パリ滞在日記1 2013年5月7日(火)

 5月7日、4年ぶりの海外渡航だというのに、たいした準備も出来ないままエールフランス機に乗り込んで、シャルル・ド・ゴール空港に向かう。5月15日から開催するカンヌ映画祭の取材(と称した旅行)が今回の目的で、nobody最新号の準備もかなり中途半端に投げ出して出発してしまったのだが、まあパリでも何かしらのことはできるだろうとタカを括っている。とはいえ、日本を発つ前日に購入した廣瀬純の最新刊『絶望論』を機内で読み、いたく感銘を受けた一方で、まあ自分がパリでできることなんてたいしたものにはならないだろうと、パリ到着前からすでに己の無力さを実感。こんな心構えでパリに行っていいものなのだろうか。

  案の定、準備と下調べの不足が祟ってか、今回の旅行でお世話になるクレモン・ロジェとの待ち合わせ場所の北駅で、彼に連絡をつける手段がないことに気づく。さすがに携帯で国際通話はちょっと、ということで、フライトの疲れからか10分くらい思考停止したのち、とりあえず駅のパン屋でショーソンを買ったついでに店員に公衆電話の場所を聞く。大雑把に「あっちの右よ!」と言われたので「あっちの右」に行ってみると、そこにはたしかに公衆電話が。クレモンの番号をメモし忘れたので、パリ留学中の槻舘南菜子さんに電話。が、留守電。万事休すか、と思って受話器を置くと、公衆電話が鳴り出す。受話器を取ると槻舘さんで、クレモンに連絡して迎えに行ってもらうとのこと。海外の公衆電話って呼び出しできるんだ、そういえばダーティハリーもサソリからの連絡を公衆電話で受けてたな、たしかにこの北駅はなんかヤバい匂いがプンプンするぜ!などと、どうでも良いことが頭をよぎる。こんなどうしようもないことを最初の日記に書いていいのかと思うが、とにかくその時僕はそれくらい疲れてたのだった。  

  この時期のパリは日が落ちるのが遅く、20時でもまだ明るい。DVDが山のようにあるクレモンの家に荷物を置いて、槻舘さんとクレモンに案内されて「ジャネット」というビストロで晩御飯。「東京の様子はどう?」とクレモンに聞かれたので、梅本さんがいなくなってから少しつまらなくなったよと、白ワインでたいして頭も働かない状態で返事をする。梅本さんと最後に会った東横渋谷ターミナル駅や、梅本さんに連れられていった横浜馬車道の洋食屋ポニーがなくなったことくらいしか思いつかないのだが、どうして僕は今の東京界隈を「つまらなくなった」と感じているのだろう。パリにしばらくいれば考えがまとまるだろうと、今はひどく楽観的に考えている。

  明日は水曜日だから、パリの映画上映情報を網羅すりパリスコープが発売されると槻舘さんが言っていたので、キオスクかどこかで買うことにしよう。クレモンとル・シャンポという映画館で、日本で見逃していたロバート・アルドリッチの『合衆国最後の日』を午後から見ようと約束し、ベッドで『絶望論』の続きを少し読む。廣瀬純が責任編集を務めた週間金曜日に載っていたフランコ・ベルディが「未来とは待機・想像力・準備のことだ」と言っていたことを思い出しながら、寝た。