く、20時でもまだ明るい。DVDが山のようにあるクレモンの家に荷物を置いて、槻舘さんとクレモンに案内されて「ジャネット」というビストロで晩御飯。「東京の様子はどう?」とクレモンに聞かれたので、梅本さんがいなくなってから少しつまらなくなったよと、白ワインでたいして頭も働かない状態で返事をする。梅本さんと最後に会った東横渋谷ターミナル駅や、梅本さんに連れられていった横浜馬車道の洋食屋ポニーがなくなったことくらいしか思いつかないのだが、どうして僕は今の東京界隈を「つまらなくなった」と感じているのだろう。パリにしばらくいれば考えがまとまるだろうと、今はひどく楽観的に考えている。

  明日は水曜日だから、パリの映画上映情報を網羅すりパリスコープが発売されると槻舘さんが言っていたので、キオスクかどこかで買うことにしよう。クレモンとル・シャンポという映画館で、日本で見逃していたロバート・アルドリッチの『合衆国最後の日』を午後から見ようと約束し、ベッドで『絶望論』の続きを少し読む。廣瀬純が責任編集を務めた週間金曜日に載っていたフランコ・ベルディが「未来とは待機・想像力・準備のことだ」と言っていたことを思い出しながら、寝た。

パリ滞在日記2 2013年5月8日(水)

 朝9時に起床し、パリで使うプリペイド携帯を怪しい店で購入後、クレモンと一緒にモンパルナスに行く。ブルターニュ地方のチーズとハムと玉子のシンプルなクレープとリンゴの果実酒で腹ごしらえし、リュクサンブール公園を横切ってオデオン、サン・ミッシェル界隈の映画館をまず案内してもらうことに。以前、彦江さんにパリでジョギングするならどこが良いか聞いたとき、リュクサンブール公園が良いと言っていたが、たしかにジョギングには気持ちが良さそうな場所だ。クレモンが通っていたリセはこのそばにあるらしく、ジャック・プレヴェールやミシェル・ゴンドリーもそこの卒業生なのだとか。この前、アンスティチュ・フランセ東京で『ランジュ氏の犯罪』が上映されたけど、あの映画はすごいよねという話をするも、ミシェル・ゴンドリーには特にお互い言及せず。それにしてもリュクサンブール公園は本当に良い場所で、のんびりとデートするには最高のスポットだ。クレモンが昔付き合っていた彼女との最初のキスはここでだったと言ったので、僕も負けじと昔付き合っていた彼女との最初のキスはやっぱり公園だったよと答える。

 「初キスをする場所は公園が一番」という点で意見が一致したところで、アルドリッチの上映があるル・シャンポに到着し、近くのカフェで時間を潰してから『合衆国最後の日』を見る。分割された画面でなしくずしに事態を急転させていく手つきと勢いに舌を巻く。リチャード・ウィドマークのいつも通りの悪どさを見て、不慣れなパリにまで来た者としては、何故か安心させられてしまった。『カリフォルニア・ドールズ』で悪徳プロモーターをしていたバート・ヤングが、この映画でもやはり良い存在感を発揮している。家を出る前にクレモンの家で、YouTubeにアップされているアルドリッチの『クワイヤボーイズ』のとあるシーンーービルの屋上から飛び降りようとしている黒人女性を、警官役のバート・ヤングが説得するとこーーを見たのだが、おそらく『ダーティハリー』のパロディなのか、なだめるのではなく汚い罵声を浴びせるというくだりがあった。「Go ahead , bitch!」とバート・ヤングがハリー・キャラハンのように言った瞬間、黒人女性が自殺を諦めた、のではなく盛大に飛び降りて死んでしまうというなんとも凄いシーンだったので、今度全編を見てみよう。

 映画のあと、アクション・クリスチーヌの前まで案内してもらい、そこでクレモンと別れる。そういえば梅本さんが好きだったというユンヌという本屋はこの辺だろうと思い出し、適当に歩いていたらサン・ジェルマン・デ・プレ教会そばにあるその本屋を発見。改装されたのか、中にはいると白を基調とした小綺麗な店内で、とりあえず2階にある「映画」コーナーに行って本を眺める。セルジュ・ダネー著作集や最近出たらしいギイ・ドゥボールについての本に食指を動かされるが、値段がそこそこしたので今回は購入せず。階段を降りる途中、正面の壁にジャック・ドゥミの写真が飾ってあることに気づき、しばし凝視。の後、「哲学」コーナーでアラン・バディウやジョルジュ=ディディ・ユベルマンらの名前が載った薄い本が平積みされているのを見つけ、手に取って中身を見たあと、元の場所にそっと戻し、結局何も買わずに出る。でも、たしかに良い本屋だ。また今度行って何か買おう。

 その後、特にいく場所も考えていなかったので、さっき買ったプリペイド携帯で槻舘さんに「Saint Michelにいます」とメールしようと試みるが、使い方がわからず、「S」のひと文字だけの何やら暗号めいた文章を送信をしてしまい、「What?」と困惑させてしまう。30分ほどサン・ミシェル橋の上で携帯と睨めっこしてようやく連絡がつき、夜は友人とベトナム料理を食べに行こうということで、槻舘さんを待つあいだに売店でパリスコープを買い、オデオン交差点にある"Les Editeurs"(編集者)というカフェで一服。ほどなく槻舘さんが到着し、パリスコープの読み方と今見るべき映画を教えてもらう。これは面白い、これはつまらないと、スピーディーに仕分けしていく手つきに感銘する。大いに助かった。色々と考えた末、明日はテレンス・マリックの新作「To be Wonder」がステュディオ・グランという映画館で14時からやっているので、それに行くことにする。途中、そのカフェのテラス正面のオデオン交差点にある木に、クリスマスツリーの飾りのように何冊も本がぶら下がっているのに気づいたのだが、あれはいったいなんなんだろう?今度調べてみよう。その話を槻舘さんにすると、テレンス・マリックの新作にはこの場所を見下ろせるアパルトマンが出て来て、今まさに僕たちがいるカフェも映っているのだとか。すごい偶然だ!と思うものの、そういうことがさも普通に起こるのがパリの「日常」であり、この街の魅力なのだろう。

 オデオン駅から10番線に乗って、ジュシュー駅で7番線に乗り換えてトルビアックに向かう。安くて美味しいベトナム料理屋があるらしく、パリ在住の渡辺純子さんと合流し、牛肉のフォーを食べる。話を聞くと純子さんは編集者のヤン・ドゥデのアシスタントをしている方で、フィリップ・ガレルの映画やオリヴェイラのUn Film Parlé、Le Cinquième Empire、Le Miroir magiqueでも仕事をしているという凄い方であることが判明。昔、ヤン・ドゥデが自分の作品の主演俳優と女優を新聞広告で募集していたことがあるらしく、ヤン・ドゥデが何者なのか知らないまま問い合わせていったところ、「若過ぎる!」と断わられたのだとか。そのとき、純子さんは本当は編集に興味があると言ったところ、ヤン・ドゥデが「えっ?実は俺も編集者なんだよ、トリュフォーの映画とかの」と切り返され、そのままアシスタントとなったそう。新聞広告で主演を探すヤン・ドゥデもどうかと思うが、なんか凄いエピソードだ。フランソワ・ミュジーとヤン・ドゥデと車に乗ったとき、「俺は25のころからトリュフォーと仕事している」というヤンに、ミュジーが「俺だって25のころからゴダールと仕事してるよ!」と言い返していたという話を純子さんから聞いたり、シネマテーク・フランセーズの本屋でレジ打ちをしている店員は実はベンヤミンとかを翻訳したりしている凄い奴だという話を槻舘さんから聞いたりして、大いに楽しい時間を過ごす。槻舘さん曰く、フィリップ・ガレルが日本で映画を教える仕事の口があるならいつでも行きたがっているとのことだった。パリには本当に面白い人がたくさんいると実感。

 帰宅する前に北駅近くのパキスタン人の店で水を購入しに行き、大きな黒人男性からなにやら罵られた気がしたので、「ごめん、フランス語わかんない」というと、逆に謝られて最後はボン・ソワールとお互い挨拶して別れる。その夜はクレモンが用事で家にいないうえ、彼の父親のジャン=フランソワ・ロジェもバケーションでいないので、DVDが溢れたでかい家にひとりきりで寝ることに。明日はテレンス・マリックの映画を見て、パリの街をブラブラすることにしよう。

パリ滞在日記3 2013年5月9日(木)

 

 

14時からテレンス・マリック「To be Wonder」をステュディオ・グランデにて見る。ベン・アフレックとオルガ・キュリレンコが夫婦役で、物語の趣旨は、ヒステリックなフランス人の嫁さんが地味な土木調査員のアメリカ人と結婚して、何にもないアメリカの南部の郊外あたりで暮らすはめになり、次第にお互いの愛の不可能性に気づくというもの(正しいのかわからないけど)。ほとんど『ツリー・オブ・ライフ』の続編を見てしまったような印象で、カメラによって切り取られた何でもないイメージの全てが神の賜物なのだ、というテレンス・マリックのつぶやきが聞こえてくるかのようだった。上映後、隣の席の男女が苦笑気味に顔を見合わせたあとキスをしていたので、「僕たちは仲良くやっていこうね」とカップルに思わせるような映画なのだろう。でも面白いので、ぜひ日本でも公開してほしい。

 

上映後、槻舘さんに教えてもらったサン・ジェルマン・デ・プレ界隈のラ・デュレの斜め向かいにあるカフェで一服。槻舘さん曰く、最後に梅本さんがパリを訪れた際に、ここが好きだと言っていたらしい。ジャズ・ミュージシャンの写真がこざっぱりと飾られている落ち着いた店内で、前日の日記を書いているうちに1時間半ほど長居してしまう。途中、聞き慣れた音楽が聴こえてくるなと思ったら、メロディ・ガルドーの「My One and Only Thrill」の曲だった。(そう言えば梅本さん、メロディ・ガルドー好きでしたよね。青山真治監督の舞台「おやすみ、かあさん」でもこのアルバムに入ってる唯一のカヴァー曲の"Somewhere Over The Rainbow"が使われていましたし。梅本さん、あなたとメロディ・ガルドーの話をしたことなかったですけど、実は数年前、僕も少し真面目に就職活動していた時期に、東京ジャズフェスティバルでガルドーが日本に来日したことがあって、フェスティバルを主催だか企画だかしていたNHKの就職面接で、御社のジャズフェスティバルは素晴らしく、メロディ・ガルドーは最高だった、とリクルートスーツ姿で言ったことがあったんですよ。ちゃんと落とされましたけどね。でもそのとき不合格じゃなかったら、というか梅本さんがいなかったら、おそらくいま僕はパリにいないでしょうし、このカフェでガルドーの歌を聞くこともなかったでしょう)。

 

そのカフェを出て歩いていると、近くの壁にクリス・マルケルが映画に撮っていた猫、ムッシュー・シャの落書きがあった。メロディ・ガルドーが流れるカフェといい、この落書きといい、もういなくなった人たちの記憶と結びついた痕跡がそこかしこに残っていることに少し戸惑う。自分の記憶というより、この都市自体が記憶を蓄積している感じがする。

 

ーーそう、梅本さんが総合司会を務めるはずだった大学関連のシンポジウムで、建築家の北山恒は、この数十年間の日本は、都市の記憶が急速に消されて書き換えられていく時代だと言っていた。東横渋谷ターミナルが閉鎖され、続いて小田急の下北沢駅は地下に移り、おそらくそこを通ることはもうほとんどないだろう渋谷桜ヶ丘のシアターNは、閉館後ビジネススクールに変わった。5月末には銀座テアトルシネマがなくなり、「銀座」の名を冠した映画館もシネスイッチ銀座だけになる。他にもまだまだそんな話はあるし、ずっと前からそれが日本の「日常」だったのかもしれないが、最近特に都市の記憶が消されていくことを強く感じるのは気のせいなのだろうか。そのシンポジウムは、都市の記憶を繋ぎとめることが重要である一方、新しく生まれ変わっていく都市とともに何をしていくのかもっと考えていかなければならない、という議論が展開されたあたりで終わった。登壇者のひとりが、アラン・バディウの名前を出しながら、新しい都市にもある意味で「愛」を注ぐことが重要だと言っていたことを思い出す。それはおそらく正しい。でも気になったので、アラン・バディウの『愛の世紀』(原題直訳タイトルは「愛を讃える」)を日本を発つ前に読んでみると、その結論部でバディウは、ゴダールの映画の「愛」や「抵抗」のすべてには、「メランコリー」がべったりと張り付いている、そこが私との違いだというようなことが書いてあったと思うのだが、「愛」も「抵抗」も重要だけど、じゃあ「メランコリー」って何なんだ? 話は逸れてしまったが、パリで今、そのことについてぼんやりと考えている。

 

夜は槻舘さんに誘われて、最近引越しをしたフランス人宅のパーティーに参加。ポンピドゥーセンターでプログラミングをしているエンリコ、ギリシャの大学で安藤忠雄研究をした後、現在はパリでマヤ・デレン研究をしているエレーヌと出会う。ゾンビ映画の起源は「ホワイトゾンビ」だとか、テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』は日本の映画批評の大家の蓮實重彦に酷評されたとか、とにかく色々話す。ふたりとも実験映画に造詣が深く、最近日本で見たベン・リヴァースの『湖畔の2年間』は凄かったと言うと、エンリコからベン・リヴァースのことや彼の手がけたプログラミングについて色々教えてもらう。途中、槻舘さんたちも知らないちょっと綺麗なフランス人女性に話し掛けるも、少し話しただけでどこかに行ってしまい、あとでエンリコに「フランスの女はそんなもんさ」と慰められる。その夜はメトロを逃したので、セーヌ川沿いを危うい足取りで歩いたあと、バスで帰った。

 

 

 

 

 

 

パリ滞在日記4 2013年5月13日(月)

10日〜13日の日程で、パリからミラノに移動し、しばらく滞在する。かつてはヴィスコンティ家が治めた都市であり、中心部にあるドゥオーモから放心円状に広がっているのがミラノだとひどく大雑把に把握する。もちろん、ミラノと言えばミラノ・コレクションがあるからして、プラダ、グッチ、アルマーニ等々、モンテ・ナポレオーネ通り沿いに有名高級ブランドが軒並みを揃えている。特に買いたい物もなかったので、クレモンに頼まれたClaudio Caligari監督の"Amore Tossico"のDVDの購入したほかは、ジェラートやピッツァを食べながら街を散歩する日々。『武器よさらば』でヘミングウェイが記述しているカフェ・コーヴァ、ミラノ中心部の南西に位置するナヴィリオ運河あたりがなかなか良いスポットで、滞在最終日にミラノ郊外に位置するマルペンサ空港に行く前に、朝早くからナヴィリオ運河沿いを散歩して記憶に焼き付けておく。ミラノではパスタ、マルゲリータ、オッソブーコ(リゾットに羊肉の煮込みが添えられたもの)、コトレッタ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)などを食べる。どれも美味いが、オリーブオイルを過剰に摂取しすぎて少し胃がもたれる。そろそろ日本のハンバーグやとんかつが食べたくなってきた。しばらくの休業を経てから今年閉店してしまった上野のとんかつ「双葉」のように、もたもたしていると一生食べれなくなると非常に辛いので、次にいつ行くことができるのかわからないこの海外滞在でも、食えるときに食っておかなければと、サイフと相談しながら動き回っていた。

その他、ブレラ絵画館で彦江さんに見ることを勧められたヴェロネーゼによるキリストの晩餐を描いた絵画を見たり、ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」が納められた教会で日曜日のお説教を聞いたり、老舗食料品屋ペックにてロジェ家へのお土産を購入したり等々、とにかく適当にぶらぶらする滞在となった。ブレラ絵画館ではマリオ・シノーリという画家に少し興味を惹かれる。ミラノには路面電車が街中を走っていて、それに乗って知らない場所まで行くのが一番興奮した。路面電車の一番後ろから見える風景は昔と現在で大きく異なれど、ルキーノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』でアラン・ドロンと彼女のふたりが飛び乗る路面電車がまだちゃんと走りまわっていることに素直に感動する。横浜から路面電車がなくなったのは不便なことと経済的な理由によるものだったのだろうが、歩いたほうがおそらく早い路面電車のその「不便」なところがたまらなく良いことにミラノで気づかされる。『若者のすべて』は経済成長の高まりを見せていたミラノの街を訪れた貧乏な南イタリーの家族の物語だったが、あの映画の冒頭に登場するミラノ中央駅はまだ当時の面影を残していて、その駅から空港へと向かう列車に乗りながら、ヴィスコンティのことをあれこれと考えつつパリへ帰った。今年のカンヌ映画祭にはアラン・ドロンが来るので、ぜひ一目見てみたい。そういえば、今年のコンペに入っているジェームズ・グレイもヴィスコンティの『若者のすべて』が好きなのだと教えてくれたのは、梅本さんだったな。

パリに戻ってからロジェ宅にて、バケーションから帰ってきていたジャン=フランソワ・ロジェとパリでようやく会うことができ、槻舘さんたちを交えて食事。クレモンに教えてもらったニコラというワインショップで買ったけっこう上等なワインを手土産として渡す。何年か前にシネマテーク・フランセーズで行われたサッシャ・ギトリのこと、日本やフランスの映画批評のこと、カンヌ映画祭のこと(マネー・クレイジーがいっぱいいる変な場所だぞ、と言われた)、あと何故か鶴田浩二のCDを聞きながら、日本のヤクザのことなどについて談笑する。ロマンポルノの話題のときに、クレモンが右翼の邸宅にセスナ機で突っ込んだ俳優・前野霜一郎のことについて嬉しそうに話し出し、なんでそんなことまで知ってるんだと少し驚いた。

パリ滞在日記6 2013年5月15日(水)

16時からマレ地区のリヴォリ通り沿いにあるカフェ「ラ・タルティーヌ」にてエリーズ・ジラールのインタヴューがあるので、打ち合わせも兼ねてクレモン、槻舘さんとランチ。サン・ジェルマン・デ・プレにあるビストロ「プチ・サン・ブノワ」に行く。ここもかなりの老舗だそうで、かつてはマルグリット・デュラスやセルジュ・ゲンズブールが食事をしに訪れていたらしい。槻舘さんが梅本さんと最後に食事をしたのもここだったらしく、味は普通だが、ここが好きだと言っていたのだそうだ。店の中に入ると、いかにもビストロらしい小ざっぱりとした店内で、デュラスの写真などが飾られている。とりあえずウッフ・マヨを3人分注文し、クレモン&槻舘さんは本日のお薦めポワッソン、僕はビーフのバベット(ステーキみたいな料理)を食べる。たしかに味はいたって普通だが、これくらいの美味さが逆に丁度良い。店内には木でできた書類入れみたいなものが片隅に置いてあり、かつては常連たちの専用ナプキン(デュラスならデュラス専用のもの)が収められていたのだと梅本さんが言っていた、と槻舘さんから教えてもらう。うーむ、さすが梅本さん、そういうちょっとした歴史を感じながら食事をするのは僕も好きですよ。三軒茶屋にある「らんたな」という美味い中華屋があるのだが、そこの店主は昔はダイヤモンド・ホテルや高輪プリンス・ホテルで修行していた、と店主から聞き出した情報を梅本さんに教えると、「高木、もっとそういう記事をnobodyに書いたら?」と言われたことを思い出す。その話をしたのは、大学の研究室掃除で膨大なレ・ザンロックの雑誌をFellowsバンカーズボックスに箱詰めしたあと、秘書の中根さん、隈元くんを交えた4人でランチをしているときだったな。話題はほとんど東京の美味い店の話で、日比谷の「慶楽」だとか、中目黒の「キッチン・パンチ」だとか、渋谷に昔あったうどん屋の話だとかで、気がつくと1時間30分くらい僕たちはおしゃべりしていたのだった。

バベットを平らげたあと、デザートとしてリズ・オ・レ(ラム酒とお米と牛乳を混ぜたお菓子)を堪能。すごくシンプルな見た目で、おかゆみたいでとても美味そうに見えないのだが、ラム酒の風味がほど良く効いており、フランスのデザートの奥深さを実感する。実を言うと、今回僕が食べたウッフ・マヨ、牛肉のバベット、リズ・オ・レというメニューは、すべて梅本さんがここで最後に食べたもの。「なんか梅本さんの最後の晩餐を食べているみたいですな」と槻舘さんに言うと、苦笑いしていた。

ちなみに、なぜ僕は梅本洋一が好きだったカフェやビストロに行っているのかというと、梅本さんが教えてくれる場所ははずれがないから。そして何よりも「梅本さん、あそこの店、美味かったですよ」と話をするのが好きだったからである。大学に入りたての頃、僕にとって梅本さんはとても怖い先生であり、映画の話もまともにできないくらいだったのだが、僕も美味いもの好きという性分もあってか、まずはB級グルメを足がかりにして気軽な話題をつくろうと考え、それが僕もB級グルメ好きになったきっかけだったと思う。まずは横浜の店を「恰幅の良い彼」などの食通サイトを研究室のPCを見ながら教えてもらい、渋谷近辺は「渋谷とっておき!」、あとは食べログで東京のめぼしい店を教えてもらった記憶がある。もちろんネットだけでなくて、梅本さんが昔から食べていた店や、好きなグルメ本にのっていた情報もたくさんあった。入門編として渋谷の「とりかつ」や「コンコンブル」、慣れてくると銀座「三州屋」、京橋の「伊勢廣」など。そういった店をあらかた食べ回ると、最後は神田の鳥すき屋「ぼたん」などなど、気軽に行ける場所から高くて絶対行けないような場所まで梅本さんに教えてもらったが、さすがに「ぼたん」はまだ行ったことがないし、行けるほどの金もない。とにかく、今でもちゃんと営業している店もあれば、もう閉店してしまった店もたくさんある。そんなこんなで、映画を見に行って、安くて美味いものを食べることはいつの間にか僕にとって当たり前の習慣になってしまい、それだけにこの「プチ・サン・ブノワ」のように、まだ僕が未開拓だったパリのビストロのことを梅本さんと話せないが少し悲しい。

エリーズ・ジラールさんはとても良い人で、アクション系映画館の成り立ちや現在の話をとても面白く聞くことができた。nobody次号に載せるので、詳しくはそちらで書くことにしたい。頑張って記事を書かなければ。先ほどのいささか高くついたランチ代を奢ってあげたのだから、クレモンにはテープ起こしを頑張ってもらいたいところ。

夜はポンピドゥーセンターに行き、エンリコにタダ券をもらってアメリカの実験映画監督ナタリ・ドロウスキー(Nathaniel Dorsky)の作品"August and After"、"Song"、"April"を見る。清水宏などについての批評を書いたことのあるセルジュ・ダネーの友人ラファエル・バッサンと話ができ、彼のした仕事についていろいろ聞く。上映後、パリ留学中の須藤さんを発見し、近くのカフェで日本にいる人たちのことやnobody、パリのことについて、しばらく話をする。須藤さん、お疲れ気味のようでしたが、パリで会えて良かったです。

次の日はいよいよカンヌ映画祭に行くので、家に帰りジャン=フランソワとシネマテークのスタッフのアンヌさんからカンヌのことについて色々話を聞いたあと、寝た。パリを離れるのが少し悲しいが、きっとカンヌでも色んな人たちに会えることだろう。

パリ滞在日記5 2013年5月14日(火)

午前中、ジャン=フランソワ・ロジェたちの出勤を見送ったあと、しばらく一人で家でお留守番。nobody関連のメールをせっせと処理していると、突然インターホンが鳴り出す。玄関を開けると水道屋らしき男が立っていて、中にはいって水道チェックをさせてくれ、と言われる。なんだかよくわからないので、一言「ノン!!」と言って追い返す。パリは日本と違ってこういう手口の強盗と詐欺(水道屋詐欺みたいな)があるのかも、と一瞬思ったからだが、さすがに半居候の身で知らないおじさんを家に入れるのは気が引ける。

昼からサン・ミッシェル駅まで行き、エコール通り界隈にあるビストロ「ル・プレヴェール」に行くも満席。「20分待ってくれれば入れるよ」と言われたが、ここでも「ノン!!」ときっぱり断り店を出る。その後、美味そうなビストロを自分の嗅覚を頼りに探していたら道に迷って30分くらい時間が過ぎてしまったので、ちょっと後悔。オデオン座あたりまで行ってうろうろした後、結局先ほどの店から100mほどのところにあるビストロなんとかでビーフシチューとクリーム・ブリュレを大急ぎで食べる。店主も感じが良いおっさんで、料理もなかなか美味かった。14時からグランド・アクションでやっているガス・ヴァン・サントの新作"Promised Land"を見なければ、と思い時計を見ると13:55分。やばい!と思ってクレモンに案内されたときの記憶を頼りに映画館にギリギリセーフで駆け込むと、そこは何故かグランド・アクションではなくて、デスペラードという映画館であった。元々はアクション・エコールというアクション系列の映画館だったが、槻舘さん曰く、映画作家のジャン=ピエール・モッキーがそこを買い取って自分の作品をけっこう上映している場所だとのこと。映画館を間違えるなんて、東京に出てきた18歳のころ以来なので、ショックを受ける。万事休す、こうなったらモッキー映画でも見るか、と思ったら、ミュージカル映画特集としてマーク・サンドリッチの『コンチネンタル』が14時から上映されていたので、これ幸いと鑑賞。マーク・サンドリッチの監督としての初めて大役作品であり、フレッド・アステアが映画デビューしたての頃の作品。それだけに、ミュージカルシーンの撮り方は形式がまだ定まっていないようなぎこちなさに溢れていたが、アステア&ジンジャー・ロジャースの共演をパリの映画館で見れることに感動した。冒頭、パリのレストランで財布が見当たらない有名ダンサー役のアステアが、ツケにしてもらうためにダンスを披露するという導入部がすごく良く、今作で初めて共演した若々しいアステア&ロジャースがコール・ポーターの"Night & Day"にあわせて踊るシーンにちょっと涙腺がゆるむ。コール・ポーターもパリに住んでたんだよな、そういえば。

その後、槻舘さんとオデオンのサン・ピュルシュス教会近くにあるカフェなんとかで会い、カプチーノを飲む。明日に控えているアクション・クリスチーヌ広報&『ベルヴィル・トーキョー』の監督エリーズ・ジラールに、アクション系映画館の話を聞く取材の打ち合わせ。カフェの看板には創業1662年くらいと書いてあったが、本当かいな。ネットで調べるとその時代は、日本では4代目将軍の徳川家綱のころ、あとパスカルの『パンセ』が出版されたころとのことであった。再び槻舘さん曰く、フィリップ・ガレルはこのカフェの2階でしか取材を受けない、とのことだった。 その後、槻舘さんにサンジェルマン界隈の本屋を案内してもらう。ギルバートなんとかでカイエ・デュ・シネマを購入後、シェイクスピア&カンパニーを見物がてら物色。ここがヘミングウェイやらジョイスやらが通った店か!と『ミッドナイト・イン・パリ』のオーウェン・ウィルソンみたいになる。その後、シネ・ルフレという映画書籍屋で、サッシャ・ギトリのシネアルバム的な本を購入。これは良いものを見つけてしまったとホクホクになる。

夜は先日会ったエンリコの友人のイタリアン・バンド"Wild Men"が出るというライブバーにクレモンと繰り出す。助監督をやっているというアンドレア、TV系の仕事をしているマイクに会う。どっちも気の良い連中だった。マイクはいつも楽しそうに笑うキュートなガイで、イタリアの女性とフランスの女性の違いについてあれこれ教えてもらう。バンドはドラムとギターだけの二人だけで、でかいサウンドで何を歌っているのかわからなかったが、音楽に対するストレートな心意気と魂を感じ、大いに楽しむ。その日は来ていなかったが、フランチェスコというイタリア人の男が音楽マニアで、日本で好きなアーティストは「暴力温泉芸者」だそうだ。

家に帰り、nobody渡辺さんに連絡をしようとするも、Wi-Fiの環境設定が悪いのか、PCのスカイプが使えず。渡辺さんを朝の6時からパソコン前で待機させてしまい、ちょっと怒られる。ごめんなさい。でも、パリは本当に不慣れで、ストレンジャーには何かと大変な街なので、勘弁してください。

カンヌ映画祭日記1 2013年5月16日(木)

朝6時に起き、いそいそとロジェ宅を出てリヨン駅に向かう。リヨン駅は主にフランス国内の都市に向かう列車が出る駅で、ヨーロッパ圏内に行く列車は北駅から出ているのだとか。槻舘さんとメトロのホームで落ち合い、TGVに乗り込む。が、僕たちが予約していた席にはオッサンが座っており、「君たちの席は隣の車両だよ」と言われたので、一応僕も男だから槻舘さんのスーツケースを隣の車両まで頑張って運んだら、今度は知らないオバさんに「いいえ、さっきの車両でいいのよ」と言われたので少し困惑する。先ほどの車両に戻ると、僕たちの席に座っていたオッサンはもう消えていたのだった。何なんだ、いったい。 同じ列車に槻舘さんの友人のランズさんがいて、チベットからパリの大学に留学し、チベットの映画監督について研究しているとのことだった。チベット映画を見たことなかったので、中国との関係や、ダライ・ラマとは何者なのかなど、色々と聞く。列車の中はカンヌ映画祭に向かう映画関係者ばかりで、カフェから戻ってきた槻舘さんから「『トム・ボーイ』のセリーヌ・シアマがいたよ」と教えてもらう。ボスの風格が漂うジャン=フランソワ・ロジェは僕たちの一本あとの列車でカンヌに向かうとのこと。槻舘さんは列車の中でせっせとnobodyに掲載する原稿を書いていたけど、とにかく眠かった僕は、6時間ほどの移動時間中、地方の田園風景を見ながらいつの間にか眠りに落ちてしまったので、特に何もせず。

いよいよカンヌに到着し、プレス受付でパスを受け取ってホテルに荷物を置いてから、早速映画を見に行くことに。批評家週間の特別上映として前評判が良いらしいKatell Quillévéréの「SUZANNE」が20時からやっているので、とりあえず会場の行列に並ぶことに。会場に向かう途中、ルー・ドワイヨンが歩いていたそうだが、迂闊ながら気づかなかった。まあ別に良いんだけど。会場に着くと、プレスだからサクっと入れると思いきや全然そんなことはなくて、1時間ほど並んだ挙げ句に招待状やらランクの高いパスを持っている関係者だけで満席。列からブーイングが飛び交う。なんだこれは!並んでも入れないなんてけしからん!と一瞬思ったけれども、同じ列に並んでいたフィリップ・アズーリもドミニック・パイーニも入れてなかったようで、槻舘さんから一言「これがカンヌなのよ」と言われる。むむむ、なるほど、これがカンヌなのか……。

一本上映を逃すと、他の会場でやっている上映にも間に合わなくなるようにスケジュールが組まれているようで、しょうがないのでプレスルームで一休みした後、今度はSalle Debussyという会場で22:15からやっているある視点部門のRyan Cooglerの「Fruitvale Station」を見ることに。列に並んでいると、突然雨が降ってきたので、物売りの黒人から傘を10ユーロで買う。最初は20ユーロと言っていたのに、高いと言うとすぐ10ユーロに下げてきたので、妥当な値段なのだろうが試しに「じゃあ8ユーロにして」と言うと、笑いながら「ダメ」と言われる。ちきしょう、と思っていると、通りの向かう側をタキシード姿のミシェル・ピコリが若い女と歩いていた。まだ到着したばかりだけど、カンヌって変な場所なんだなあ。

初めてのカンヌ映画祭なだけに、もうカンヌ参戦3回目となる槻舘さんがいるのは非常に心強い。映画の会場に入ると、早速レ・ザンロックのジャン=ジャッキー・ゴルトベルクを見つけて教えてもらう。名前に相応しいイカついおじさんであったが、nobodyで特集した彼のトニー・スコット記事は非常に面白かったので、今度会ったときにちゃんとお礼をしよう。映画は少し前に実際にアメリカで起きた警官による故意なのか誤射なのかわからない黒人殺害事件を扱ったもので、冒頭、その瞬間を携帯カメラで撮っていた実際の映像が見せられたあと、時間軸が過去に遡って殺された主人公の男の日常が描かれていくというもの。ムショ帰りで職はないが、嫁さんと娘がいて、母親や家族を大切にする良い奴であることが徹底して描かれており、最後に駅で起きる悲劇の「悲劇」性を無理やり強調しようとしているのが見え見えで、あまり面白いとは言えない。途中、傷心した男の元に野良犬が現れて、「お前も俺と同じで行くところがないのか?」みたいな、ちょっと昔のつっぱってるけど実は優しい不良のように動物を可愛がるシーンがあってちょっと面白かったのだけれど、でも何か古くさいなと思いつつ最後まで見る。そして色々とハートウォーミングな触れ合いがあった末に、例の駅までやってきた主人公グループが、かつてのムショ仲間との喧嘩に巻き込まれて警官に拘束されることになるのだが、そのバイオレンス・コップを演じているのが『リアル・スティール』や『コズモポリス』に出ていたケヴィン・デュランドで、これがまた良い存在感を発揮している。この俳優、何か不気味な顔をしていて、一度見たら絶対に忘れないのだが、今回は非常に怖い警官役で登場。ちょっと登場しただけで、「あっ、もうダメだ、助からない」と一瞬で観客に感じさせるほどの俳優はなかなかいないだろう。ケヴィン・デュランドは良かったけれども、映画としてはいささかステレオ・タイプな社会的映画でつまらない。席を見ると、ジャン=ジャッキー・ゴルトベルクはもうすでに出ていたようだった。

映画が終わるとすでに夜の0時。夜は至るところで映画関係者のパーティーが開かれているようで、綺麗に着飾った人たちを横目にホテルまで急ぎ足で帰る。次の日はもっとたくさん見れるはずだ。今日学んだ教訓は「有名な批評家でも会場に入れないものは入れないのがカンヌ」としておこう。こうして、初めてのカンヌ映画祭の一日目は終わった。

カンヌ映画祭日記2 2013年5月17日(金)

カンヌ二日目。11時より、ある視点部門のアラン・ギロディー新作「L'INCONNU DU LAC」(Stranger By The Lake)を見る。発展場の湖のほとりに集まるゲイの男たちを描いた作品で、女性がひとりも出てこない、かつ男性器がこれでもかと映し出されるスキャンダラスな作品。ファーストショットでゲイたちが駐車している数台の自動車が示されるのだが、一見すると適当な配置に見えながらも、男たちが集う湖の異様な空気感がその「適当」な車の配置からバンバン伝わってきて、始まってから早くも期待が高まる。主人公の男が湖に着くと、すぐさま真っ裸になり、男性器モロ出しの姿がローアングルによって丹念に撮られていく。露悪的な映画というよりも、むしろ奇妙な爽快感が画面に満ち溢れていて、見ていて清々しい作品になっているのだから、アラン・ギロディーは本当に凄い映画作家だ。湖の近くの森の中では男たちがセックスをしていたり、好みの相手を探しながらうろうろしているのだが、冒頭の自動車の配置と同じように、異様な雰囲気が画面から伝わってくる。とはいえ、単に監督が綿密に構図やタイミングを計算してつくられている映画であるだけではなくて、本当に射精やらフェラチオやらをしている俳優たちの、その「曝け出し」具合にとにかく圧倒された。現在、フランスでは同性婚の合法化をめぐって物議や事件が起こっている最中であり、そんな中でこういった映画が上映されるのはさぞやスキャンダラスな出来事だろう。しかし、ただスキャンダラスな作品という枠だけに留まらない、性をテーマとした挑戦的な映画であり、ギロディーの底力を垣間見ることのできる傑作だったと思う。かつては大島渚が『愛のコリーダ』を引っさげて訪れたカンヌの地で、こういった挑戦的な新しい映画を見れるのは、本当に嬉しいことだ。でも、この作品は日本で公開されたとしても、ほぼすべてのシーンにモザイクがかけられてしまうと思うので、それが残念。となると、そもそもこの映画を日本で見る機会が今後あるのかどうかさえ怪しいところ。

カンヌのレストランはどこも高級リゾート地価格で、とても払えたものではない値段なので、売店でサンドイッチを食べたあと、14:30よりコンペティション部門のメキシコの映画監督Amat Escalanteの「HELI」。よくCNNのニュースとかで報道されているメキシコの麻薬絡みの犯罪を描いた作品で、歩道橋に見せしめとして死体が吊るされるシーンから始まるのだが、吊るされる死体が人形であることがバレバレで、不満というわけではないのだけれど(だって本当に人間を吊るすわけにもいかないから、しょうがないものね)、導入部分にはあまり乗れず。主人公エリの妹の恋人が見習い警察官で、その男が主人公の家に麻薬を隠したことから、家族が汚職警察たちによって酷い目に合わされるというのが話の筋。メキシコの麻薬犯罪の実態(に少なくとも見えるような映画)を、たとえばナポリのマフィアを描いた『ゴモラ』並に追求しているのであれば結構面白かったと思うのだけれど、社会性を適度に背景としてメキシコ青年の鬱屈を描いているだけの、ひどく小粒な作品に収まってしまっている感が否めない。要するにあまり面白くなかった。鑑賞中、アレックス・コックスのメキシコ警官ものの『エル・パトレイロ』がまた見たくなってきてしまう。とはいえ、麻薬組織に捕まった見習い警察官が、拷問によって男性器を火で焼かれるシーンがあって、隣で見ていた槻舘さんが少しぎょっとしていたのが妙に印象深い。あれ、本当に火をつけていたみたいだけど、どうやって撮ったんだろう?そこがちょっと興味深い作品であった。じゃあ、冒頭のあのバレバレの人形をどうにかしてくれよ、とも思うのだけれども……。

続いて17:15より監督週間部門のClio Barnard監督作「The Selfish Giant」。上映前の挨拶でわかったのだが、イギリスの女性監督である彼女はとてつもなく背が高く、てっきり「自己中な巨人」というタイトルは自分のことなのだろうなと思いつつ、鑑賞。クズ鉄を拾ってはそれを回収業者に売っている、自己中で生意気な少年とその友人を描いた作品で、洗練されたイギリス英語はまったく出てこず、汚い言葉ばかり言うような人々がたくさん登場する。これも先ほど見た「HELI」と同じく、ある特定の場所とそこで暮らす特定の階級の人々を描いているのだが、主人公の少年が「自己中」であろうと必死に演じている感が拭いきれず、あまり魅力的な作品には思えず。そもそも、映画の子供はたいてい生意気か元気か馬鹿か可愛いか何かだと思うのだが、自由奔放なありのままの子供の姿を率直に撮ったほうが良かったのではないか。『大人は判ってくれない』や『動くな、死ね、甦れ』のような悪ガキ映画の系譜に連なる作品であることは確かなのだが、この映画の場合はぎゃあぎゃあ叫くだけのただの悪ガキにしか見えず、見ていて少し辟易してくる。悪さと言えば電気ケーブル盗むだけっていうのもねえ。ワレルカみたいに列車を脱線させるくらいしてもらわないと、みたいな不満が残る映画であった。

大した休憩もできないまま(上映本数が多い上に、1時間前から並ばないと入れないこともあるから)、19:30から監督週間のマルセル・オフュルスの作品「Un Voyageur」。上映前のマルセル・オフュルスの挨拶が30分くらいあって、さすが爺さん、話が長いと思っていたら、この映画は自分で自分のことを撮ったドキュメンタリー作品のようで、映画の中でもまた監督の長話がスタートし、少し疲れる。とはいえ、父マックス・オフュルスをめぐって展開する前半部は面白く、ナチス政権下のドイツからフランスに亡命してきたときのこと、アメリカに渡り、プレストン・スタージェスといった監督との交流の逸話は息子マルセル・オフュルスにしか語ることができない貴重なものだろう。ただ、ところどころに父親オフュルスや息子オフュルスの作品の抜粋が挿入されるというような、映画としてはひどく普通につくられたドキュメンタリー作品であり、ある映画監督が見てきた出来事や生きた時代の証言を収めたもの、という程度にしか見えず、映画として目新しい何かが生まれている感じはせず。そもそも、自分で自分のドキュメンタリーを撮るってどういうことなんだろう、と思っていると、案の定(?)、後半は自分が獲った賞の授賞式の映像やら、ウディ・アレンからもらった賞賛の手紙やら、ゴダールが自分を褒めている映像やらばかりが紹介され、「わしはこんなにすごい監督なんじゃぞ!」という自画自賛映画に陥ってしまっていた。なるほど、誰も自分のドキュメンタリーを撮ってくれなかったから、自分でつくったということね。でも、この手の映画を、何も自分で撮らなくても、と思った。もしゴダールが『JLG/自画像』の中で自分の自慢話ばかりしていたとしたら、あの映画はさぞかしつまらないものになっていたんだろうな。「JLG/自画自賛」みたいな、などとどうでも良いことを考えつつ、ホテルに帰り着床。

映画日記 パリ―東京―カンヌ1 2013年6月22日(土)

 カンヌ映画祭とパリ滞在中の日記更新が滞ってしまった。慣れない土地で毎日せっせと映画を見て夜遅くにホテルに帰って日記を書くのが思っていた以上に大変だったのと、楽しい反面、ヌテラをパンに塗って食べるだけの日々で蓄積されていくストレスが執筆作業に向かわせなかったのがその理由なのだが、帰国後に映画館でお会いした廣瀬純さんからずばりと言われてしまった通り、三日坊主とはまさにこのことなのだろう。いつかまとめて書いて人知れず更新しておけばいいかと思っていたのだが、案の定、帰国後も日記を書く気にならず、気がつけば6月も終盤に差し掛かってしまった。最初の日記を読み返してみると、飛行機の中で『絶望論』を読み、「パリ到着前からすでに己の無力さを実感」したと書いてある。本当にその通りになってしまった。それに関しては日頃の自分の怠惰さを反省するしかない。  

 とはいえ、こうして日記を再開したのは、特に義務付けられているわけでもない日記を中途半端にやめたことになぜか負い目を感じてしまっているからだ。だがそれ以上に、現在開催されているフランス映画祭で見たいくつかの作品や、本誌の編集作業中に東京で出会った人々とのお話が、今回のパリとカンヌ映画祭滞在中に見た映画や経験をより鮮明に思い出させてくれているような気がしたからである。なので、苦肉の策のようで恐縮だけれど、「映画日記 パリ―東京―カンヌ」とこれ見よがしに銘打って、日記を何回かだけ更新させていただきます。ヘミングウェイは「パリは移動祝祭日だ」と書いていたし、ドゥルーズも「文学とは健康のことである」と書いているしね。いまはそれを「すでに立ち去ったパリ旅行の日記を書くこともひとつの健康的な行いであるはずだ!」と都合良く解釈して、つらつらと書いていくことにしたい。気楽にこの日記を書いていったところで川越シェフみたく本誌ブログが炎上するわけでもないだろうとタカを括っている節も自分の中になくもないけれど、個人の尊厳や事実関係には細心の注意を払いますので、ご容赦ください。  

 槻舘さんやパリでお会いした田中裕子さんが僕に強く薦めてくれたおかげで、フランス映画祭で上映されたギヨーム・ブラックの『遭難者』(仮)と『女っ気なし』(仮)に出会うことができた。どちらも本当に素晴らしい作品だ。両作ともフランス北部にあるオルトという小さな街を舞台にしており、特に『女っ気なし』は、ヴァカンス地に漂う独特の雰囲気や移りゆく光を誠実かつメランコリックに捉えることに成功している。これらの作品についてはすでに本誌編集員の増田さんや代田さんが紹介してくれているのでそちらをお読みいただければ幸いだが、それにしてもこの映画に出ているヴァンサン・マケーニュは本当に凄い俳優だと思う。まず、「まさに田舎の街の孤独でシャイなオタクっぽい男とはこういうものだ」とこの映画を見て誰しもが納得できてしまうように、私たちが頭に思い描いているようなイメージを意図的に体現できている点。たしかに日本は内向的なオタクに縁の深い国なのかもしれないが、いざその紋切り型な人物像を観客にそのものずばりだと納得してもらえるように映画として撮ろうとしても、なかなかこうはうまくいかないものだろう。そのうえで、この映画は短い作品ながらも、そのシルヴァンという男を演じているヴァンサン・マケーニュは、ヴァンサン本人でも他の誰でもなく、まさにシルヴァンという男その人にしか見えない。つまり、この映画を見ると、まるでシルヴァンという男は実際にいまもまだオルトという街で生き続けているように思えてきてしまうのだ。自分自身の演技を正確にコントロールしながらある人物を体現することが俳優であることの最低条件なのかもしれないが、いくら演技を深く追求していったとしても、演じられた人物の「存在そのもの」を創出することは容易なことではない。本誌が行った監督へのインタヴューの中で、監督はこの映画を見てオルトという街を訪れる人が多いんだと言っていたが、それはギヨーム・ブラックが信頼を寄せるこのヴァンサン・マケーニュが創出したシルヴァンという男の存在感とその魅力によるものではないかと勝手に思っている。ヴァンサン・マケーニュはカンヌ映画祭でも3本の出演作が上映され、ル・モンドでも第一面の記事で大きく取り上げられていたが、おそらく日本でも今後多くの出演作が上映されるようになるのではないだろうか。「ヴァンサン・マケーニュの〜」みたいな邦題がつけられた映画が公開される日が来ることを想像しつつ、そのきっかけとなるかもしれない本作の配給を決めたエタンチェの池田さんに深く感謝を申し上げたい。  

 パリ滞在中、ベルヴィルの餃子屋で晩御飯を食べたあとに偶然出会ったヴァンサン・マケーニュはこの映画のような冴えない男ではまったくなく、かなり良い男だった。ギヨーム監督の次回作にも出演する予定で、体重もこれらの映画のときよりも20キロ近く落としているようだったので、いまからその作品の完成が楽しみでしょうがない。たぶん、あのあとヴァンサンも、あのヘルシーな冷凍餃子をダイエットとして食べに行ったんだろうな。ギヨーム監督のインタヴューは今年11月の作品公開にあわせて掲載予定なので、その際にこの作品についてはもっと詳しく書くことにしよう。

カンヌ映画祭日記3 2013年5月18日(土)

カンヌ三日目。遂に今年のカンヌでお披露目されることとなった、コンペティションのアルノー・デプレシャン新作「JIMMY P.(Psychotherapy Of A Plains Indian)」を朝一8:30から見るために急いで会場に向かう。第二次世界大戦に従事し、その後遺症から偏頭痛や目眩に悩まされるインディアンのジミー・ピカード(ベネチオ・デル・トロ)の姿を追った、デプレシャンによるアメリカ映画。デプレシャンがインディアンの話を撮るなんて、奇妙な組み合わせに思えるが、これは絶対に見逃せないと朝早くから並ぶ。にも関わらず、すでに多くのプレスが詰めかけており、満席寸前で何とか入場。テキサスの精神病院に入院したジミーと、フランスの精神科医のジョルジュ(マチュー・アマルリック)のふたりの会話によって物語が進んでいくのだが、インディアンなまりの英語とフランスなまりの英語で会話が交わされるので、当然のことながらアメリカ映画として見ると、とても変な作品である。この映画はジョルジュ・デュヴェローという実在の人類学者・精神医学者が書いた本が原作となっていて、冒頭にも「This is a true story」と提示される(ちなみに共同脚本には批評家のケント・ジョーンズも参加している)。ジミーの夢と回想が時折現実と交錯しながら、当時のアメリカの姿が描かれるというよりも、徹底してこの主人公のジミー、そしてジョルジュに寄り添って撮られている映画であり、前作『クリスマス・ストーリー』と比べてみると、あの映画の登場人物の多さとはまったく逆で、今作はほぼそのふたりだけに焦点が絞られている。『クリスマス・ストーリー』で自分の故郷を舞台に、ひとつの家族の物語を撮った監督が、見知らぬアメリカの大平原でインディアンと精神科医の交流を撮ることは、たしかに新しい挑戦だと言えるだろう。故郷を離れて見知らぬ土地で映画を撮ることは、この物語に登場するふたりの異質な人物の出会いにも似ている。が、僕はこの映画をあまり好きになれない。これまでのデプレシャン映画で見てきたような演出が普段通りに出てきて、あまり目新しくないということもあるし、いかにも「フランス」的な映画監督であったデプレシャンが、いざアメリカで(ロケ地が本当にアメリカ本土だったのかどうかわからないが)映画を撮ってみると、画面がどうも薄っぺらく見えてしまい、あまり良い出会いであったように思えなかったからだ。どこまでも続いている、つまり何もない荒野の風景は、この監督にはどこかそぐわないと言えばいいか。ただ、アメリカ映画にもフランス映画にもなりきれていないような「狭間」にある感じが、この映画をどこか居心地の悪いものにしている一方で、まったく見たことのない作品にもしているような気がする。ネイティブ・アメリカンとフランス人医師の出会い、なまった英語での会話、夢と現実、デプレシャンによるアメリカ映画、などなど。うーむ、難しい。あとで色んな人の感想を聞いてみよう。この映画がもしパルムドール獲ったら、かなり驚くな。

11:30から23年ぶりの新作を撮ってカムバックしたアレハンドロ・ホドロフスキー「LA DANZA DE LA REALIDAD」。新作を撮ったということよりも、本人がまだ生きていたことに驚く。故郷のチリを舞台にした、半自伝的な映画であり、スターリンに心酔した父親とオペラ歌手口調で話をする母親を持つ内気な少年が主人公のファンタジー的な作品。こう書いても何のことなのか伝わりづらいだろうが、とにかく変な人物たちばかりが登場して、ホドロフスキーの幼少の記憶やユーモア、現代社会に対する批評、父と母の存在、といったものが絡み合いながら、詩的かつ祝祭的様相を持ってつくられている映画。この映画でも放尿シーンやら、男性器への拷問が描かれていて、どうも今回のカンヌ映画祭は「下」のほうがひとつのキーワードになりそうな予感。形式も何もあったものではない、『新宿泥棒日記』のような無茶苦茶な映画なのだが、『エル・トポ』がそうであったように、ところどころに挿入される風景や画面のつくり方は未だにギラギラしたものがあり、この作品が日本でも公開されることを願ってやまない。

ホドロフスキーの上映後、ロシアの映画批評家ボリス・ネレポ君と出会う。ぱっと見で、「あっ、こいつはシネフィルだ」とわかるような男で、最近は「トラフィック」に文章を掲載したそう。あまり時間がなかったけれども、これまで見た映画について立ち話。「JIMMY P.」は『ザ・マスター』にちょっと似てるよね、ホアキン・フェニックスにオファーしていたみたいだし、映画も何か変だから、と言うと、笑いながら同意してくれていたが、やはりボリスも「JIMMY P.」はあまり楽しめなかったようだ。デプレシャンは期待していただけに、少し複雑な心境。今度、ボリスとはゆっくり話をしたいな。

せかせかと移動し、17:00からある視点部門「GRAND CENTRAL」。『美しき刺』のレベッカ・ズロトヴスキの新作。フランスの原子力発電所を舞台にした映画だとの前情報から、色々と妄想を膨らませていたので、おそらく原発がとんでもないことになるパニック映画なのだろうと思っていたが、全然違う作品だった。レア・セドゥーが原発の作業員として働いており、主人公の男がその女の色気にやられて彼氏に隠れて密会してしているうちに、のめり込んで破滅するという、まあ何も原発を舞台に撮らなくても良い作品だろうと思った。原発を舞台にした、というだけの映画じゃないのか?という疑問が最後まで払拭できず。主人公は彼女の元に留まりたいがゆえに、進んで危険な作業に従事していくことになるのだが、彼女にのめり込んでいくこと=被爆線量が増えていく、という構図があまりにも陳腐かつ軽率で、いかにも脚本家畑出身の人が考えそうなことだよねと、偉そうながらも言いたくなる。それにしても、社会性を背景にすれば良いってもんじゃないでしょうよ、カンヌ映画祭よ。

その後、20:00からacidという部門の作品を見ようとするも、満席で入れず。nobodyにインタヴューが掲載されているヴァンサン・マケーニュが主演した作品で、すごく良いと評判だっただけに、無念。プレスが優先して入れる部門ではなかったので、雨のなか1時間並んだ挙げ句がこれか、と意気消沈しつつも、槻舘さんも見れなかったので、しょうがないからふたりで「Le Petit Paris」というレストランでちょっと豪華に食事。フランスに来てから「牛肉のタルタル」を初めて食す。ミンチされた牛肉を生のままスパイスなどを混ぜて食べる一品で、見た目はネギトロに近い。お腹を壊さないかなと心配しつつ口にすると、これが美味で、まるで本物のネギトロを食べているようだった。フランス料理は本当に奥が深い。しかし、映画を見逃してレストランばっか入ってたら金が消える一方なので、明日からは自粛しようと心に誓う。

22:30からコンペ部門、ジャ・ジャンクーの新作「TIAN ZHU DING」(A Touch Of Sin)を見る。前評判が高かったので期待していたが、なるほど、これは面白い。冒頭、中国の山道をバイクで疾走する男を、山賊たちが襲おうとするのだが、男が懐から拳銃を取り出して一瞬でやっつけるシーンから始まるというな、これまでのジャ・ジャンクー映画とは違うバイオレンスな一品。焦点が当てられる主人公が4人ほどおり、それぞれが何らかのかたちで暴力や絶望に絡め取られていくという半オムニバス形式で、ジャ・ジャンクーによる新しい挑戦を感じさせる作品だった。これについてはまた今度詳しく書きたい。夜はちゃんと寝なければ、次の日に身体がもたないので。