この映画の最初の台詞。綾瀬はるかが口にする、ずっとあなたと暮らしていたような気がする、といったような言葉だったろうか。その台詞がずいぶんと遠くから聞こえる声のような気がした。
初見ではない。はじめて見たときは、途中で見ているこちらが次々と不安が増していくところがあって、よくわからないと混乱するところがあった。今回、そうした不安の所在が少し分かったような気がする。
それは、見ているこちらが勝手にそう思い込んでいたことがあっさりと裏切られるということなのではないかと思う。
観客は、この映画に置ける現実の世界と思われたところが「センシング」の世界であったとされた時、足下に揺さぶりがかけられる。それはミスリーディングを誘導するようにするように作られているわけで、それ自体は珍しいことではないのだけど、ただそれが不安を感じさせるのは、間違った方向に誘導されたとして、それに対する正しい方向というものがほとんど提示されないからではないか。
改めて見てみると、はじめて見た時以上にすべてが現実性に欠けるように思えてしまう。例えば、ペンが空中に浮かびクルクルと回転を始めること、部屋の中が水で満たされていること、建物の周囲を靄が包み込んでいること、腐食した死体が目の前に突然現れること。 そして、この環境で見ると、音に関しても相当に手を加えていることがわかる。台詞の響き方、主な舞台となる部屋の中の限られた音、など。
もちろんそれらは「センシング」という彼/彼女の意識の中の出来事ということなのであると言われてしまえばその通りなのだが、そうした事象は現実の世界と大して変わらない場所で行われているのであって、そこに違いはあるのかと言われれば説明するのは難しい。というよりも、「センシング」の外の世界が、この映画では病院のシーンなどわずかしか描かれていない。しかも、それは「センシング」で描かれた世界とほぼ違わない。
もちろんそれがそういうものなのだという映画なのであれば何の問題はないのである。近未来映画にそういうことを求めても仕方がない。ただこの映画には、彼と彼女が戻る現実らしきものがあるのだと思う。そして、それを私たちは、彼の意識の中でしか見ることができない。
つまり、こちらが見ている場所が絶えず崩れかける可能性を持ち、安心できない場所へと反転する危険性を常に持っているのだと思う。
渡辺進也