2011年12月4日
2007年4月26日のニューヨーク・タイムズ紙はひとりの老女優の死を伝えている。アン・ピトニアクのことだ。彼女はガンの合併症によって85歳の生涯を閉じた。同紙のよると、大学を出てからの彼女のキャリアのほとんどはテレビドラマとラジオのコマーシャルだったという。では、なぜニューヨーク・タイムズ紙が、このテレビドラマとラジオのコマーシャルばかりに活躍していた老女優についての長文の追悼文を掲載したのか? 「1975年のこと。彼女はすでに50代の半ばに達していた。長く続いた結婚生活は離婚で終わり、ふたりの子どもも大きくなっていた。彼女は突然リー・ストラスバーグ演劇研究所で演技の勉強を始めたのだ」。ニューヨーク・タイムズ紙は、彼女の追悼文をそう始める。
そして「2年後、彼女はケンタッキー州ルイスヴィルのアクターズ・シアターの女優になり、マーシャ・ノーマンの最初の戯曲『ゲッティング・アウト』の舞台に出演する」。その舞台が好評を博し、彼女は次々に舞台に立つことになり、ついにジェイン・マーティンの『トーキング・ウィズ』でオフ・ブロードウェイのマンハッタン・シアター・クラブに進出する。「『おやすみ かあさん』は、マーシャ・ノーマンの3作目の戯曲であり、ピトニアクが主演した。彼女は、かなりの失意の中にある母親を演じ、自殺を予告する娘を演じたのはキャシー・ベイツ(『ミザリー』は1990年の映画だ)だった。演技はニューヨーク・タイムズ紙のフランク・リッチに絶賛された。この舞台はマサチューセッツ州ケンブリッジのアメリカン・レパートリー・シアターで上演され、1983年にはブロードウェイで上演された」。グーグルの画像でアン・ピトニアクを検索してみると、彼女が母を演じた『おやすみ かあさん』でキャシー・ベイツを共演している写真を見つけた。
2011年の東京で『おやすみ かあさん』が上演された。東京でのこのプロダクションで注目に値するのはアン・ピトニアク演じた「かあさん」を演じるのは、あの白石加代子であり、娘のジェシーを演じるのが中島朋子であり、演出するのが青山真治であるということだ。
場所は、近年フェスティヴァル・トーキョー等演劇の街として活況を呈している豊島区の「あうるすぽっと」である。演劇批評家を廃業してから20年近くになるぼくは、初めてこの劇場に行った。両国のシアターカイもそうなのだが、再開発地区に建つこの種の劇場は、どこも複合施設で高層マンションの低層階にある。ブロードウェイやウェスト・エンドなど劇場が建ち並ぶ場所を知っていると、少々残念な気がする。エレベーターで劇場へ上がるのはちょっと気分が乗らない。エントランスと受付を通ると、大きな階段が劇場の内部へと導いてくれるヨーロッパのイタリア式の劇場を臨んでも仕方がないが、それでも演劇という「非日常」へとぼくらが導かれるのには、それなりの装置が必要なのではないか。ともあれキャパが300席の「あうるすぽっと」は楽日であるせいか立錐の余地もない。
もちろん中島朋子の舞台は初めてだが、白石加代子の舞台もいついらいだろうか? 初めて彼女を見たのは多くのオールドファンと同様『少女仮面』の春日野役、そして『劇的なるものをめぐってⅡ』、それから『トロイヤの女』……。『おやすみ かあさん』で中島朋子を共演する彼女を見ていると、必然的に李麗仙と彼女が共演した『少女仮面』を思い出す。もちろん唐十郎の初期の代表作と、十分にテネシー・ウィリアムズの影響下にある『おやすみ かあさん』とは内容が異なるが、老女と若い女性の共演という意味では似ている。それに白石加代子は、すでに70歳になろうとしているのに、昔と変わらない。憑依女優と言われた彼女のおどろおどろしさは『トロイヤの女』などに強烈に発揮されていた。発声法、「中腰」による立ち方……。最初はストレート・プレイに白石加代子の身体所作は似合わないようにも感じられたが、中島朋子の伸びやかな狂気と対比されると、このふたりの女優の持つ対照的な所作や発声法が独自のハーモニーのように感じられてくる。おそらくふたりが「役に入り」始める冒頭の30分あたりから、ぼくらも芝居の言葉に包まれ始めてくる。冒頭こそ、ふたりの言葉の間に「間」(ま)が欠如していることに慣れなかったが、この戯曲の構造が可視化され始める後半になると、もともとこのふたりの間にダイアローグが成立するはずがなく、存在するのはそれぞれのモノローグなのだと納得されはじめ、ふたりの対照的な所作も説得力を持ち始める。
残念なのは10回目の上演であるぼくが見た回が楽日であることだ。というのも、この種の「室内楽」のような戯曲は、それこそ何十回何百回と上演すれば、言葉の正しい意味でふたりの女優にとってのレパートリーになり、ふたりの生きる時間とこの戯曲の世界が重なり合ってくるからだ。東京の演劇事情は、こういう戯曲に厳しい。どの演目も短い上演期間しかない。かつてぼくが演劇批評家だった時代も、ぼくが書いた批評が印刷媒体に掲載されたころには、とっくに上演が終わっていた。かつて渋谷のジャンジャンで中村伸郎がイヨネスコの『授業』を延々と上演したことがあったが、キャパが150人くらいの小劇場で、『おやすみ かあさん』を何ヶ月も上演することができないだろうか。アン・ピトニアクにとってのこの役がはまり役であったように、キャシー・ベイツのジェシーが想像できるように、白石加代子と中島朋子にとって、この戯曲が彼女たちの人生の一部を成すようなものにならないだろうか。
青山真治は、もちろん映画作家であるけれども、『東京公園』を見れば、彼が舞台演出にも大きな可能性を見出すだろうことは予想できた。そして、前の演出作『G.G.R』よりも小さなスペースでのこのふたり芝居は、青山真治の舞台に与える作業により合っているように思える。どこかの小さなスペースでストリンドベリの短い戯曲──『火遊び』なんてどうだろうか──を長いスパンで上演することなど東京の演劇事情を考えると夢物語だろうか? 夜8時ぐらいから10時ぐらいまで豊饒な会話劇を楽しみたい大人の数は多くないのだろうか。