2011年5月8日
大友良英さんが、芸大でとても興味深い講演をしている。公演ではない、講演だ。音楽家が公演よりも講演をするのはよっぽどのことだ。タイトルは『文化の役目について:震災と福島の人災を受けて』だ。全文を大友さんのサイトで読むことができる。(http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/fukushima.html)ぼくも、それなりにいろいろ考えてきた。もちろん、勤務先の大学の組織が「都市イノベーション研究院」という名前の新しい大学院で、そこには北山恒さんを始めとする建築家や山田均さんを始めとするシビルエンジニアリングの専門家がたくさんいるので、いろいろな方々の発言を聞いたからでもある。都市における建築や基盤を研究し提案する組織だから当然かも知れない。北山さんは東北大学の建築科(今でも建物は立ち入り禁止らしい)の学生たちとヴォランタリー・スタジオを立ち上げようとしているし、山田さんたち土木系の人たちは、いち早く現地に行って調査をしている。そうしたとき、ぼくら「文化系」はいったいどうしたらいいのだろう。とりあえず、いろんな人たちはどうしているのだろうと新聞やテレビやネットで発言を追っていた。メディアには出ないけれども、友人のboidの樋口泰人は、南相馬に物資を持って行ったし、ウチの近くのカフェ「ノルド」を経営している遠藤さんも、南三陸町に物資を運んだ。
そんな中で尊敬する音楽家の大友良英さんが、福島について発言している。それが4月28日に行われた芸大での講演だ。岩手や宮城の三陸沿岸には道路が開通し、仮設住宅も建ち始め、まだ問題は山積だが、とりあえず「復興」や「再生」にシフトしようとしている中で、福島の原発の問題は、現在進行中で、たとえばフランスの雑誌の「アンロック」は、La guerre de Fukushimaという特集記事を組んだし、ニュースで見るヨーロッパの反原発デモのプラカードにはNo More Fukushimaと書かれていた。まだたくさん避難している人が残っているどころか、やっと原発の建屋の中に人が入った段階で、本当にどうすれば終息に向かわせることができるのか、まだ方法さえも見つからない段階であって、東電が公表した工程表なんかは、文字通り、絵に描いた餅であることなど、みんなが知っている。Fukushimaというトンネルは、まだ出口も見えない。
大友さんは、横浜出身だが、その後に親の仕事の関係で福島に移転し、大学に入るまで10年間ほどを福島で暮らしたのだという。まず講演の枕でこんな話をしている。「周りのミュージシャンなんか、普段、「人のために」なんてひと言も言ったことがないヤツらばっかりなんですよ。音楽だけはいいけど、みたいなしようもないヤツらが、みんな、「人のために」とか言い出したんですよね。オレもその1人なんですけど」。つまり、どうすれば福島のみんなのためになるのか、ということを考え始めたということ。
まず現状はどうなのか? テレビはゴーストタウンになった避難勧告地域を映し出す。そして大友さんはこう語る。「オレは良く知ってるんだけど、それは昔からだよ、と思うんだよね。そんなもの、日本中の地方に行ってごらんよ。人はいないし、シャッターも閉まってるよ。放射能のせいじゃないよ、と思うんだけど、報道でそうやってしまうと、まるで、それまで活気があったところがゴーストタウンになったように見せられてしまう。テレビマジックですよね」。もちろん住民たちが避難しているのは事実だけれど、それ以前から、人がそんなにいるわけではない。地方のシャッターストリート化は原発に始まったことではない。地方には、それぞれの文化があって、なんて語れない状況は、ずっと前から始まっている。
大友さんは放射能をナイフに例えている。ナイフで一発で人を殺すなら、みんなはそれをひどく恐ろしいことだと思うだろうが、放射能というナイフは見えない。状況が見えない。見えないナイフと闘うことを余儀なくされている。三陸地区ならば、その「見えないナイフ」はもう存在しないが、福島にはナイフがある。それもどこにあるか見えないし、どのような経路でナイフが襲ってくるのかも分からない。だから逃げるしかない。「放射能のとても厄介なところは、見えないんですよね。空を見ると、青空はすごいし、すてきだし、夜は、本当に東京なんかよりよっぽど月もきれいで、空気を吸い込むと空気もおいしいんですよ」。見えない刺客が迫ってきている。フィルムノワールみたいに。
小学校の校庭の土に堆積した放射能の測定値の問題で、専門家が政府の顧問を辞めた問題が大きく採り上げられているが、菅首相が言ったとか言わなかったという、これから20年はこの地区に住めないという問題も、あながち嘘とは思えない。もちろん、原発を穏やかに停止させるために、英知を絞って建屋の中に入り、放射能放出の原因を突き止めて、それを封じ込めるという問題があるけれども、それを解決しても、福島=Fukushimaという地名は、チェルノブイリと同じようにネガティヴなものになってしまった。大友さんは、それをポジティヴな固有名に転換するために、文化という豊かな未来を語るものが必要だと主張する。「福島がクリーンエネルギー特区になって、今まで効率が悪いと言われていた風力発電とか太陽発電とか、効率のいい技術に変貌して福島から出たとしたら、それだけでも多分、福島という名前はポジティブなイメージに変わると思うんですよね」。
だから大友さんは、福島でライヴをやり、まず福島から「発信」する作業から始めている。東京という極めて一極集中性の強い発信基地から離れて、福島からも発信する作業。確かにその作業は、福島という固有名をネガティヴなものからポジティヴなものへ転換する有効な機会になるだろう。考えてみれば、原発以前から大きな問題になっている地方のシャッターストリート化は、東京への文化的活動の一極集中にも大きな原因があるだろう。このコラムの前々回で、「松島に美味しいブイヤベースを食べさせる素敵なオーベルジュを作る」ことを提案した。日本で一番美味しいイタリア料理もフランス料理も、和食も、全部、東京で食べられるし、大友さんを始めとする素晴らしいミュージシャンのライヴがいつも見られるのも東京だし、映画だって、舞台だって、全部、東京だ。ぼくだって東京に住んでいなければ、仕事はないだろう。大阪に出張しても、京都に出張しても、ぼくは、東京から文化を運んでくる役割を受け持っている。東京以外で開催されている映画祭で唯一成功しているのは、山形ドキュメンタリー映画祭だが、その映画祭が成功している原因は、東京でも集められない面子や作品が山形に集結しているからだ。
福島にそんな例がないのだろうか? 探してみると、素晴らしいフランス料理店が南会津の湯野上温泉にあった。「シェやまのべ」だ。避難地域ではないが、そのレストランは食べログでも4.04点(http://r.tabelog.com/fukushima/A0707/A070701/7000084/)すごい高得点だ。調べてみても、地方のリゾート地でこんなに高い評価のレストランは本当は少ない。このレストランのシェフである山野辺宏さんは、銀座のレカンやフランスで修行し、葉山のマーレ・ド・茶屋のシェフを務めて、故郷のこの地にレストランを開業したそうだ。4人テーブルが2つと2人テーブルが2つだけの完全予約制レストランだそうだが、常に満員だという。食べログの写真を見ても、すごく美味しそうだ。地方の矜持そのもののようなこうした場所を、このレストラン以外にも、美食以外の分野でも創造してみること。大友さんの言う、ネガティヴなものからポジティヴなものへ転換には、まずそうした行為が必要だと思う。