2011年6月9日
松坂屋は空いているな、といつも思っていた。銀座のデパートでは松屋が好きだ。大きくはないけれども、なんとなく買いやすい。7階の「デザイン・コレクション」をゆっくり見るのも長年の習慣になった。紳士服の5階も、ブランドの選択がかなりよいと思う。改装後の三越も行ってみたけれども、新館と旧館の2つの建物が一体化していないし、以前のほどよい大きさの三越の方が好きだ。
そして松坂屋! 今日の主題だ。友人のひとりはデパ地下は松坂屋がいちばんだ、と言っていた。まさか! あそこは何もないじゃん。いや、いちおう何でも揃っている。すごいものは何ひとつ置いていない。それに空いている。だからいちばんだ。特に松屋の地下は混んでいるし、けっこうテナントが変わるでしょう。松坂屋は買うものさえ決めておけば、売り場が空いているからすぐに終わる。早い。だから松坂屋がいい。
つまり、空いているから買いやすいっていうことだ。松屋にも三越にもないけれど、松坂屋にあるのは資生堂パーラーくらいかもしれない。子どもが小さい頃は、彼を連れてオムライスを食べに行った。でも、本物の資生堂パーラーも、ほぼ松坂屋の正面にあるよね。希少価値というわけではない。やばい! 今、調べてみたら松坂屋の資生堂パーラーは、2009年2月に閉店! ちょっと年取ったボーイさんなんかはどこへ行ったのかな? これで松坂屋は、ホントに何もなくなった!
銀座松坂屋は建築としてなかなか素敵だ。長谷部鋭吉という人が1952年に設計した。全面ガラスと金属によるカーテンウォール。モダニズムそのものの四角い箱ではあるけれども、今は青木淳の意匠が全面を被っているけれど、本当は伝統的な百貨店建築である松屋や、三越よりもずっとモダンだ。この空間をそのままリノヴェーションする方法も見つかるだろうし、その中にはきっと魅力的な解答もあるだろう。
もちろん、松坂屋サイドでも空いているのは困るわけで、いろいろ工夫はしてきた。まず高層ビルで再開発っていう最低の解も世に問うたことがあった。確か2002年頃だった。森ビルが中心になって松坂屋の周囲まで地上げして超高層という案だった、でも周囲の商店街から総スカンを食った。松坂屋の裏にある、ぼくが贔屓にしているバーも、この再開発で閉店になるはずだったが、今でも生き延びいている。銀座には銀座としての街の生業があるってわけだ。銀座は六本木じゃない。ショッピングモールなんていらない。俺たちはもともとストリートなんだ。正しい意見だ。で、松坂屋は、ラオックスやフォーレバー21をテナントにした。大家さんとして稼ごうとしたわけだ。これもイージーな解だね。立地がいいのだから、それを活かして店子を募る。
でも、ラオックスは銀座になくてもいい。秋葉原でいいよね。フォーレバー21だけは人が入っているようだった。近くにH&WやユニクロもZARAもあるから、相乗効果だったのかも知れない。でもフォーレバー21だけが混んでいて、従来からの売り場は相変わらず。並ばなくてもよいデパ地下はそのまま。渋谷の東急フーズショーなんかとえらい違い。
でも森ビルは諦めていなかったんだね(http://blogs.yahoo.co.jp/guntosi/60671875.html)。昨日、銀座松坂屋が2013年に閉店されることが発表された。再開発地域は2002年と一緒。でも今回は、「銀座ルール」(http://www.ginza-machidukuri.jp/rule/district_rule.html)を守って56メートル。地上12階、地下6階で、大駐車場、駐輪場、多目的ホール(地下1階)、6階までが店舗、7〜12階までが事務所。ちなみに設計は谷口吉生。松坂屋とその別館(裏にある壊れかかっているけど、リノヴェーション意欲がそそられる建物)、さらにその周囲のビル(このひとつの地下にぼくの贔屓のバーがある)を巻き込み、最終的には13の地権者が合意して銀座松坂屋がなくなることになった。地権者を説得して、大規模な再開発をやるという森ビルの方法だ。この方法自体、不動産屋のやり方そのものだ。六本木ヒルズも表参道ヒルズも同じやり方。すごく手間がかかるけれど、地権者が全員了解している。森社長はこの方法を自画自賛している。今まで銀座にクルマを止めるのも大変だったし、ましてやチャリの駐輪場まで作って、「みんな」に協力しているんだぞ、というわけだ。大きなお金が動いて経済も活性化する、だからいいことなんだ、という論理。
溜息が出てくるなあ。横浜松坂屋も取り壊されてショッピングモールになるらしいし、銀座松坂屋も無くなって、巨大なビルになる。東京R不動産が支持を集める世の中なのに、まだバブル期の残像を引きずっているようなやり方に溜息が出てくるなあ。今ちょうど『ジェイコブズ対モーゼス』(アラン・フリント著)という本を読んでいる。この本の書評に柄谷さんはこう書いていた。「本書は、一口でいうと、1950年代から60年代にかけて、モーゼスという人物が強引に推進したニューヨークの再開発を、ジェイコブズという主婦が阻止した事件をあつかっている。(……)モーゼスは60年代に、ローワーマンハッタン・エクスプレスウェイを建設しようとして、再び、ジェイコブズの反対運動によって挫折し、完全に没落してしまった。彼女がいなければ、モーゼスは勝利したかもしれない。そうすれば、ニューヨークは地下鉄やバスのない自動車化した都市になっていただろう。しかし、本書を読みながら、私が考えていたのは、日本においてなぜ原発建設を止めることができなかったのか、止めるにはどうしたらいいのかということである」(http://book.asahi.com/review/TKY201105170210.html)。原発だって、福島の人も最初は納得してつくったのだけれども、結局、ひどいめに会っている。もちろん、銀座松坂屋と原発を比べるのは飛躍しすぎとぼくも思うけれども、さっき日立の社長が、新興国のニーズがあるから、これからも原発をつくるぞ、と言っているのをテレビで見た。儲かれば何をしてもいいんだ、とむき出しの資本主義でものを言うのは、3.11以降──もちろん、それ以前だって──決定的にまちがっている。
それより、かつての空間が、何らかの理由で、銀座松坂屋や横浜松坂屋のように、今のぼくらにそぐわないものになったとしたら、その空間を壊して再開発するという解ではなく、その空間をどうやってリユースして、今のぼくらにふさわしい空間に変貌させることができるのか、というもっと難しい解を探す魅力的な時間を持ちたい。