「外国人である」ことと、「外国人になる」ことは異なります。人は、外国に来たからと言って無条件に「外国人になる」ことができるわけではありません。そこには何が必要でしょうか? たとえばある人は「異なった言葉や習慣、文化的背景を持つ人々の足並みに自分を合わせること」が必要だと言い、またある人は「そういった人々に自分をぶつけること」が必要だと言います。たぶん、そのどちらも正しいのでしょう。問題は、状況に対するひとつの態度を常に生み出すというアクション/リアクションなのだと思います。
私たちは、そうした「外国人になる」という経験をした多くの先人たちに羨望のまなざしを送ってきました。なぜならそうした多くの人々はその経験を通過してからもなお、自身の「母国」においてさえ「外国人になる」というスタンスを保ち続けているように感じられるからです。無為に属することのできる安定した風土の中に閉じこもって満足するのではなく、今いる場所を常に外部として見つめることから自らの態度を生み出そうとする人々ーー無論、母国に留まり続けながら「外国人」たる態度を生み出さんとしている果敢な人々も含めーー、私たちはそうした世界中の「外国人」に憧れます。
本ブログでは、様々な幸運や偶然や助力のもとにこの秋からパリでの生活を送ることになった、誰でもない3人の「外国人見習い」によるレポートをお送りさせて頂きます。憧れだけではどうにもならない、という自戒を含めて、広く開かれた記事をお送りできれば幸いです。
ーーサン=ローランの人生の重要な瞬間を描きながらも、その感情に寄り添うのではなく、彼の「仕事」が精査に描かれているように見えました。たとえば、クチュールのシーンや、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じる妙齢の女性が彼のアトリエにやってくるシーンです。長回しでほとんどカメラの位置も変わりません。ですが、フレームの中での彼女の変化は驚くべきものがあります。
2014年カンヌ国際映画祭受賞結果
パルムドール:『雪の轍 (原題:Winter Sleep)』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)
グランプリ:『Le Meraviglie』(アリーチェ・ロルヴァケル)
審査員賞:『Mommy』(グザヴィエ・ドラン)
『さらば、愛の言語よ(原題:Adieu, langage)』(ジャン=リュック・ゴダール)
監督賞:『フォックスキャッチャー』(ベネット・ミラー)
5月24日
朝からアパルトマンに泥棒が入った疑惑が持ち上がり、大捜索の末事なきをえたが、その結果午前中の上映には行けなかった……。
今日の1本目は、リー•ダニエル『The Paper boys』。酷い。今年のコンペティション、アメリカ勢の評判はすこぶる悪いけど、これは最低だった。
2本目は楽しみにしていたカルロス・レイガダス『Post Tenebras lux』。物語を追うことは恐らく不可能。カラックスも過激だったが、レイガダスの自由奔放さも凄い。カンヌのコンペティションでこんな作品見れるとは思っていなかったので多いに満足した。
今日は朝からアッバス・キアロスタミへの合同インタビューに参加するため、批評家週間の会場に近いミラマーレ手前のマンダラビーチへ直行。その後、コンペ作品であるアンドリュー・ドミニク『Killing them softry』を見にSalle soixantiemeに向かうも満員。評判の芳しくない作品にも関わらず、やはりカンヌ。どのセクションも上映がないので、12時からのレオス•カラックス『Holly motors』の公式上映にあわせてのプレスコンフェランスの列に並ぶ。パスが青いからたぶん無理だろうと諦め半分だったが何とか潜入できた。
コンペ作品、アラン・レネ『Vous n'avez pas encore rien vu』からスタート。劇作家の訃報を知らせる電話が鳴る。彼の死を弔うため、南仏の邸宅に集めらた俳優たち--サビーヌ・アゼマ、アンヌ・コンシニ、ミシェル・ピコリ、マチュー・アマルリックは、それぞれに彼ら自身を演じている。広間のソファーに腰掛けた彼らの目の前には巨大なスクリーン。かつて上演した舞台のリハーサル映像を見つめる側にいた俳優たちは、台詞を呟きだし、現実でもう一度同じ舞台を演じはじめる。現実と虚構の間を行き来しているうちにその境界線が失われて行く。映画とは何かという自己言及に満ちた秀作。
数日雨が続いていたけれど、今日も引き続き雨模様。風も強くまさに最悪の天候だ。1本目は、Salle soixantiemeで、かなり評判のよいミヒャエル・ハネケ『L'amour』を。この劇場は、プレスのレベルに関係なくギリギリまで優先的に入場できるのでかなり効率よく作品を見れる。他の劇場はプレス上映だとしても、一時間は待たないといけない。入れても、スクリーンの端切れてて見えねーよ!という場所にしか座れないのだ……。
1本目は、コンペティション部門でジョン•ヒルコート『Lowless』。アメリカ映画なだけあって、1時間前で恐ろしいほど長蛇の列。作品は、禁酒法時代に密造酒で荒稼ぎする兄弟の話。実話に基づいているそうだが、何とも薄っぺらい登場人物と分かりやすい展開…また外した。
続けてsalle bazinに、ホン・サンスのプレス上映に向かう。
本日はコンペティション部門からスタート。日本でも劇場公開された『ゴモラ』の監督、マッテオ・ガローネ『Reality』。リアリティ・ショーをきっかけに、見られることに取り憑かれる男の話ではあるが、そのオブセッションが余りにも緩やかで、何となくさっぱりしている。
続けてコンペ作品、Ulrich Seidai『Paradies:Libre』を見ようとするも、満員。毎日発行される星取表の評判はいまいちなものの、シネマテーク・フランセーズのプログラムディレクター、ジャン=フランソワ•ロジェに勧められたから見たかったのに… めげずにブランドン•クローネンバーグ『Arrival』に挑戦するが、時すでに遅し。17時の上映まで、プレスルームで情報収集をする。
この日1本目は「批評家週間」作品、俳優でもあるLouis-Do de Lencquesaing『Au Garope』からスタート。
本人自らが主演し、傍を固めるのはグザヴィエ•ボーヴォア、実の娘であり『あの夏の子供たち』に出演していたAlice de Lencquesaingとかなり豪華な顔ぶれ。ドライヤーの『ゲアトルード』が映画内映画として引用されるなど、様々なアイディアが垣間見えるが、どれも上手く機能しておらず、何もかもが表面的……。セレクションされた時点で注目された作品だったこともあり、かなり残念な出来だった。