本当に多忙で更新が滞ってしまった。「週刊平凡」じゃなくて、これじゃ「月刊平凡」になりそう。やばいぜ。
数日前の朝刊にこんな記事が載っていた。「トゥールダルジャン」や「ロオジエ」といった有名フランス料理店の看板料理長が、交代で福島県郡山市の避難所を訪れ、自慢の料理を振る舞っている。在日期間の長い親日派フランス人たちで、「温かな料理で被災者たちの心を温めよう」と発案した。/在外フランス人連合や在日フランス人シェフ・パティシエの会などの企画。郡山市の青年会議所が協力した。3日から9日まで東京や大阪から計14人の料理長が毎日2人ずつ料理を持参。1日300〜1500食を提供している。/8日は午後6時すぎから郡山養護学校など2カ所で、ロオジエの元総料理長ジャック・ボリーさんたちがブルゴーニュ地方特産のワイン煮込みやプリンなどのメニュー計350食を提供。避難所の人たちは「こんな所でこんな本格料理が食べられるなんて」と笑顔を見せた」(朝日新聞朝刊4月9日)。ブルゴーニュ特産のワイン煮込みは、ブッフ・ブルギニョン(http://www.lesfoodies.com/paul/recette/boeuf-bourguignon)だろう。伝統的なフランス料理を伝えた資生堂パーラーのロオジェを長年率いたジャック・ボリーにしてみれば、スペシャリテではないかもしれないが、ビーフ・シチューとブッフ・ブルギニョンは違うんだぜ! という味をみせられたろう。朝日の記事の「トゥールダルジャン」のシェフは、ドミニク・コルビで、彼は今、銀座のシージエム・サンスのシェフだ。彼が作ったのはアッシェ・パルマンティエ。(http://www.lesfoodies.com/mimirocksy50/recette/hachis-parmentier-8)どちらの料理もフランスの伝統的な家庭料理だ。
前々回、避難所で1週間もすれば美味しいものを食べたくなる、という趣旨のことを書いた。そして、避難所の滞在はもう一ヶ月を越えている。先の見通しさえつかない状況。仮設住宅以前に、まず瓦礫を退かさねば……。それよりも、低地に仮設を建てれば、また津波の被害が予想される。では、いったいどこに? 否、問題なのは、復旧でも、復興でもなく、再生。でも、再生計画を策定するためには、まずコンセプトが必要。宮城県の復興計画が新聞に掲載された。最初の3年は復旧……。広大な地域でいくつもの都市が消えてしまったのだから、問題は大きい。誰もが、地域の意見を参考に再生計画を、と言うが、地域の人たちは今も悲しみに打ち拉がれた人が多く、仕事もなく、家もなく、家族を亡くした人が多いわけで、明日の暮らしをどうするかという問題がまず横たわっている。老人たちは住み慣れた場所に必ず戻りたいと例外なく発言する。
まず美味しいもの、という発想は悪くない。「プロパンガスや機材を運び込み、熱々の、温かい料理や甘いスイーツで喜んでもらおう。イタリアン・銀座「ヒロソフィー」ヒロ山田さん/スイーツ・六本木「Toshi Yoroizuka」鎧塚俊彦さん/鮨・青山「海味」長野充靖さん/和食・恵比寿「賛否両論」笠原将弘さん/中華・「MASA'S KITCHEN47」鯰江真仁さん/イタリアン・丸の内「クラッティーニ」倉谷義成さん/ラーメン・護国寺「ちゃぶ屋」矢島丈祐さん/ラーメン・広尾「玄瑛WAGAN」博多「麺劇場玄瑛」入江瑛起さん等多くのシェフたち、お店のスタッフの皆さん総勢30名ほど集まった。参加は出来ないけど、料理だけでも…とイタリアン・南青山「リストランテ濱崎」濱崎龍一さんからは、ミートソース/イタリアン・京都「京都ネーゼ」森 博史さんからは、ガトーショコラ/イタリアン・名古屋「Issare shu」水口秀介さんからは、サーモンマリネとミネストローネをご提供いただきました」(http://ameblo.jp/chef-1/entry-10843858528.html)。イタリアン、中華からラーメンまで各国料理の料理人たちも被災地に足を運び、料理を作っているらしい。重要なのは、おにぎりやパンといった「配給品」みたいなものではなく、「レトルト食品」を配るのもなく、「炊き出し」というよりは、ケータリングに近いもの。これは重要なことだ。避難所だからといって、避難所に相応しい料理ではなく、本当の料理でしかもおしいものを、その場で作って、避難所のみんなにふるまうということ。
ブッフ・ブルギニョンやアッシ・パルメンティエを作る発想は悪くない。なぜなら、これら2種類の料理は、一皿ずつ供されるものではなく、ある程度の量を作っておき、分配可能だからだ。どちらも赤ワインに合うし、まだ寒さが残る避難所には適切な献立だと思われる。よく調べてみると、フランス料理の企画は、「在日フランス人シェフ・パティシエの会」の企画だと言う。その会のサイトを覗いてみると、ベルナールやアンドレ・パションの名前があり、彼らが運営の中心にいるらしい。パションさんのスペシャリテであるカスレもふるまわれたのではないだろうか。(http://saku1115-clavicle.blogspot.com/2010/12/blog-post_8745.html)フランス大使館から国外退去勧告がなされ、多くのフランス人たちが、祖国に「逃げ帰った」中で、長く日本に住むシェフたちがいち早く行動したことは評価してよい。ブッフ・ブルギニョンにせよ、アッシ・パルマンティエにせよ、カスレにせよ、東北地方にはマッチングする料理だろう。漁業が再び行われるようになれば、三陸地方はブイヤベースをはじめとする魚介類の一大センターになり、フレンチやイタリアンのレストランばかりではなく、素晴らしいオーベルジュをつくる可能性だってある。たとえば松島にはかつては素敵なホテルもあったけれど、今は思い当たらない。日本三景のひとつで、しかも、海産物に秀でた場所。こんな素晴らしい海浜リゾートは滅多にない。
テレビの映像は、瓦礫とヘドロで埋まり、ところどころにクルマや船が侵入した平地を見せるが、その向こう側にある海は、黒い壁が迫ってくるような津波の映像とは正反対の、今は、静かで本当に美しい。「ブラタモリ」のCG合成のように、海のこちら側にある被災地の映像を別の何かに置き換えてみよう。どんな映像がいいのか? おそらくそれを夢想してみることが、復旧でも復興でもなく、再生を思考する第一歩かも知れない。この美しい海とリアス式海岸に似合うのは、伝統的な日本の漁村ではない。コート・ダジュールのようなリゾート。ぼくが知っている場所だったら、ヴィル=フランシュのような崖に別荘やホテルが建ち、海岸線にはヨットクラブと漁港があるような……。こんな映像について書くと、不届き者だ!と言われるだろうか? 松島、石巻、気仙沼などの海岸線がこれほど映像に映し出されたことはなかった。伊豆から熱海に通じる国道135号線を通ると、ぼくは、いつもモナコを思い出す。熱海の街に入ると、寂れていて悲しくなる。風景にこんなにポテンシャリティがあるのに、それに溶け込むようなリゾートができないだろうか? もちろん仮設住宅から始まって、産業の再生、街の再創造……いろいろな問題が目白押しなのは分かっている。でも、こんなデスティネイションはどうだろう?
松島の小さなオーベルジュ。日本三景の海岸を望む小高い丘の上にあるそのオーベルジュの庭で、地元で採れた魚のブイヤベース。ゆっくりと太陽が山陰に入っていく。海は少し向こうにあって、波音が遥かに耳に届く。辛口の白ワインがうまい。きっといつかそんな夏の夕方を迎えてみたい。