カンヌ三日目。遂に今年のカンヌでお披露目されることとなった、コンペティションのアルノー・デプレシャン新作「JIMMY P.(Psychotherapy Of A Plains Indian)」を朝一8:30から見るために急いで会場に向かう。第二次世界大戦に従事し、その後遺症から偏頭痛や目眩に悩まされるインディアンのジミー・ピカード(ベネチオ・デル・トロ)の姿を追った、デプレシャンによるアメリカ映画。デプレシャンがインディアンの話を撮るなんて、奇妙な組み合わせに思えるが、これは絶対に見逃せないと朝早くから並ぶ。にも関わらず、すでに多くのプレスが詰めかけており、満席寸前で何とか入場。テキサスの精神病院に入院したジミーと、フランスの精神科医のジョルジュ(マチュー・アマルリック)のふたりの会話によって物語が進んでいくのだが、インディアンなまりの英語とフランスなまりの英語で会話が交わされるので、当然のことながらアメリカ映画として見ると、とても変な作品である。この映画はジョルジュ・デュヴェローという実在の人類学者・精神医学者が書いた本が原作となっていて、冒頭にも「This is a true story」と提示される(ちなみに共同脚本には批評家のケント・ジョーンズも参加している)。ジミーの夢と回想が時折現実と交錯しながら、当時のアメリカの姿が描かれるというよりも、徹底してこの主人公のジミー、そしてジョルジュに寄り添って撮られている映画であり、前作『クリスマス・ストーリー』と比べてみると、あの映画の登場人物の多さとはまったく逆で、今作はほぼそのふたりだけに焦点が絞られている。『クリスマス・ストーリー』で自分の故郷を舞台に、ひとつの家族の物語を撮った監督が、見知らぬアメリカの大平原でインディアンと精神科医の交流を撮ることは、たしかに新しい挑戦だと言えるだろう。故郷を離れて見知らぬ土地で映画を撮ることは、この物語に登場するふたりの異質な人物の出会いにも似ている。が、僕はこの映画をあまり好きになれない。これまでのデプレシャン映画で見てきたような演出が普段通りに出てきて、あまり目新しくないということもあるし、いかにも「フランス」的な映画監督であったデプレシャンが、いざアメリカで(ロケ地が本当にアメリカ本土だったのかどうかわからないが)映画を撮ってみると、画面がどうも薄っぺらく見えてしまい、あまり良い出会いであったように思えなかったからだ。どこまでも続いている、つまり何もない荒野の風景は、この監督にはどこかそぐわないと言えばいいか。ただ、アメリカ映画にもフランス映画にもなりきれていないような「狭間」にある感じが、この映画をどこか居心地の悪いものにしている一方で、まったく見たことのない作品にもしているような気がする。ネイティブ・アメリカンとフランス人医師の出会い、なまった英語での会話、夢と現実、デプレシャンによるアメリカ映画、などなど。うーむ、難しい。あとで色んな人の感想を聞いてみよう。この映画がもしパルムドール獲ったら、かなり驚くな。
11:30から23年ぶりの新作を撮ってカムバックしたアレハンドロ・ホドロフスキー「LA DANZA DE LA REALIDAD」。新作を撮ったということよりも、本人がまだ生きていたことに驚く。故郷のチリを舞台にした、半自伝的な映画であり、スターリンに心酔した父親とオペラ歌手口調で話をする母親を持つ内気な少年が主人公のファンタジー的な作品。こう書いても何のことなのか伝わりづらいだろうが、とにかく変な人物たちばかりが登場して、ホドロフスキーの幼少の記憶やユーモア、現代社会に対する批評、父と母の存在、といったものが絡み合いながら、詩的かつ祝祭的様相を持ってつくられている映画。この映画でも放尿シーンやら、男性器への拷問が描かれていて、どうも今回のカンヌ映画祭は「下」のほうがひとつのキーワードになりそうな予感。形式も何もあったものではない、『新宿泥棒日記』のような無茶苦茶な映画なのだが、『エル・トポ』がそうであったように、ところどころに挿入される風景や画面のつくり方は未だにギラギラしたものがあり、この作品が日本でも公開されることを願ってやまない。
ホドロフスキーの上映後、ロシアの映画批評家ボリス・ネレポ君と出会う。ぱっと見で、「あっ、こいつはシネフィルだ」とわかるような男で、最近は「トラフィック」に文章を掲載したそう。あまり時間がなかったけれども、これまで見た映画について立ち話。「JIMMY P.」は『ザ・マスター』にちょっと似てるよね、ホアキン・フェニックスにオファーしていたみたいだし、映画も何か変だから、と言うと、笑いながら同意してくれていたが、やはりボリスも「JIMMY P.」はあまり楽しめなかったようだ。デプレシャンは期待していただけに、少し複雑な心境。今度、ボリスとはゆっくり話をしたいな。
せかせかと移動し、17:00からある視点部門「GRAND CENTRAL」。『美しき刺』のレベッカ・ズロトヴスキの新作。フランスの原子力発電所を舞台にした映画だとの前情報から、色々と妄想を膨らませていたので、おそらく原発がとんでもないことになるパニック映画なのだろうと思っていたが、全然違う作品だった。レア・セドゥーが原発の作業員として働いており、主人公の男がその女の色気にやられて彼氏に隠れて密会してしているうちに、のめり込んで破滅するという、まあ何も原発を舞台に撮らなくても良い作品だろうと思った。原発を舞台にした、というだけの映画じゃないのか?という疑問が最後まで払拭できず。主人公は彼女の元に留まりたいがゆえに、進んで危険な作業に従事していくことになるのだが、彼女にのめり込んでいくこと=被爆線量が増えていく、という構図があまりにも陳腐かつ軽率で、いかにも脚本家畑出身の人が考えそうなことだよねと、偉そうながらも言いたくなる。それにしても、社会性を背景にすれば良いってもんじゃないでしょうよ、カンヌ映画祭よ。
その後、20:00からacidという部門の作品を見ようとするも、満席で入れず。nobodyにインタヴューが掲載されているヴァンサン・マケーニュが主演した作品で、すごく良いと評判だっただけに、無念。プレスが優先して入れる部門ではなかったので、雨のなか1時間並んだ挙げ句がこれか、と意気消沈しつつも、槻舘さんも見れなかったので、しょうがないからふたりで「Le Petit Paris」というレストランでちょっと豪華に食事。フランスに来てから「牛肉のタルタル」を初めて食す。ミンチされた牛肉を生のままスパイスなどを混ぜて食べる一品で、見た目はネギトロに近い。お腹を壊さないかなと心配しつつ口にすると、これが美味で、まるで本物のネギトロを食べているようだった。フランス料理は本当に奥が深い。しかし、映画を見逃してレストランばっか入ってたら金が消える一方なので、明日からは自粛しようと心に誓う。
22:30からコンペ部門、ジャ・ジャンクーの新作「TIAN ZHU DING」(A Touch Of Sin)を見る。前評判が高かったので期待していたが、なるほど、これは面白い。冒頭、中国の山道をバイクで疾走する男を、山賊たちが襲おうとするのだが、男が懐から拳銃を取り出して一瞬でやっつけるシーンから始まるというな、これまでのジャ・ジャンクー映画とは違うバイオレンスな一品。焦点が当てられる主人公が4人ほどおり、それぞれが何らかのかたちで暴力や絶望に絡め取られていくという半オムニバス形式で、ジャ・ジャンクーによる新しい挑戦を感じさせる作品だった。これについてはまた今度詳しく書きたい。夜はちゃんと寝なければ、次の日に身体がもたないので。