午前中は映画祭のスタッフ、参加監督の方々と一緒にフランクフルト市内へ繰り出した。市内の規模はヨーロッパの他の都市に比べて比較的小さく、短い期間でほとんどの観光要地を訪れることができるという。中央駅のスターバックスから出発し、ゲーテハウス、クラインマークトハレ市場、それからレーマー広場を横切ってマイン川向こうのドイツ映画博物館というスケジュール。去年リニューアル・オープンされた当館には、ソウルバスによる『サイコ』(60)のストーリーボード、『メトロポリス』(27)のミュージックスコアなどが丁重に保存されており、心なしか思わず唸った。
正午を過ぎ、空腹さながらの一行はシュヴァイツァー通りにある「ツムゲマルテンハウス」というりんご酒(Apfelwein)の専門店で昼食をとった。フランクフルトの名産品はビールではなくりんご酒で、ベンビルという専用の大きな瓶のピッチャーから注がれる。この店の地下には、木製樽のなかで熟成された自家製のりんご酒が大量に貯蔵されているらしい。甘酸っぱいりんご酒を呑みながら、ザワークラフトや野菜ソースを添えた大きなソーセージ、というのはいかにも贅沢。ボリューミーな食事をしながら『グレートラビット』(12)の和田淳監督や、飯塚監督と滞在先のトラブルについてしばし談笑。食事後は地元記者による市内のロケーションについてのインタヴューに応じたりもした。
りんご酒の大量摂取で、ほろ酔い(というか、かなり気分の乗った)状態で会場へ戻る。そこでようやく撮影の佐藤駿と合流。どうやら出発の飛行機に乗り遅れたらしい。現地スタッフの方のご尽力もあって、遅ればせながらの到着だ。それから飯塚監督を交えた3人でホームステイ先へと戻り、ファビアンお手製のドイツ料理をいただく。かなり満腹だったけど、ここでのソーセージもまた絶品。ここでもアルコールが面白いように進んだ。
酔いがさめたころ、映画祭の会場へ。20時から濱口竜介監督『親密さ』(11)のショートヴァージョンを拝見する。監督が急用で来れなくなったため、代役で本作の字幕翻訳作業を担当したJVTA(日本映像翻訳アカデミー)の浅川さんが登壇。今回の作品はセリフがとても多く、かなり大変な作業だったようだ。『親密さ』は舞台装置上のなかで繰り広げられるドラマと、人物の配置転換作業が爽快だった。ごく単純に言えば、シナリオはありふれたトレンディドラマに近い。それを清順のような照明と障子とを背景にした、ごく冷たい舞台装置のなかへと昇華し、セリフとショットを連ねることで見えてくる映画の奥行きを久々に体感した。食い気味に入るセリフとセリフとの絶妙な間も、後半はセリフではなく彼ら自身の言葉へと変容していく発見がある。時おり挿入される客席の表情も、この作品にほどよいアクセントを与えている。長尺であることをまったく感じさせないひとときだった。
シメは22時半から別会場で『乱心』(11)の冨永圭佑監督、『しんしんしん』の眞田康平監督、ぼくの3人で「New Generation」と銘打った座談会。冨永さんは映画美学校、眞田さんは東京芸術大学、ぼくは横浜国立大学を卒業したということで、それぞれのバックグラウンドをもとに、若い監督たちが抱える日本映画の状況や課題などをテーマにしゃべり通した。ちなみにドイツには専門学校以外に実践的な映画制作を学べる教育機関は存在しないらしい。だから大学においても、実践ではなく主に理論が中心になってくる。そうした背景からも「なぜその学校を選んだのか」といった切り口から座談会はスタートした。司会のローランド・ドメニクさんはすでに僕たちの作品を見て下さっていたらしく、それぞれの感想を踏まえたうえで、制作に至った経緯やプロセスなどが話題の中心となった。その後「自分で映画を撮るにはどうやって資金を捻出しているのか」といった質問や、「日本における観客の層はどこに集中しているのか」「どういった層をターゲットにしてこれから映画を作っていくのか」など日本映画そのものに関心を持つ客席からの質問が多く集中する。こうした底辺の長い質問が飛び交うということは、日本映画がいかに雑多な形態のうちにあるのかを改めて実感する。じゃあドイツはどうなのだろうか?客席からの質問に答えながらも、いっぽうでその問いがぼくの脳裏をかすめた。ローランドさんの司会で始まった座談会も、気がつけば予定より1時間も越えた長丁場。ヘトヘトではあったけど、その後はクラブイベントが催されている1階のラウンジへ移動し、合流した佐藤駿やファビアン、スタッフのカズミさんたちと夜明け前まで踊り明かした。