爆音収穫祭で見ると、この映画はもの凄くシンプルな映画として見ることができる。
それは単純明快で、マーヴェリックスという何十年に1度あるかという10m強のもの凄い波があり――こう聞いて想像する何倍も凄い――、その波に乗りたいという若者がいる。事をシンプルにすればそれだけのことでしかない。
そう考えると、この映画の掛け金はどこに置かれるか。それは、ひとつには誰が見ても驚く程に、波がとにかく凄いものであるということである。そして、もうひとつは、その波に男が乗ることができるということを証明することである。
その波は男たちの人生を惹き寄せるのだが、それだけの力があることを明らかにするほど、力強い。真上から襲いかかってくるのではないかというような轟音と圧力、ひとつひとつのしぶきの粒子に包み込まれているような感覚となる。やはり、この波をどこまで伝えることができるかにこの映画は賭けられたのではないか。海の上から、海中から、空の上から、陸の上から。波とそれに挑戦し乗りこなす男たち。それだけでドラマが立ち上がる。
そして、そこには波に向かう若者の鍛錬があり、男を見守るサーファーたちの姿があり、家族や友人といった青春期特有の問題がある。この映画が実際に存在した人物を主人公としていることで、エピソードはいくらでも広がる。しかし、そういった複雑な事象からシンプルに物事を取り出し、力強い物語にすることに関してはカーティス・ハンソンはやはり上手なのである。
渡辺進也