春で 朧ろで ご縁日
とくれば、泉鏡花の新派悲劇『日本橋』である。春爛漫の東京でいま、1914年発表のこの戯曲を齋藤雅文と坂東玉三郎が共同演出した公演(2013 日生劇場)の、上演スタイルそのままに映画化された「グランドシネマ 坂東玉三郎『日本橋』」が上映されている。会場は先月下旬に「COREDO 室町 2」にオープンしたばかりのTOHOシネマズ日本橋。医学士・葛木晋三(松田悟志)と名妓の稲葉家お孝(坂東玉三郎)が運命の出会いを果たす一石橋からほど近いこの地で『日本橋』の上映とは、まったく粋な計らいで、これほど究極のご当地映画もあり得まい。映画鑑賞後に、舞台となった各所のロケーションを散歩してみるのも一興だ。ふところに余裕のある方は、そのまま日本橋地区で唯一残る料亭、人形町の「玄冶店 濱田家」で芸者をあげて、葛木晋三よろしくふられてきていただきたい(笑)。
第一幕の第一場、お孝のライバル芸者である滝の家清葉(高橋惠子)が葛木の求愛を拒むシーンでは、高橋惠子にカメラが寄りすぎて、女優の肌について非情なカットが続くが、これは美も醜も併呑しようとする玉三郎演出の鬼の部分だと解釈させてもらった(玉三郎は編集も担当している)。怪談的要素も強いこの戯曲はまさに、かつて『夜叉が池』を演った玉三郎にうってつけの演目だ。一昨年にNHKで放映されたグレタ・ガルボの秘めた恋についてのドキュメンタリーに、ガルボをリスペクトする玉三郎が旅人として出演していたのだが、この時のスウェーデンの風景に溶け込む玉三郎のカメラの映り具合、そしてナレーションの質の高さ、どれをとっても一流で、このあまりにも高名な歌舞伎役者に対するわが視線を改めさせられるものがあった。
主人公・葛木の心には、自分の学資を稼ぐために妾になった姉を慕う気持ちが、オプセッションとして取り憑いている。実の姉弟か、擬似的なそれかにかぎらず、弟が姉に執拗に思慕を寄せているうちに、おそろしい悲劇へと転落していく、というのは新派悲劇のひとつの典型的なパターンであろう。
溝口健二監督の戦前の傑作群を思い出してみよう。ぱっと思いつくだけでも『滝の白糸』(1933)、『折鶴お千』(1935)、『残菊物語』(1939)などはいずれも弟のような男の出世のために犠牲となり、転落していく年上の女を、残酷きわまりない、情け容赦のないタッチで描ききってはいなかったか? そして、忘るるなかれ溝口健二こそ、泉鏡花『日本橋』の最初の映画化をおこなった人物である(1929 フィルム現存せず)。二度目の映画化は市川崑、このたびの映画化は、私の知るかぎり三度目ということになる。それぞれ、稲葉家お孝/滝の家清葉/医学士・葛木晋三/半玉お千世を演じた俳優陣をリストアップしておこう。
溝口健二版(1929)──梅村蓉子/酒井米子/岡田時彦/夏川静江
市川崑版(1956)───淡島千景/山本富士子/品川隆二/若尾文子
坂東玉三郎版(2014)─坂東玉三郎/高橋惠子/松田悟志/斎藤菜月
こうして書き出してみると、改めて溝口健二版を見てみたいという、見果てぬ夢が狂おしく広がる。あの夏川静江が半玉を演っている姿が目に浮かぶようだ。岡田茉莉子のお父さんの岡田時彦が葛木晋三を演っているのもお誂え向きだ。
TOHOシネマズ日本橋にて先行公開、以後全国で順次上映予定
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/news/nihonbashi.html