ブログの開始が遅れてしまったこともあり掲載が本当に遅くなってしまったが、昨年の12月初旬、オーサカ=モノレールのフランスでの2公演を幸運にも目撃する機会があった。
私たちがパリに到着したのは、ちょうどクロード・シャブロルの訃報からほとんど間をおかない9月の半ばで、彼の追悼記事を掲げた雑誌はどこのキオスクでも目にすることになった。諸々の手続きで慌ただしい時間の合間に、ソルボンヌ近くの映画館Reflet Medicisですでに始まっていたシャブロル追悼特集へと幾度か赴いた。『不貞の女』や『血の婚礼』などの60〜70年代の作品を中心に上映は行われていて、ちょうどその頃のステファン・オードランやミシェル・ブーケと同じくらいの年齢だと思われる年齢層の観客を昼間の上映回でも多く見かけた。
今回このブログを書かせて頂くことになった私たちがパリという場所に到着したのは昨年9月で、あまりに遅いスタートになってしまいましたが、ここ数回のエントリでは昨年後半の3ヶ月強のことをかいつまみながら記させて頂ければと思います。
まず私たちがパリという場所で右も左もおぼつかない時期にまず目にすることになったのは、そこに住む人々の真っ直ぐで飾りのない「怒り」だったのだと思います。