朝一はトリアー新作を、と考えていたけれど、予定を変更してジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ『Le Gamin au vélo』へ。正直な所まったく期待していなかったが、本当に素晴らしい! 個人的にはダルデンヌ兄弟の最高傑作ではないかとすら思う。方法論はこれまでと何も変わっていない、けれどもそこに投入された今作の主人公である父親に捨てられた少年と、そしてセシル・ド・フランス(『ヒアアフター』に負けず劣らず素晴らしい!)演じる少年の保護者を請け負う美容師との、いくつものアクション-リアクションが、『野生の少年』と『大人は判ってくれない』のちょうど中間に位置するかのごときトリュフォー的な映画の喜びを「ダルデンヌ・スタイル」から抽出することに成功している。とりわけ、終盤の自転車での並走シーンの素晴らしさといったら……。
現時点でおそらくコンペ作品では圧倒的な人気を集めているアキ・カウリスマキ『Le Havre』の上映に向かうも、満員。諦めてプレスルームにて前日分のブログを更新し、14時からの「ある視点」部門作品を続けて2本見ることに。しばし休息。プレスルームは日中人だらけ、席を取るのも一苦労。なので、大抵は床に座ってPCに向かう。Wi-fiはバンバン切れるので、アップロードには本当に時間を食ってしまう。
Joachim Trier『Osro,august,31st』。オスロの街並を映し出した映像に、無数の人々の「私は思い出す……」という声が重ねられたオープニングに期待が高まったものの、見事に裏切られる。薬物依存から快復しようとする主人公が、自殺に踏み切ろうとして踏み切れなかったり、人々との関係性の構築に悩む描写だけがダラダラと続くばかり。描写のひとつひとつは紋切り型に留まり続け、主人公の崩壊をたんに審美的な構図の中に押し込めるだけで解決をもたらそうとするラストシーンには、怒りを通り越して呆れた。愚作。「誰もが感じている孤独」が主題なのだと監督本人は語っていたけれど、本当にそうなのだとすればこの人は「孤独」を哀れみの対象としてしか見てないのだろう。
Catalin Mitulescu『Lovelyboy』。黒海の街コンスタンタを舞台に、自分に寄ってくる女たちを友人や売春へと斡旋する主人公と、その主人公に初恋をした一人の少女の悲しい顛末……だがそんな暗い物語にも関わらず、この作品には「軽さ」がある。まあ、言ってしまえば「雑」でもあるのだけれど、若者の貧困やら絶望やら、そういった主題に対するアプローチとしては、その最悪な例であろう『Osro』の形式主義とはまったく異なったものだ。『Loverboy』はとりえあず説話の経済性を捨て、ひとつひとつのシークエンスの瑞々しさを最大限に生かそうとする意味で、ユスターシュの『わるい仲間』や空族の『国道20号線』、そして三宅唱『やくたたず』にも通じるような、ある種の「不良映画」のヴァリエーションを織りなしている。「傑作」とは到底言い難いけれども、悪くない作品だった。