nobody in Paris

「外国人である」ことと、「外国人になる」ことは異なります。人は、外国に来たからと言って無条件に「外国人になる」ことができるわけではありません。そこには何が必要でしょうか? たとえばある人は「異なった言葉や習慣、文化的背景を持つ人々の足並みに自分を合わせること」が必要だと言い、またある人は「そういった人々に自分をぶつけること」が必要だと言います。たぶん、そのどちらも正しいのでしょう。問題は、状況に対するひとつの態度を常に生み出すというアクション/リアクションなのだと思います。

私たちは、そうした「外国人になる」という経験をした多くの先人たちに羨望のまなざしを送ってきました。なぜならそうした多くの人々はその経験を通過してからもなお、自身の「母国」においてさえ「外国人になる」というスタンスを保ち続けているように感じられるからです。無為に属することのできる安定した風土の中に閉じこもって満足するのではなく、今いる場所を常に外部として見つめることから自らの態度を生み出そうとする人々ーー無論、母国に留まり続けながら「外国人」たる態度を生み出さんとしている果敢な人々も含めーー、私たちはそうした世界中の「外国人」に憧れます。

本ブログでは、様々な幸運や偶然や助力のもとにこの秋からパリでの生活を送ることになった、誰でもない3人の「外国人見習い」によるレポートをお送りさせて頂きます。憧れだけではどうにもならない、という自戒を含めて、広く開かれた記事をお送りできれば幸いです。

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    『ZERO NOIR』(伊藤丈紘監督)(C)2010東京藝術大学

     

    ーー最初に監督から音楽の重要性をお話しされたという話でしたが、そこではどういう風な話をされていましたか? たとえば、具体的な作品名が上がっていたりはしたのでしょうか。

    01/27/2011 - 23:20
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  •  9月の半ば、ちょうど私たちがパリに経つ直前に、東京藝術大学映像研究科「OPEN THEATER 2010」のなかで伊藤丈紘監督作品『ZERO NOIR』は上映された。ひとりの友人を「映画作家」だなんて畏まった言い方をすることに、むずがゆさのようなもの感じつつも、そう呼ばずにはいられない力をこの作品は持っていた。アルノー・デプレシャン、エドワード・ヤン、ジェームズ・グレイ、ジャック・ドワイヨン、ニコラス・レイ……作品から想起される輝かしい固有名たち。私たちはこのフィルムの一瞬、一瞬に魅せられ、正直なところかなりビックリしてしまったのだ。そして日本を離れてからも、どうにかして、観客に恵まれたとはいえないこの作品の素晴らしさを、若きシネアストの存在を、多くの人に伝えられないかと考えていた。

    01/27/2011 - 22:55
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  •  ブログの開始が遅れてしまったこともあり掲載が本当に遅くなってしまったが、昨年の12月初旬、オーサカ=モノレールのフランスでの2公演を幸運にも目撃する機会があった。

    01/27/2011 - 22:35
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  •  最初一ヶ月の途方もない事務作業と膨大な手続き、そして11月半ばからの例年にない厳しい寒さを乗り越え、さらに年を越し、パリにやってきて4ヶ月。田中さんがすでに述べたとおり、ブログ開設までかなりの時間を要してしまった。だから、ここ数ヶ月に見たもの、聞いたもの、触れた、もちろん振れたものに関して少しずつ書きつづっていこうと思う。

    01/27/2011 - 22:05
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  •  私たちがパリに到着したのは、ちょうどクロード・シャブロルの訃報からほとんど間をおかない9月の半ばで、彼の追悼記事を掲げた雑誌はどこのキオスクでも目にすることになった。諸々の手続きで慌ただしい時間の合間に、ソルボンヌ近くの映画館Reflet Medicisですでに始まっていたシャブロル追悼特集へと幾度か赴いた。『不貞の女』や『血の婚礼』などの60〜70年代の作品を中心に上映は行われていて、ちょうどその頃のステファン・オードランやミシェル・ブーケと同じくらいの年齢だと思われる年齢層の観客を昼間の上映回でも多く見かけた。

    01/20/2011 - 01:02
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  •  今回このブログを書かせて頂くことになった私たちがパリという場所に到着したのは昨年9月で、あまりに遅いスタートになってしまいましたが、ここ数回のエントリでは昨年後半の3ヶ月強のことをかいつまみながら記させて頂ければと思います。
    まず私たちがパリという場所で右も左もおぼつかない時期にまず目にすることになったのは、そこに住む人々の真っ直ぐで飾りのない「怒り」だったのだと思います。

    01/08/2011 - 18:32
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