「外国人である」ことと、「外国人になる」ことは異なります。人は、外国に来たからと言って無条件に「外国人になる」ことができるわけではありません。そこには何が必要でしょうか? たとえばある人は「異なった言葉や習慣、文化的背景を持つ人々の足並みに自分を合わせること」が必要だと言い、またある人は「そういった人々に自分をぶつけること」が必要だと言います。たぶん、そのどちらも正しいのでしょう。問題は、状況に対するひとつの態度を常に生み出すというアクション/リアクションなのだと思います。
私たちは、そうした「外国人になる」という経験をした多くの先人たちに羨望のまなざしを送ってきました。なぜならそうした多くの人々はその経験を通過してからもなお、自身の「母国」においてさえ「外国人になる」というスタンスを保ち続けているように感じられるからです。無為に属することのできる安定した風土の中に閉じこもって満足するのではなく、今いる場所を常に外部として見つめることから自らの態度を生み出そうとする人々ーー無論、母国に留まり続けながら「外国人」たる態度を生み出さんとしている果敢な人々も含めーー、私たちはそうした世界中の「外国人」に憧れます。
本ブログでは、様々な幸運や偶然や助力のもとにこの秋からパリでの生活を送ることになった、誰でもない3人の「外国人見習い」によるレポートをお送りさせて頂きます。憧れだけではどうにもならない、という自戒を含めて、広く開かれた記事をお送りできれば幸いです。
昨日のモレッティの上映の開始時間が一時間ほど遅れたため、帰宅は0時過ぎ。だいぶスロースタートで11時半からの上映に向かう。一本目は、昨日の昼の上映で偶然となりの席に座っていたジャーナリストから勧められた監督週間の『Code Blue』。日曜だからなのか、40分前なのにすでに長蛇の列。期待したものの、うーん。騙された!会場の反応はだいぶわかりやすくて、怒りのあまり叫び声をあげる人、席を立つ人が続出した。は〜。二本目も監督週間の作品、Valérie MréjenとBertrand Scheferの共同監督『En ville』を見る。この作品はなかなかの佳作。パリからやってきた40代の写真家と16歳の女の子が小さな街で出会って一緒にひとときを過ごす。
槻舘さんから遅れること3日、5月16日13時にカンヌ到着。移動のTGV車内では昨日寝つけなかった分を盛大に取り戻したものの、軽い頭痛に襲われながら、初夏の日差しを全身に浴びて会場を目指す。
今日からは週末ということで、とりわけパレ周辺は観光客でごったがえしていて、会場への移動が本当に大変だ。交通規制もあり、目の前、5メートル先にある会場に入るために1キロ以上遠回りさせられる。さらに様々な上映で足止めをくらい、かなり前から並んでも上映に入れない。優先順位の高い魔法のピンクパスを持ってるジャーナリストが会場に吸い込まれていくのを横目に、一時間近く待つものの満員で入れず途方にくれたり…。とりわけコンペ作品に関しては、取材はもちろんのこと、コンフェランスも優先順位の高いパスを持っているジャーナリストで満員。私たちの入る隙はないようだ。
今年のカンヌはウディ・アレンの『Midnight in Paris』で開幕したが、残念ながら、私は3日目からの参戦。朝7時半過ぎのTGVで、パリからおよそ5時間かけてカンヌへ。今年は事前の予測が豪華だっただけに、かなり拍子抜けのプログラム(ガレルの新作は?ホオ・シャオシェンは?ミアハンセンラヴはどこに?なぜあの作品がなくてこんな作品が?)だが、私にとっては初のカンヌ。いやがうえにも期待は高まる。アンロック、カイエ、ポジティフからファッション紙までキヨスクでカンヌ特集をしている雑誌を買いあさって、車内でプログラム片手にスケジューリングをはじめる。
スタジオ・マラパルテの宮岡秀行さん、西原多朱さん、そして大里俊晴さんのご協力のもと、nobody issue25にて「リュック・フェラーリを探して」と題した「リュック・フェラーリ映画祭・アンコール」についての小特集を組ませて頂いたのは2007年のことだったけれども、つい先日、その取材の際にほんの少しだけ挨拶させて頂いた、ブリュンヒルト・マイヤー・フェラーリさんに再会する機会があった。それは椎名亮輔さんに邦訳された『ほとんど何もない』の著者、ジャクリーヌ・コーさんによるフェラーリの楽曲「Symphony dechirée(引き裂かれた交響曲)」を題材とした劇映画、『Contes de Symphony Dechirée』の試写会でのこと。
12月の初旬から先月にかけて、パリのポンピゥーセンターでヴェルナー・シュレーターのレトロスペクティブが開催されていた。パリでは2回目ということだけれど、ここまで大規模な回顧展は初めてとのことだ。このイベントにあわせて、フィリップ・アズーリによるシュレーター本(『À Werner Schroeter, qui n'avait pas peur de la mort』)が発売され、フランスでも初!のシュレーターの写真展、舞台設計家あり衣装デザイナーでもあったAlberte Barsacqの展覧会も行われた。上映の際の豪華なゲストーーイザベル・ユペール、ビュル・オジエ、カロリーヌ・ブーケ、イングリッド・カーヴェン・・の登壇もあり、チケット売り出し後、数10分で完売してしまうという回も珍しくはなかった。
今こちらではシネマテーク・フランセーズではヒッチコックのレトロスペクティヴが行われている。都合が合わず見逃した作品も多いので詳細は記せないが、今回は前回の記事と時系列が前後してしまうが、こちらで生活を始めたときのことを記しておこうと思う。
こちら、パリでは年末の雪景色とは異なり晴天が日々続いている。もちろん1月中旬にはチュニジアからの移民達によるデモやそれに続くエジプトの話題を新聞各紙は日々取り上げていたするので、外の暖かい空気とは裏腹に何かしらの火種があるように思う。そんな中、1月下旬よりティエリー・ジュスの長編2作目『Je suis un no man’s land』が公開されている。
04.12.2010 Montpellier, FRANCE "Le Jam"