わが偏愛の一作のリバイバル公開を、ひとり孤独に祝いたい。1988年のイギリス映画『ウィズネイルと僕』、俳優ブルース・ロビンソンの監督としての長編第1作である。しかし、祝う、と言ったら語弊があるかもしれない。本作は吉祥寺バウスシアターの閉館イベント《THE LAST BAUS》の一環として、爆音映画祭の裏でひそかに掉尾を飾っているからだ。思えば本作を23年前の5月に見たのも、どうやらバウスだったらしい。私は勝手に渋谷桜丘時代のユーロスペースだったと記憶していたが、それは勘違いのようである。クロージング興行の一環として本作をセレクトしたバウスのスタッフの鑑識眼にも、ブラボーの快哉を叫びたいと思う。そして、「そんな過大評価な」という外野の声を、私は完全に無視するだろう。
ブルース・ロビンソンといえば、まず俳優として、フランソワ・トリュフォー監督『アデルの恋の物語』(1975)でヒロインのイザベル・アジャーニが一方的に片思いするイギリス軍中尉を演じたことで記憶される。『ウィズネイルと僕』はロビンソンの自伝的映画であり、1969年ころのロンドンのカムデン・タウン、売れない俳優として、ルームメイトのハンサム俳優といっしょにアルコールとドラッグに溺れた自堕落な生活を、愛惜をこめてカメラに収めている。ラストシーンで主人公「僕」はオーディションに受かり、ぼろアパートを出て行く。うぬぼれ屋でわがままだが憎めないルームメイトのウィズネイルを置いて…。そして主人公が去ったあと、ひとり取り残されたウィズネイルが、誰もいないリージェンツ・パークで朗誦してみせるシェイクスピアが泣けるんだよ。ようするに、主人公がトリュフォー映画でアジャーニの相手役を射止める、その5〜6年前の物語ということになるのだろう。
ブルース・ロビンソンにはじつは監督作として『ラム・ダイアリー』(2011)という新作もあって、しかもこれはジョニー・デップが主演であるにもかかわらず、ほとんど顧みられることなく公開を終えてしまった。この
『ラム・ダイアリー』も内容的には『ウィズネイルと僕』とほとんど同じで、こちらは売れない俳優ではなく、デップ演じる売れないライターがプエルトリコに赴任してラム酒中毒になっていくというだけの物語である。もしあなたがブコウスキーの小説が好きなら、マルコ・フェッレーリ監督『ありきたりな狂気の物語』(1981)に登場するベン・ギャザラとオルネラ・ムーティが好きなら、『ラム・ダイアリー』もオススメしたい。
ちなみに、『ウィズネイルと僕』はイギリスのハンドメイド・フィルムズ社の作品であり──つまり、故ジョージ・ハリソンのプロデュース作品である。だからこんな低予算の映画なのに、ザ・ビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」が堂々とかかってしまう。イギリス映画に対するジョージ・ハリソンの貢献は、『モンティ・パイソン』『バンデットQ』を製作してテリー・ギリアムを見出したことや、『モナリザ』(1986)を製作してニール・ジョーダンを売り出したこと、あるいは『上海サプライズ』(1986)をプロデュースしてマドンナとショーン・ペンを出会わせたことに留まらないのである。
『ウィズネイルと僕』という一篇のフィルムは、フランソワ・トリュフォー、ジョージ・ハリソンなどあらゆる固有名詞が跳梁跋扈する美しい星座のドまん中にある。
吉祥寺バウスシアター(東京・武蔵野市)にて5/31(土)まで
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