2013年2月6日
大島渚が亡くなった。
『御法度』以後の、小山明子による壮絶な介護の物語は、ここでの関心にない。ただ再び病状が悪化してから、シャルル・テッソンと荻野洋一と共に鵠沼の大島邸に赴き、彼にインタヴューしたときの哀しい記憶は容易に忘れられるものではない。『御法度』の企画が実現に向かう中で、1997年にやはり荻野と訪れた鵠沼でのインタヴューの折は、不自由な身体と言語にも関わらず、その頭脳は極めて明晰で、論理的に自らの作品を振り返っていたこと思うと、それから、あまり時も経っていないのに、大島渚自身が、自分の作品名も思い出せないほど衰えていた事実を前にして、ぼくらは愕然とした。小山明子による介護の物語はすでに始まっていた。
大島渚の絶頂期は1960年代だった。『青春残酷物語』から『少年』という傑作の数々を残した大島渚の60年代、そして続く1970年には『東京戦争戦後秘話』、71年には『儀式』、そして72年には『夏の妹』を撮る。それから大島渚は4年に亘る沈黙の時間帯に入り(もちろんテレビ出演が活発になったのにはその時代のことであり、大島渚の名前が映画関係者以外にも登り始めたのはその時期だろう)、アナトール・ドーマンのプロデュースで『愛のコリーダ』を撮ることになる。そして60年代の大島は、創造社とATGをホームにして作品を撮り続け、徹底的にマイナーな位置に留まり続けた。大島にとって、絶頂であることとマイナーであることはまったく矛盾しない。『日本春歌考』『新宿泥棒日記』などを撮る、その時代の大島の関心の中心は、同時代の社会であり、つまり、同時代の日本であり、大島を徹底してマイナーな位置に置いたのは、彼の関心の中心にあったものへの怒りであり、周縁に追いやられた者たちが持つ哀しみへの共感だった。松竹という大撮影所に出自を持ちながら、ATGという低額予算での撮影を強いられ、全国公開の目処もないまま新宿文化という一軒の映画館での上映というマイナーである運命を選択した大島は、溢れるばかりの力が漲る作品を連作した。そして、彼が映画を作ることで考察した同時代の社会が生み出す怒りの矛先は、象徴化されることで隠蔽された天皇制へと向かった。権力の所在へのプロテストへの強い共感以上に、権力の背後に自らの制度的な正統性を隠匿するブラック・ボックスとしての天皇制は、たとえば『日本春歌考』の冒頭に現れる2月11日の白い雪と、赤ではなく黒い円がその中心にある日の丸が描写するものだろう。白と黒は『少年』『儀式』への確実に継承されていく。
日本映画は、大島以来、そうした隠蔽された天皇制をその考察の中心に置かなくなった。もちろんそれ以降もATGは、映画製作を続けていくのだが、映画そのものの衰退によって、日本映画の多くはかつて自らが持っていた豊かさの一端を取りもどすことに腐心した。ヤクザ映画を典型とする「活劇映画」や「ロマンポルノ」は、映画が纏わなければならないジャンルを再興することで、日本映画の延命装置になった。そんな時代に大島はアナトール・ドーマンの誘いで、自らのベースを移すことになる。もちろん当初は『愛のコリーダ』にせよ『愛の亡霊』にせよ、そうした日本と天皇制についての考察は続行されたが、それらのフィルムに記載された赤を中心にする豊かな色彩からは、白と黒の時代の大島に感じられた怒りと哀しみは次第に消えていった。
大島渚がその「最後の吐息」を繋ぎつつあるとき、ぼくらは1本の作品と出会うことになる。青山真治による『共喰い』である。田中慎弥の芥川賞受賞作を三島賞作家が映画化するという話題はともあれ、『共喰い』にある天皇制の問題とそれに関わって片手を失っている登場人物を思えば、この作品が、極めて青山真治的な磁場の中にあることを誰でもが納得するだろう。『Helpless』の主要な登場人物のひとりを演じた光石研は、片手を失ったヤクザであり、1989年に「おやじ」を探して北九州の地に戻ってきた。『共喰い』で片手を失いながら、サカナをおろすことを生業にするのは、主人公の母親(田中裕子)だが、彼女が片手は第二次大戦末期の空襲によって失われ、戦後出会った男(ここでも光石研が出演している)との間に、男児をなすが、男の暴力のために離婚している。
光石研が探し求めていた「おやじ」が不在になってからすでに25年が経っている(ぼくらは「平成25年」を生きている)。四半世紀という表現なら、100年の4分の1を単に数値として表現するに過ぎないが、「平成25年」と書き、すでに昭和が終わってかなり経ったことを示すのなら、それは「人間宣言」をした「おやじ」がこの世を去って25年経ったことを意味しているだろう。そのかなり長い時間は、怒りを諦念に変貌させるのに十分な時間だ。田中裕子演じる母親は、もちろん胸に怒りを秘めつつも、静かにサカナをおろす。本州と九州の間にある小さな港町で、彼女はひたすら諦念を生きている。
そして、このフィルムを見る者たちが、その諦念と出会うためには、それなりの装置が必要である。『Helpless』の光石研が乗った列車が門司港駅にゆっくりと到着するように、田中裕子の諦念に出会うためには、それほど水が流れてはいない川の上にかかる橋を渡り、寂れた漁港の前にある作業場に赴く必要がある。『サッド・ヴァケーション』で若戸大橋を渡るように、ここでもぼくらは橋を渡る。忘却を記憶に変えるために、片手の上に被せられたゴム手袋の下には、何も存在しないことを再確認するために、そして、性行為の最中に繰り返される男の暴力の痛みをもう一度思い出すために、ぼくらは橋を渡る。
そこに現れるのは、大島渚が黒と白で強烈に刻みつけた怒りの空間ではなく、微かな痛みが記憶の中に漂うような灰色の世界であり、晴れても曇ってもいないような時間が停止したような置き去りにされた空間であり、その中には性と暴力の世界をいまだに生き続ける父と諦念の中でサカナを下ろし続ける母と、進行していく時間──つまり、若さだ──をただひとり実感する高校生の息子がいる。
物語は田中慎弥の『共喰い』をほぼ正確に辿っているので、ここでは詳述しない。だが、2013年に、1960年代に大島が生きた怒りの時間をふたたび生きるためには、数々の込み入った手続きが必要であり、このフィルムが腐心するのは、その手続きをひとつひとつ丹念に遂行していくことで、見るものの誰の中にも、ぼくらが包み込まれている忘却の渦の中から鮮やかに大島が生きた怒りを再現させることだ。風景を撮ることにかけてはかつてからその手腕を高く評価される青山真治の映像からは、彼が、最近多く手がけるようになった舞台演出の成果も至るところに見られる。ふたりの俳優をどのような位置に立たせれば、忘却を記憶として甦らせることができるのか、立ち位置を微妙に変化させることで、登場人物間の関係のわずかな変容を見せることができるのか。青山が舞台演出で得た多くの方法は、このフィルムにも結実している。自らと自らの外部とをひたすら見つめ続ける高校生を演じる菅田将暉の眼差しと、大島渚の『少年』でタイトルロールを演じた阿部哲夫の眼差しが交錯してしまうのはぼくだけだろうか。