カンヌ映画祭日記1 2013年5月16日(木)

朝6時に起き、いそいそとロジェ宅を出てリヨン駅に向かう。リヨン駅は主にフランス国内の都市に向かう列車が出る駅で、ヨーロッパ圏内に行く列車は北駅から出ているのだとか。槻舘さんとメトロのホームで落ち合い、TGVに乗り込む。が、僕たちが予約していた席にはオッサンが座っており、「君たちの席は隣の車両だよ」と言われたので、一応僕も男だから槻舘さんのスーツケースを隣の車両まで頑張って運んだら、今度は知らないオバさんに「いいえ、さっきの車両でいいのよ」と言われたので少し困惑する。先ほどの車両に戻ると、僕たちの席に座っていたオッサンはもう消えていたのだった。何なんだ、いったい。 同じ列車に槻舘さんの友人のランズさんがいて、チベットからパリの大学に留学し、チベットの映画監督について研究しているとのことだった。チベット映画を見たことなかったので、中国との関係や、ダライ・ラマとは何者なのかなど、色々と聞く。列車の中はカンヌ映画祭に向かう映画関係者ばかりで、カフェから戻ってきた槻舘さんから「『トム・ボーイ』のセリーヌ・シアマがいたよ」と教えてもらう。ボスの風格が漂うジャン=フランソワ・ロジェは僕たちの一本あとの列車でカンヌに向かうとのこと。槻舘さんは列車の中でせっせとnobodyに掲載する原稿を書いていたけど、とにかく眠かった僕は、6時間ほどの移動時間中、地方の田園風景を見ながらいつの間にか眠りに落ちてしまったので、特に何もせず。

いよいよカンヌに到着し、プレス受付でパスを受け取ってホテルに荷物を置いてから、早速映画を見に行くことに。批評家週間の特別上映として前評判が良いらしいKatell Quillévéréの「SUZANNE」が20時からやっているので、とりあえず会場の行列に並ぶことに。会場に向かう途中、ルー・ドワイヨンが歩いていたそうだが、迂闊ながら気づかなかった。まあ別に良いんだけど。会場に着くと、プレスだからサクっと入れると思いきや全然そんなことはなくて、1時間ほど並んだ挙げ句に招待状やらランクの高いパスを持っている関係者だけで満席。列からブーイングが飛び交う。なんだこれは!並んでも入れないなんてけしからん!と一瞬思ったけれども、同じ列に並んでいたフィリップ・アズーリもドミニック・パイーニも入れてなかったようで、槻舘さんから一言「これがカンヌなのよ」と言われる。むむむ、なるほど、これがカンヌなのか……。

一本上映を逃すと、他の会場でやっている上映にも間に合わなくなるようにスケジュールが組まれているようで、しょうがないのでプレスルームで一休みした後、今度はSalle Debussyという会場で22:15からやっているある視点部門のRyan Cooglerの「Fruitvale Station」を見ることに。列に並んでいると、突然雨が降ってきたので、物売りの黒人から傘を10ユーロで買う。最初は20ユーロと言っていたのに、高いと言うとすぐ10ユーロに下げてきたので、妥当な値段なのだろうが試しに「じゃあ8ユーロにして」と言うと、笑いながら「ダメ」と言われる。ちきしょう、と思っていると、通りの向かう側をタキシード姿のミシェル・ピコリが若い女と歩いていた。まだ到着したばかりだけど、カンヌって変な場所なんだなあ。

初めてのカンヌ映画祭なだけに、もうカンヌ参戦3回目となる槻舘さんがいるのは非常に心強い。映画の会場に入ると、早速レ・ザンロックのジャン=ジャッキー・ゴルトベルクを見つけて教えてもらう。名前に相応しいイカついおじさんであったが、nobodyで特集した彼のトニー・スコット記事は非常に面白かったので、今度会ったときにちゃんとお礼をしよう。映画は少し前に実際にアメリカで起きた警官による故意なのか誤射なのかわからない黒人殺害事件を扱ったもので、冒頭、その瞬間を携帯カメラで撮っていた実際の映像が見せられたあと、時間軸が過去に遡って殺された主人公の男の日常が描かれていくというもの。ムショ帰りで職はないが、嫁さんと娘がいて、母親や家族を大切にする良い奴であることが徹底して描かれており、最後に駅で起きる悲劇の「悲劇」性を無理やり強調しようとしているのが見え見えで、あまり面白いとは言えない。途中、傷心した男の元に野良犬が現れて、「お前も俺と同じで行くところがないのか?」みたいな、ちょっと昔のつっぱってるけど実は優しい不良のように動物を可愛がるシーンがあってちょっと面白かったのだけれど、でも何か古くさいなと思いつつ最後まで見る。そして色々とハートウォーミングな触れ合いがあった末に、例の駅までやってきた主人公グループが、かつてのムショ仲間との喧嘩に巻き込まれて警官に拘束されることになるのだが、そのバイオレンス・コップを演じているのが『リアル・スティール』や『コズモポリス』に出ていたケヴィン・デュランドで、これがまた良い存在感を発揮している。この俳優、何か不気味な顔をしていて、一度見たら絶対に忘れないのだが、今回は非常に怖い警官役で登場。ちょっと登場しただけで、「あっ、もうダメだ、助からない」と一瞬で観客に感じさせるほどの俳優はなかなかいないだろう。ケヴィン・デュランドは良かったけれども、映画としてはいささかステレオ・タイプな社会的映画でつまらない。席を見ると、ジャン=ジャッキー・ゴルトベルクはもうすでに出ていたようだった。

映画が終わるとすでに夜の0時。夜は至るところで映画関係者のパーティーが開かれているようで、綺麗に着飾った人たちを横目にホテルまで急ぎ足で帰る。次の日はもっとたくさん見れるはずだ。今日学んだ教訓は「有名な批評家でも会場に入れないものは入れないのがカンヌ」としておこう。こうして、初めてのカンヌ映画祭の一日目は終わった。