最初一ヶ月の途方もない事務作業と膨大な手続き、そして11月半ばからの例年にない厳しい寒さを乗り越え、さらに年を越し、パリにやってきて4ヶ月。田中さんがすでに述べたとおり、ブログ開設までかなりの時間を要してしまった。だから、ここ数ヶ月に見たもの、聞いたもの、触れた、もちろん振れたものに関して少しずつ書きつづっていこうと思う。
いわゆる作家の新作がほぼリアルタイムで上映され、日本ではなかなか見る機会を得られないであろうクラシックの名作をフィルムで体験出来てしまう多彩なプログラムもさることながら、私をもっとも驚かせたのは自分とそう年の変わらない、ほとんど同世代ともいえる若い監督の新作が、毎週のように劇場で封切られていることだ。長編第一作目、二作目、あるいは中編。公開館数はさほど多くないにしても、若い監督の作品を製作、上映するというプロセス、そういった映画の回路がパリには確実に存在する。彼らのインタビューを読めば、そこまでに至ることがいかに容易ならざる道であったことがわかるし、出自もさまざまだ。一握りの例外を除けば、彼らはテレビ、あるいは短編の仕事を経て長編に至るが、どの作品も極めて低予算。けれどそこには眩いばかりの瑞々しさがあり、俳優が存在している、生きているという感覚を強く感じた。借り物ではない生がそこにあること、若き監督たちはそれを易々と捉えているように見える。これは本当にすごいことだ!
トリュフォーの『二十歳の恋』にオマージュを捧げ、なんとも豪華なことにモノクロ35ミリ!の中編『Petit Taillieur』(Louis Garrel)、印象的な眼差し、アンニュイながらも幼さを残した顔立ちとはアンバランスな肉体を持つレア・セドゥの魅力全開の『Belle épine』(Rebecca Zlotowski)、ひとりひとりの身体から発せられる言葉が反響し関係性を変えていくコメディ作品『Donoma』(Djinn Carrénard)、バカンスの陽光の下で一組のカップルの関係がサスペンスのような緊張感とともに幾度も揺らいでいく『Everyone Else』(Maren Ade)、女の子たちがただただキャーキャー騒いでいるただそれだけで映画は成立するのだ!ということを改めて感じさせてくれた『La vie au ranch』(Sophie Letourneur)……。最小限の予算で、機材で、俳優で、シンプルに映画を撮ること。それだけで映画は成立する、そういう単純な事実をパリに来てあらためて突きつけられたのだ。
フィリップ・ガレルのテレビドキュメンタリー『芸術省』で、70年代作家たちが語る困難――シャンタル・アケルマン、ジャック・ドワイヨン、ブノワ・ジャコー、アンドレ・テシネ、ヴェルナー・シュレーター……彼らは皆、若くして映画を撮り始めた。だからこそ初期の彼らは、プロデューサーであり、演出家であり、キャメラマンであり、時には俳優でもあるーー。このフィルムは、ジャン=ピエール・レオーで始まり、ジャン・ユスターシュ、70年代のシネアストたち、レオス・カラックスで締めくくられる。ジャン・ユスターシュという固有名を巡りながら、ここで語られるのは映画製作の難しさ、それゆえにいかにシンプルに映画を撮るかということについてだ。もちろんその先には上映というさらなる困難が待ち受けている。ヌーヴェルヴァーグ以後、70年代、そして現在も、いつだって監督は、とりわけ若い監督の仕事は大変だ。恵比寿ガーデンシネマ、シネセゾン、シネマライズが一館になること、日本から聞こえてくるのは、上映環境がより厳しいものになっているという事実である。それは単純に悲しいことだし、こちらとの状況と比較してどうこう言えることでもないのだが、何かを変えないといけないのではないか、と海の向こうで最近よく考えている。